“パワハラ君主”といえばあの武将
上司による有形無形の過剰な圧力。現代ではそうしたパワーハラスメントが害悪と認知され、それを放置しないことが企業にも求められるようになりました。いいことです。
筆者も若いころ所属した会社で「一生、下積みでやっていく覚悟はできたか」などと上司に声をかけられたものです。「いやいや、それだったらこの会社を辞めますよ」と思いましたが、もちろん口には出しませんでした。
しかしやはり今でも「この人、圧が強いな」と感じる人はいます。フリーランスなので、そうした人との仕事は(お互いに)続きませんが、関わるとまずいと感じる人は、今でもいるものです。
歴史的に見て「圧が強い上司」といえば、やはり織田信長が浮かぶでしょう。この人の場合は、仕事ができると見た人にはがっつり大きな仕事を与えた。
そこはいい点でもありますが、ネガティブ面としては、目をかけた部下はどんどん前線に送られることになり、命を落としてしまう人もいました。
「生き残ればヨシ。命を落としたら、それはそれで是非もなし」
そういう育成方針だったのでしょうか。職場としてはなかなかハードな環境です。
信長の後継者となった豊臣秀吉の場合は、かつては「あまり人を殺さない陽気なリーダー」という人物像で語られてきました。
しかし現代では「逆らえば容赦なく命を奪う」という専制君主な部分がフィーチャーされるようになり、こちらもけっこうパワハラのイメージが強い。実際、千利休はあれほど重く用いられたのに秀吉に命を奪われています。
「万人恐怖」と称された暴君
日本史上でもっとも圧が強いパワハラ上司といえば、それはもう足利第6代将軍の、足利義教といって、間違いないでしょう。カチンとくれば、天皇のお母さんでも罰してしまう。この人の政治は「万人恐怖」と称されました。
足利義教は「くじ引きで将軍に選ばれた」というエピソードでも有名です。先々代将軍は足利義持。この人は武士だけではなく貴族も支配するという、強力な権力を誇った足利義満の息子。
しかし父とは折り合いがよくなかったらしく、自分が将軍になると、父と違って融和的な政治を行います。
義持の時代は世の中もまずまず安定していたのですが、この人は入浴の際、尻の傷を掻きやぶったことが原因で病床に伏し、亡くなってしまいました。抗生物質のない時代、治りかけの外傷でも油断できません。
義持は最後の段階になって、周囲から後継者の指名を求められましたが、断ります。
息子、義量はすでに亡くなっており、候補となるのは義持の弟4人。しかし全員がすでに僧侶になっていて、適切な候補者がいない。それに自分が指名しても、大名たちに支持されなければ意味がない。あとでみんなで決めよ、ということだったらしいです。
イカサマ疑惑とバイオレンスの始まり
ここで働いたのが、幕府の政治に深く関わっていた真言宗の僧の三宝院満済。彼はくじ引きで次の将軍を選ぶことを提案しました。くじ引きというと運任せのようですが、神意を問うということにしたのです。少なくともそれが建前でした。
義持が没すると、石清水八幡宮に出向き、そこでくじを引く。現れた名前は義円。天台座主の高僧。後の義教でした。
ちなみになのですが、このくじ引きに関しては、昔から「イカサマ」との噂が根強いです。
3回引いて、3回とも結果が義円だったという話があるのも怪しい。くじに関わった満済や畠山満家が、のちに義教の側近になっているところを見ると、イカサマもありそうな話ではあります。
こうした経緯を経て室町幕府のトップとなった義教ですが、元はお坊さん。そして神意で選ばれたリーダー、にしてはなかなかバイオレンスなお人柄で、中山定親という貴族の記録によると、公卿と神官“だけ"で62名もの人が処罰されたそうです。
その中には関白経験者や天皇のお母さんさえいたといいますから容赦ありません。もちろん武士や庶民を合わせると罰せられた人はもっと多くなります。
常套手段だった「安心させてから処刑」
この人は、とにかく沸点が異常に低い。儀式の最中にふふっと笑ってしまっただけで、所領没収。
当時、都では闘鶏が流行していたのですが、それに自分の行列が遮られたために、都から鶏を追放してしまう。僧侶時代に、アンガーマネジメントを学ぶことはなかったのでしょうか。
実は義教の兄の義持も、政治家としては穏健派でしたが、個人の人柄はものすごく短気だったそうです。この兄弟は、そうした気質だったのかもしれませんね。
贈られた梅の木の枝が1本折れていたというだけで庭師3人を処罰。担当武士の家来5人のうち3人は逃げてしまい、残る2人は切腹になりました。
その後、木を贈るときは40~50人も手配して粗相がないように気をつけたそうです。担当者たちは生きた心地もしなかったことでしょう。
料理人のつくった食事がまずい、ということで料理人たちを罰したこともあります。しかも一度、追放したあと「許す」と伝えた。それでよろこんで帰ってきたところを処刑しています。
このように一度、安心させてから命を奪うのが常套手段だったと言いますから(『籤引き将軍足利義教』今谷明)、なかなかえげつないお人ですね。
まさに「万人が恐怖」したことでしょう。ブラックを越えて、もはや暗黒の闇を感じさせます。
高圧的なリーダーシップの限界
義教の手は、ついに大名にまで及ぶようになります。4カ国の守護、一色義貫と伊勢国の守護、土岐持頼が将軍の刺客に暗殺され、その所領が分配されるという事件が起こる。
大名たちの間に不安が広がります。そうした中、大物大名の赤松満祐が次のターゲットだという噂が流れました。
赤松側は先手を打って、満祐を隠居させる。その上で、
「鴨の子がたくさん生まれたので、泳ぐ姿をぜひ見にきてください」
と将軍を誘い出します。
そして赤松邸で宴に興じるところを襲撃し、義教をあの世に送ってしまいました。「嘉吉の乱」の勃発です。現職将軍が家来に殺されたわけで、幕府は大混乱に陥る。最終的に赤松満祐は滅ぼされますが、将軍の権威もがっつり損なわれることになりました。
義教の跡はまだ幼い息子、義勝が継ぎますが、早くに亡くなります。ついで将軍に立ったのが足利義政。あの銀閣寺をつくった将軍です。
文化人としては一流。しかし政治家として、そして夫として父としては、まるでダメだった人です。この人の時代に「応仁の乱」が起こり、世は戦国時代に突入していくことになりますが、義教の政治はその大きな要因となっていました。
自分が上であることを示すために高圧的に出る。こういう人は「自分が下に出たら負け。ナメられたら終わり」という思想の持ち主であるものです。
確かにビジネスは、きれいごとだけではすまないこともあります。そうした戦闘意欲(?)が必要なときもあるかもしれません。
しかしそうしたマインドはライバル企業に向けるべきであって、所属する組織の中で上下関係を誇示するタイプの人は、現代ではサステナブルとはいえない。義教のように、どこかで足元をすくわれることになる。
外国とくらべるとわりにマイルドな日本史の中で、義教は珍しくはっきりと暴君、専制君主な人でした。それだけに長持ちもしなかった。そう感じます。
この記事はNTTドコモビジネスとNewsPicksが共同で運営するメディアサービスNewsPicks +dより転載しております 。
執筆:堀田純司
イラスト:瀬川サユリ
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)
編集:奈良岡崇子








