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2025年11月20日

吹田から夢洲へ――母から娘へつながった万博体験記

10月13日、大盛況の中、惜しまれつつ幕を閉じた2025年日本国際博覧会(以下、大阪・関西万博)。NTTパビリオンも連日多くのお客さまをお迎えしたが、それを支えたのが全国のNTTグループから集まったスタッフたちだ。

実はその中に、1970年日本万国博覧会(以下、大阪万博)と今回と、親子2代にわたってパビリオンスタッフとして参加した方がいる。NTTドコモビジネス ビジネスソリューション本部 事業推進部の山下紀久子さんだ。山下さんのお母さまが知る万博、山下さんご自身が体験した万博、それぞれを振り返っていただいた。

通信事業社の一員としての思いが、万博参加のきっかけに

パビリオンスタッフとして勤務する山下さん

「自分が子どものころにはつくば万博(正式名:国際科学技術博覧会)があり、万博には先端科学技術を楽しく見せてくれるというポジティブなイメージを持っていました」と話すのは、今回大阪・関西万博にスタッフとして参加した山下さんだ。

なんとなく好意を持っていた万博だが、NTTグループの一員となった今、「さまざまな出展者が少し先の未来を見せてくれますが、その中でも通信技術ほどその進歩が人の幸福感に直接作用するものはないと思います」と少し誇らしい気持ちも持っている。

その気持ちをさらに強くしたのが8年前。ご両親と大阪・吹田市の万博記念公園を訪れた時だ。55年前の大阪万博の電気通信館でワイヤレステレホンの展示をしていたことを知り、「この時代の夢の続きに私たちがいるのだ」と感動を覚え、今回の大阪・関西万博の募集を知ってすぐ、「応募したいです!」と上長に申し出た。

NTTグループのパビリオンスタッフは社内応募者からの抽選で、かなりの倍率だったが、山下さんは見事当選! パビリオンスタッフとして大阪・関西万博へ参加することとなった。

人をつなぎ、家族をつないだ万博参加

実は、山下さんのお母さまは、1970年の大阪万博でパビリオンスタッフとして活躍した経歴を持つ(昔は“ホステス”や“コンパニオン”という名称だったらしい)。

その時のことは、お母さまから伝え聞いている。なんと当時は、今の新卒の就職活動のように、大学にさまざまな企業の万博スタッフ求人票が届き、お母さまはそこに応募。卒業と同時に勤務が始まったという。「母は関西の大学出身だったので、どのパビリオンにも同級生がいたと言っていました」と山下さん。

お母さまはIBMのパビリオンの専任スタッフとして、“教室大のコンピューター”の端末操作説明などをされていたそう。

「母の友人のアルバムを見せてもらったのですが、そこに『漢字印刷装置試作品』という付箋が貼ってありました。カタカナでタイプした文章を3秒ほどで漢字とひらがな文に変換する様子や、今でいう音声認識のような、お客さまが生年月日を言うとその日のニュースをコンピューターが答える、といった展示をしていたようです」

パビリオンの仲間たちと記念の一枚

大阪万博と言えば、高度経済成長期真っただ中で、勢いづく日本を象徴するような存在。そんな憧れの舞台でスタッフとして活躍したお母さまだが、実際は華やかな反面とにかく忙しく、他のパビリオンにはほとんど行けなかったという。ただ、そこで共に過ごした仲間とのつながりはかけがえのないもので、パビリオンスタッフの同窓会はその後何十年も続き、今もご縁がつながっているそうだ。

「展示の内容も鮮明に記憶しているようで、とても詳しく話してくれました。母にとっても人生における大イベントだったのだと思います」

いわば、万博の“先輩”であるお母さまだが、今回山下さんがスタッフとして参加することが決まった時は驚いた様子で、「こんなに娯楽がたくさんある時代に、みんな喜ぶのかしら?」と気をもんだという。もちろん、そんな心配は要らないくらい今回の万博も大盛況となったのは周知の事実。山下さんの勤務した時期は真夏で、高齢のご両親の来場は難しく、残念ながら娘の晴れ姿を会場で見ることはかなわなかったが、期間を終えて写真を見せると、「楽しかったみたいで良かった」と、とても喜んでくれたという。

代わりに家族を代表して、義理のお姉様と中学生になる姪っ子さんがNTTパビリオンに来訪。姪っ子さんは、「Zone 3のAnother Meが面白かった、すごい技術だと思った!」と興奮気味に話し、お義姉様も「あれからIOWN®関連の記事が目に留まるようになった」とNTTパビリオンの影響力は絶大だったようだ。

