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【春風亭一之輔】想定外の壁を乗り越え、混沌を制するには(前編)

放任主義は、放任される側の意識の高さに
かかってくる
いま弟子は5人います。
本当のことを言うと、弟子なんて取りたくない。自分のことで手いっぱいで、弟子の面倒なんて見ている余裕はないんです。だから入門志願者が来ても基本は断ってます。
それでも何回も何回も訪ねてこられると、最後は根負けのような形で弟子を取ることになる。ホント面倒だし、ストレスになりますよ。

入門を許すにしても、「この青年の人生を預かる」なんて大層なことは考えないことにしています。
でも、考えてみたら僕もそうやって師匠(春風亭一朝)に入門を許されたわけで、弟子を取るのも恩返しかな……とは思っています。
僕の場合、弟子を取ったからといって、家に通わせることはしません。うちの師匠もそうでした。弟子は手伝いをするために入門したわけじゃないので、用事があるときは呼びますが、あとは放任主義、放し飼いです。
でも、この放任主義というのが意外に難しくて、放任されたからといって遊んでいたら成長しません。
有り余る時間を使って映画を見たり、本を読んだり、芝居や歌舞伎を見に行ったり、踊りを覚えたりという、落語家としてのスキルにつながることをしなければならない。
そこだけは各自がしっかり意識していないとダメなんだけど、いまの若い子たちは真面目ですよね。ちゃんとやってるみたいです。

大切なのは「君はなぜ叱られているのか」を
きちんと説明すること
うちの師匠は弟子を叱ることはまずありませんでした。優しいんです。優しそうだから僕も一朝を師匠に選んだ。
子どもの頃からぬくぬくと育ったうえに要領も良かったので、大きな失敗をしない半面、怒られることに耐性がないんですね。
前座や二ツ目の頃、たまに師匠の家に行くと、「おう、来たか!」って座敷に上げてもらって、師匠と並んでテレビを見ながら世間話をしてました。
師匠「最近何か面白いことあったか?」
一之輔「こんな芝居を見たんですが、なかなかよかったですよ」
師匠「ふーん」
なんて、友達同士みたいな師弟関係。何しろ師匠が僕にお茶を出してくれるんですから。
この「お茶を出す」のは僕もまねしていて、たまに弟子が来ると僕が弟子にお茶を出すんです。
一之輔「はい、お茶」
弟子「あ、どうも」
……いい時代ですね。

一朝は僕ら弟子を叱ることはないけれど、僕はときどき弟子を叱ります。いまの時代、弟子を叱るのもいろいろと面倒だし、そもそも叱ること自体がこちらのストレスになる。嫌われるのを怖がっていたら叱れないけれど、それじゃ弟子が育たない。
そもそも普通の社会とは違うことを承知のうえで入門してきているんだから、こっちとしても仕方なく𠮟るんだけど、まあ面倒ですね。
叱るときに気をつけていることは、「なぜ君は叱られているのか」という説明をきちんとすること。
「君の振る舞いは相手に対して失礼だ」とか、「君の判断は道義にかなっていないよ」とか、たとえ“あと付け”でもいいから説明をするようにしています。
時には虫の居所が悪くて不機嫌になって、理不尽に叱りつけることもありますが、そんなときは弟子のほうが寄ってきませんね。物陰に隠れてこっちを見てる……。
でも「イライラしている人には近づかない」というのは正しい判断なので、それでいいと思ってます。

世の中の事象を笑いにつなげるために
「4コマ漫画を描け!」
コロナ禍では面白いように仕事がなくなっていきました。エンターテインメントというものがこんなにもろいものなのかと思い知らされました。毎日毎日「キャンセル」の電話がかかってくる。
最初のうちは「やれやれ、ゆっくりできる」とのんきに構えていたけれど、1カ月もすると不安になってきた。特に弟子たちは僕以上に仕事がないから死活問題です。仕方ないから「お米の配給」をしたこともありました。
当時弟子たちに義務づけたことが2つあるんです。
「毎日1本、4コマ漫画を描け!」
「毎週一本、1000文字程度の文章を書け!」
表に出る機会がなくなると、お客さんとのつながりも途絶えてしまう。だから文章や4コマ漫画をかかせて、それをXでフォロワーに見てもらおうと……。
4コマ漫画は、時事ネタでも何でもいいから自分が何を面白いと感じたのかを起承転結をつけて表現することで、感覚を鈍らせないトレーニングになると考えたんです。結構面白い作品が出てきました。
世の中の事象を捉えて、それを笑いにつなげる感覚って、落語家という職業にとって重要だと思うんです。
特に僕は、世の中の流れに逆らうというか、「おちょくる」という感覚の目線を大切にしている。その感覚は若い頃から大切にしてきたし、いまも「鍛える」というほどではないけれど、その感覚が衰えないように意識はしてます。
みんなが大好きで応援している人に向かって、「あんた本当にすごいの?」というひねくれた感覚で見るような……。

