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「家族の会社は潰せない」釣り糸機械から高級寝具へ(第1回/全3回)

連載第1回では、もともとは機械製造会社だった伯父から引き継いだ会社を寝具メーカーに転換させた理由。2回目は、社の明暗を分けた商品開発とマーケティング戦略を取り上げました。
エアウィーヴは2022年の秋、上場を予定していたが、昨年5月に一旦凍結をしました。背景には、2024年にパリで開催されるオリンピック・パラリンピックオフィシャルサポーターの契約を締結したことに加え、さらにその先を見据えた展望があります。

「一度は失敗したアメリカ進出に、2023年に改めて挑戦することにしたのも、これが理由です。上場すれば株式を公開して、業績予想を立てて……と、お決まりの数字を公表することになりますが、不確実なことが多い海外展開と上場を同時並行させるのは、なかなかしんどい」
「それならば、まずは非公開の状態で海外展開に注力しようと決めたのです。一定期間やってみてから、上場は改めて判断します。まずは、1万6000床の寝具をパリ大会の選手村に入れる準備を始めて、それから本格的にアメリカ市場へ再進出します」
浅田真央をアンバサダーに迎えた時期を境に、2011年から急激に拡大し続けていたエアウィーヴは、さらに大きなマーケットを求めて、2015年、ニューヨークのソーホーに路面店を出店し、アメリカ進出を果たしています。

しかし、30億円以上の投資をしたものの、2017年後半には事実上の撤退を余儀なくされた。経営トップである高岡社長が、1年の半分以上を海外で過ごすようになり、国内事業がおろそかになったことが主な原因です。社員の士気も下がり、多くの社員が去っていきました。
残った社員全員で、マットレスパッドを売ることの難しさを改めて認識するために、売り場で売り子をしました。マットレスパッドを作る難しさを改めて知るために工場に出向き、工場で組み立ての手伝いを経験しました。

「どんどん商品が売れていく時期に入社した人たちは、会社の成長局面が弱くなった時期に辞めていってしまいました。人が働く理由は、食べていくため、そして、仕事を通して社会とのつながりをもつため。私はこの二つが大きいと思っています。もう一つは、自身の成長のためでしょう。エアウィーヴは成長しているし面白そうだ、と会社の哲学を理解するよりも前に、外から見た印象で入社した社員が働き続けていくのは、簡単なことではありません」
エアウィーヴが世間的にその名を知られるようになる前に入社をして、会社の哲学を理解しながら自身も成長していった30代の社員の一人は、現在、役員を務めているといいます。
失敗は次の一歩を踏み出す力になる
アメリカ事業での失敗が再起の足がかりに
2004年に、エアウィーヴの前身「株式会社中部化学機械製作所」を伯父から数億円の赤字とともに引き継いだ時から現在に至るまで、高岡社長は度重なる事業の浮き沈みを経験しています。計画通りに事業が進まなかった時に、その失敗の経験を生かして次の一手を打つことができるのも、高岡社長の強さでしょう。
2008年の北京オリンピックでは、人気の日本代表選手が選手村にエアウィーヴを持ち込むも、効果は全くありませんでした。
それを教訓に、2010年のバンクーバーオリンピックでは、開催前から宣伝活動を始め、選手個人だけではなく、彼らのトレーナーたちにも自社の商品を配布して、評判が広まることを狙いました。
結果として、商品を渡したトレーナー経由で浅田真央との縁が生まれ、その後の売上にも大きく影響するアンバサダー契約を結ぶことになりました。

2015年のアメリカ進出失敗から生まれたのが、現在の主力商品にもなっている「3分割マットレス」です。
日本国内の工場で生産した大型のマットレスは、アメリカ国内での輸送過程で半数以上の梱包が破損していて、クレームや返品依頼が相次ぎました。

もし、マットレスを3分割にしていたらどのような結果になっていただろう、と高岡社長は考えました。マットレスを分割して輸送し、お客様に組み立ててもらう商品を製造することができれば、大きくて配送にも手間がかかるという課題解決にもつながるはずです。
簡単にも思える発想だが、分厚いマットレスを3つに切断するには、刃がぶれて分割したマットレスの幅がそろわないことも想定され、全社員が反対したといいます。
「マットレスを分割するなんて非常識だ、売れない、とみんなに言われました。それに対して私は、非常識なのはわかったから一度作ってみてくれと言いました。最初から全てを切り替えるのではなく、まずは100個作って、ネット上で売ってみようと思ったのです」
3分割マットレスを作る新しい機械を導入する金銭的な余裕もなかったため、切断機のパーツを手探りで改良しました。そして、アメリカから撤退した翌年の2017年春には3分割マットレスの販売をスタートさせたのです。
東京2020大会の選手村で使用されたのも、この3分割のベッドマットレスです。さらに表裏で硬さの異なる3つのブロックを選手たちの体形に合わせて入れ替えることができるようにしました。
例えば、体全体に筋肉がつき、腰の部分が重い柔道選手には、腰の部分が硬めになるようブロックを組み替えます。肩幅が広く、水の抵抗を最小限にするために凹凸の少ない筋肉をつけている水泳選手には、肩まわりが柔らかくなるようカスタマイズすることで、背骨がまっすぐになり、理想的な寝姿勢を保持することができます。
これが東京2020大会の関係者たちからの評判を呼びます。
3分割マットレスは、国際オリンピック委員会にもその評判が届きました。2024年のパリ大会では、ヨーロッパを拠点とする世界的なベッドメーカーも候補にあがっていた中で、エアウィーヴが選手村の寝具として採用されました。