山下さんは「3代目も将来の万博に登場しないかな」とひそかな期待を抱いている。

来てくれた姪っ子さんとNTTパビリオン前で

来てくれた姪っ子さんとNTTパビリオン前で

できることはなんでもやる! 全力でおもてなしをした誇りを胸に

万博スタッフ体験が、お母さまから娘の山下さんへつながったこともあり、NTTパビリオンに吹田と夢洲をIOWN®でつなぐコンテンツがあると知ったときはうれしかったという。特に、Perfumeが1970年の電気通信館のスタッフ衣装を着て卵型ブランコに座っている映像を見た時は、「おお!」と感動したと話す。というのも、家族で吹田の万博記念公園に行った時、ワイヤレステレホン展示コーナーで目にしたそのブランコがとてもかわいらしく、デザインが素敵だなと、電気通信館スタッフの衣装と併せて写真をスマホに納めていたのだ。

山下さんがスマホに収めた2枚。Perfumeの映像はこちらをご覧ください。卵型ブランコは冒頭部分です。

山下さんがスマホに収めた2枚。Perfumeの映像はこちらをご覧ください。
卵型ブランコは冒頭部分です。

パビリオンスタッフとしての業務は、受け付け、場内対応、場外対応をローテーションで行った。遅番とはいえ今年の夏の暑さは堪えたが、やりがいを感じていたという。中でも、パビリオンが閉まった後にペンライトを振ってお客さまをお見送りするミッションは、一番のお気に入りだった。

「楽しい思い出を抱えて会場を後にするお客さまの笑顔が素敵で、こちらも幸せな気持ちになりました。皆さんが笑顔で手を振り返してくださることも多く、小さなお子さんがこちらに駆け寄ってきてハイタッチを求めるといううれしい出来事もありました」

勤務最終日はいつまでもその場を立ち去りがたく、撤収の声が掛かりスタッフ棟に向かいながらも「最後まで全力!」とみんなでペンライトを振り続けたという。

好評だったポンポン

また、パビリオンスタッフならではあるエピソードを紹介してくれた。NTTパビリオンのZone 2は3D映像に加えて足元の振動でもIOWN®を実感していただくプログラムだが、車椅子に乗ったお客さまはタイヤが振動を吸収してしまい、そのままでは体感できない。そこで“ポンポン”と呼ばれる秘密兵器が用意されていた。床とシンクロして振動を伝えるボールのようなもので、車椅子のお客さまはこのポンポンを持つことで、皆さんと同じ振動を手で体感していただけたという。これがとても好評で、山下さんがZone 2で応対したお客さまも、返却の際に「これ、いいねぇ。面白いねえ」と喜ばれたそうだ。

「このポンポンをどなたが思いついたのかお聞きしていないのですが、IOWN®の技術を体感していただくため、パビリオンを最大限楽しんでいただくため、できることは何でもやる、という強い意志とプライド、そして思いやりを感じました」と山下さん。良い刺激を受け、自身も普段の業務の中で、お客さまのビジネスにNTTドコモビジネスの技術を最大限活用いただくためにできることは全てやっているか、まだあるのではないか?と思うようになったという。

最後に、万博に携わった皆さん、そしてグループの皆さんにメッセージを頂いた。

「万博に携わったことでIOWN®とNTTグループへの親しみが増しました。ご一緒した第28期遅番スタッフの皆さんとも初日に夢洲駅に集合してすぐ、そこかしこで会話が弾み、その日の夕方にはもう昔からのチームのようになっていました。

NTTディレクターの方が『常にフレッシュなメンバーがお客さまを全力でおもてなしする、中だるみ知らずのパビリオン。それがNTTパビリオンの強み』とおっしゃっていましたが、本当に、全国からパッと集まったメンバーが一致団結して全力でお客さまをお迎えしている姿が素晴らしく、青と赤のダイナミックループの力の結実に感動しつづけた5日間でした。現地でお世話になった皆さん、送り出してくださった所属組織の皆さん、本当にありがとうございました」

第28期遅番スタッフメンバーと

第28期遅番スタッフメンバーと

社員メッセンジャー

NTTドコモビジネスビジネスソリューション本部 事業推進部 カスタマーサクセス部門

山下 紀久子

外資系企業へのカスタマーサクセス活動(リテンション営業)を担当しています。2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)では7月29日~8月2日の5日間、パビリオンスタッフとして参加しました。

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