いまで言うなら大谷翔平でしょうね。大谷のことを悪く言う人はいないじゃないですか。そして実際に大活躍している。なんだか世の中全体が大谷をほめなければならないような風潮なのが僕にはカチンとくる(笑)。
「よほど心が強靭なのか、あるいは人の心を持っていないのか」
なんて高座で言うとウケるんです。寄席というところはそういう発言が許されるんです。

客の少ない出番こそスキルを高めるチャンス
僕は寄席が好きで、できるだけ寄席の高座に上がるようにしてます。
自分がトリを取るときばかりではなく、早い時間でお客さんがあまり入っていないような出番も大事にしている、というより、お客さんが少ないところに出るのが好きなんです。
独演会などは「一之輔目当ての客」が多い。これはうれしい半面、そういうところばかりで演(や)っていたら、スキルが落ちていくようで怖いんです。
僕以外の噺家を楽しみにしていたお客さんの前で、しかもまだ客席が温まっていない高座で、どこまでできるか──」という意味で実力が試されるし、勉強になるんです。

お客さんの少ないところで、「今日は前座噺で客席を温めていこう」とか、「フルスイングで鉄板ネタをかけよう」とか、いろいろと考えて高座に上がる。
話し始めてからも「ウケが少ないからもう少しペースを上げてみよう」とか、「今日はマクラだけで終わらせて次の演者につなごう」なんて考えている。これは独演会やホール落語会では身につけられないスキルです。
寄席ではそれぞれの出番(持ち場)に合った仕事が求められます。全員がトリの気分で高座に上がったんじゃ寄席の番組は成立しない。寄席のそんな団体競技みたいなところが僕は嫌いじゃないんです。

信念を曲げたところで命を取られるわけじゃなし
何のかんいっても、しょせんは「お客様商売」なので、お客さんに喜んでもらわなければ成立しない仕事です。
こんな僕でも、時には「世の中に合わせなきゃ」と思うこともあるし、そうすることでモヤモヤすることもあります。
繰り返しますが、僕は要領がいい、小器用な性格なので、折り合いをつけるのは比較的得意なほうだと思ってはいるんです。
それでも自分の正義を曲げて周囲の流れに乗らなきゃならないこともたまにはあります。そんなときどうやって自分を納得させるのかといえば、納得なんてさせない……。
「酒飲んで寝ちゃう」に尽きますね。かみさんに愚痴をこぼして、「ダメだこりゃ!」って言って、酒飲んで寝ちゃう。

よく色紙に書く言葉があるんです。
「命まで取られるわけじゃあるまいし」
自分の考えや信念を曲げたところで死ぬわけじゃない。ならそれでいいじゃないかと。
酒飲んで寝ちゃえば、翌朝には忘れてます。それでいいんですよ。

寄席は“足湯”程度の癒やしの場。
そこから学ぼうとするな!
そう考えると、本当にいい加減な商売ですよね。
弟子によく言うんです。「ハマればこんなにいい商売はない」って。ハマるといっても、名人と呼ばれるようになるとか、テレビの売れっ子になるということばかりではない。
年に一度、300人規模の会場で独演会を開催することを目標にしてそれを実践できればその人にとっては成功だし、中小企業のスポンサーをいくつも持って、パーティーの司会で稼いでいくのも芸人としての一つのウデでしょう。
そんないろんなタイプの芸人が次々に出てくるのが寄席というところなんです。だから寄席で何かを学ぼうなんて考えないほうがいい。

落語に出てくる人間って、失敗してもヘラヘラ笑って、それでいてくだらないことで悩んで、じつにバカバカしい連中ばかりです。
でも、落語の世界ではそんな連中でも生きていけている。その姿を見て、張りつめているものを少し緩めることができればいいんじゃないかな。
寄席は学びに来るよりも、癒やしを求めに来るくらいの感覚がちょうどいいと思うんです。
僕は寄席って「足湯」みたいなところだと思ってます。「温泉」となると、それなりに計画を立てて、相応のお金を払って行く感じですが、足湯ってもっと気軽じゃないですか。
駅前でタダで浸かれるし、温まったらスッと出ていける。それくらいの気楽な感覚で寄席を利用してほしいですね。

※本記事のタイトルバナーで使用している文字は、株式会社昭和書体の昭和寄席文字フォントを使用しています。
この記事はドコモビジネスとNewsPicksが共同で運営するメディアサービスNewsPicks +dより転載しております 。
執筆:長田昭二
写真:小田駿一
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)
編集:奈良岡崇子