オリンピックで使用される寝具として評価が高まることが期待できるが、高岡社長が目指すのはエアウィーヴの名が単に広まることだけではありません。「体形に合わせた寝具こそが、本当にいい寝具だ」という信念が、世界レベルで標準化されることだといいます。
オリンピック‣パラリンピック選手の中には、2度、3度と出場するアスリートもいます。「東京大会の選手村の寝具は寝心地がよかった」と思い出で終わってしまったのでは、エアウィーヴにとっては意味がありません。
「オリンピックの時に出合える、自分の体形に合ったマットレスはぐっすり眠ることができて、質のよい睡眠が約束される」ことが世界中の選手にとっての常識になることを目指しています。

自身を中央ではなく
隅に置くことのできる経営者の精神構造
3分割マットレスを含め、これまでに社員が高岡社長に反対したことは一度や二度ではありません。
東京2020大会で選手村のマットレスを作るよりも前の2013年、日本オリンピック委員会のオフィシャルパートナーになりました。しかし、その協賛金は当時、売上100億円程度のエアウィーヴにとって半端な額ではありません。社員たちが反対したのももっともだが、この投資がその後のエアウィーヴとオリンピックの関係性の礎になっているのです。

「私の仕事は、社員全員がわかっていることを決定するのではなく、自分の信念に照らし合わせながら、まだ誰も気づいていないけれど会社にとっては正しい、少し高い目標値へと引っ張っていくことです」
高岡社長は嬉々としてこのように語ります。
高岡社長が続けてきたのは、マーケットが縮小している時や業績が落ち込んでいる時でも、無駄な部分を徹底的にコストカットして、小さいながらも利益率を高める投資でした。
マーケットが縮んでいても、前年比でいきなり半分になるわけではありません。市場が3%縮めば、3%の利益が減るが、自社が10%の改善をすれば増益になります。そんな工夫を怠らないといいます。

「私たちのような中小企業は、オーガニックな成長だけでは会社は発展しない。少しでも利益を出しながら、将来を見据えた真面目な投資を続けていくべきだと思っています」
高岡社長は、新たな市場を常に追い続けています。
アメリカへの再進出に向けては、ロサンゼルスで2023年から2024年にかけて店舗を出店するための準備を進めています。
日本とは異なるアメリカのマットレス市場や、また、お客さんの構造やチャネル構造の違いを細かく分析した上で、今回は日本で販売している商品を販売するのではなく、アメリカ向けの商品開発を進めています。また、パリ五輪のタイミングに合わせ、アメリカでのB to Bの事業構想も進行中だといいます。
「The Quality Sleep 眠りの世界に品質を」という理念を海外にも広めていくことについて、若手社員の多くが前向きな反応を示しているそうです。
「中堅社員から上のシニア層の中には、吹っ切れていない社員もいるかもしれませんね」と笑いながら言うが、常に新しい手を打ってきた高岡社長からは、海外展開が楽しみだ、という気持ちしか感じることができません。
「中小企業の社長なら、宴会で真ん中の席に座って、毎日ゴルフをすることもできるでしょう。でも私が学生時代、アメリカ留学中に見てきた経営者たちは、一度事業が成功しても、また新たな事業を立ち上げ、自分自身で売り歩くような人たちなんです。私の性に合っているのは後者の在り方」
高岡社長は、社長になってからも、海外のカンファレンスなどに一人で出かけ、「無名の社長」として会社の資料を持ちながらプレゼンしています。

「それは苦になりません。そんな姿勢がビジネスチャンスにつながることもあります。旧態依然とした中小企業の社長のやり方では、新しい手を打つことはできませんから」
インタビューに自ら応じた高岡は「常に自分が小さな存在であることに抵抗がない」と語ります。
いつでもゼロから始めることを楽しめる経営論が表れているようです。
「銀行だって合併をしたし、物流業だってEコマースができた。数十年間ずっと事業環境が変わらない業界は、世の中を見ても一つもありません。それならば、自分の常識にとらわれすぎないように、そして、会社と社員を守るためにも、本業転換は経営者が持っておくべき選択肢のひとつなのではないでしょうか」
伯父の会社だから潰すわけにはいかない、と2004年に引き継いだ機械製造会社は今、世界の一流アスリートから指名される寝具メーカーとして、アメリカへの再進出、2024年のパリ五輪に向けて、繁忙期を迎えています。


この記事はドコモビジネスとNewsPicksが共同で運営するメディアサービスNewsPicks +dより転載しております。
取材・文:守屋美佳
編集:松浦美帆、野上英文
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)