マンガ編集者は「人をやる気にさせる」プロ
今の日本で、世界トップクラスの国際競争力を誇る分野。「マンガ」が、その代表であることに異論のある人は少ないでしょう。
この8月末にもNetflix製作「ONE PIECE」の実写版が配信開始されましたが、その反響は大きく、グローバルな関心度の高さがうかがわれます。
昨年末から今年1月にかけては全世界を対象にした「NARUTO」の「キャラクター人気投票」が行われました。結果、全世界からなんと約460万もの投票を集め、主人公ナルトの父、波風ミナトが1位に選ばれています。
昨年12月に公開された映画「THE FIRST SLAM DUNK」が今年4月には中国で公開され、日本以上の観客動員を見せた話も有名です。
こうしたマンガの世界の主役はもちろんマンガ家。しかしクリエーターだけでは分野は発展しません。いわばプロデューサーにあたる編集者の存在も、マンガにおいて重要であるはず。
編集者に求められる資質はさまざまでしょう。マーケットの分析能力、ストーリーやキャラクターの発想をサポートする能力、ラインプロデュースの能力など。もちろんそうした高度な技術も“あれば”望ましいでしょう。
しかし究極的に言ってしまうと、編集者に求められる資質はたった一点に集約されると感じます。それは、この人と働くとやる気が出る。
文字作品と違って「絶対的に自分では描けない」という性質を持つマンガ編集者の仕事は、とにかくやる気になってもらわないとはじまらない。つまり彼らはある意味で「人をやる気にさせる」ことのプロフェッショナル。
実際に彼らは描き手のテンションを上げる、維持することにおいて、意外なほど「自覚的なスキル」として捉え、伝統として受け継がれてもいるのです。
この分野の「人をやる気にさせるスキル」は一般社会、特にフラット化した現代のビジネス環境においては有効かもしれません。
たとえば2002年にノーベル化学賞を受賞した島津製作所の田中耕一さんは、マンガ文化がその発想の鍵になっていたそうです。世界最高の競争力を誇る分野の伝統技術、学んでみるのはいかがでしょうか。
「電話では元気よく」「取引先にグチを言わない」
人にやる気をもたらすためには、まず自分に活気がないとはじまりません。オンオフを上手に切り替えて、いつも電話には勢いよく出る習慣づけを。
これが意外に重要で、実際に筆者はマンガ編集者時代に、ある大家のマンガ家さんに「いつも覇気のない声で電話に出られると、こちらの気分が落ちるので困る」と怒られたことがあります。
これはビデオチャットでももちろん同じ。LINEやメッセンジャーなどテキストベースのやりとりでも、なぜかマンガ編集者の連絡は一言多かったりします。
「取引先にグチを言わない」はビジネスパーソンというより、社会人の基本中の基本ですね。気安い、会社の同期と飲んでグチるのはいいんです。しかし取引先とは、どんなに親しいと感じていてもダメ。そこは一線を引きましょう。
グチというものは、環境が違う相手にはテンションを下げる効果しかありません。編集者の場合、これをやるだけで周囲からはもう「プロ」とは見られなくなります。グチりたいときは学生時代の友だちと飲みましょう。
否定から入るのはNG。感謝の言葉をまず先に
成果物を受け取ったときは、まず「ありがとう」。これは編集技術の基本にして奥義のようなところがあります。
たとえば自分が仕事を発注する側だからといって、頭から否定するような態度に出てしまうと、相手も「死んでも直すものか!」という気持ちになるものです。それでは悪い循環に陥り、結局、誰もいい仕事はできません。
まず「ありがとう」の気持ちを忘れずに。そのうえで、指摘すべきところは指摘する。たとえば修正を依頼するにしても、いきなり頭から、「ちょっとここがダメなんでここ直してもらえますか」と指示されるのと、「ありがとうございます! めっちゃ面白かったです。ただ、ここだけ、ここだけもったいないのでちょっと直してもらえますか」 と言われるのでは、受け取られかたが天と地ほども違うもの。と言われるのでは、受け取られかたが天と地ほども違うもの。
あとから「そこを直すと全体直すことになるんですけど!」と気がついても、いい気分で取り組めるというものです。
批評や分析は人の心を動かさない
また「批評や分析は心を動かさない」も大事。「やる気」とは論理ではなく、エモーショナルな領域です。つまり感情。感情に訴えるためにはこちらも感情を見せるしかない。
たとえば「A展開とB展開、どちらがいいかな」と相談されたとして、そこでいきなり分析や批評をはじめられても相手の心は、基本的には動かない。
「人の心を動かすのは理性ではなく感情。理性は感情の下僕でしかない」と哲学者のヒュームも言っています。
数学者の岡潔さんによると、数学でさえ重要なのは感情だそうです。素直に「自分はこれが好きだ」と自分が肯定するものを見せることは大事です。
ゼロからイチ、無から有を生み出すタイプの人の予定は具体的
ビジネスパーソンもさまざまで、引き継いだプロジェクトを育てることが得意な人もいれば、ゼロからプロジェクトを立ち上げることに長けた人もいるでしょう。
マンガ編集者も同じで、全員が作品をプロデュースすることに長じているわけではない。
意外と「ゼロからイチ、無から有を生み出す」タイプの人は限られるのですが、そうした人を見ていると、ある共通する習慣があることに気づきます。それは「予定が具体的なこと」。
たとえば「ぜひ今度いっしょに仕事しましょう。あらためてランチでも」といったとき、「ゼロからイチタイプ」の人は、その場で予定を確認して「では9月の第2週はどうですか?」と提案する。
しかしふつうは「追ってまた連絡しますよ」という人も少なくないものです。
もちろん「いっしょにやろう」が社交辞令の場合も多いでしょうが、本気の予定はその場ですぐ具体的に決める。これは見ていると、できる人は自分に強いて習慣づけているのがわかります。
おって連絡のほうが楽ですけど、そこでグッと力を入れることでプロジェクトは実現に近くなる。そういう「コツ」をよく理解しているのでしょう。
万能である必要はない。自分に合った武器を見つけよう
しかし、こういう例を出すと「編集者はなんでもできる万能の人」みたいに聞こえるかもしれませんが、まったくそんなことはありません。
才能、能力というものは多様なもの。編集者もなにかひとつ自分の武器を見つけることができればいい。
もちろん「この人の言う通りにすれば大ヒット確実」であれば最高でしょうが、誰もが将棋の藤井聡太さんやエンゼルスの大谷翔平選手のような才能の持ち主ではない。
クリエーティブな能力に秀でたファンタジスタである必要はなく、実際のところ「約束の時間をきっちり守る」「ラインをきっちり回せる」「返信が確実」というだけで、十分に優れた編集者になれます。
真面目な話「いつも気の利いたスイーツを選ぶ」「アシスタントの人たちのためにお弁当をたくさん差し入れする」といった配慮に自分の活路を見いだす人もいて、それはもう十分に有能な人です。
AIが普及していく現代社会。便利なツールはどんどん使われるべきで、効率化は今後も進んでいくでしょう。そうして効率化が進むほど最後に問われるのは「個性」というリアリティー。
そうした環境では、クライアントとコントラクター、上司と部下といったある意味、明確な序列よりも、個性と個性のネットワークが重視される。
そうした時代こそ、ビジネスパートナーでもあり、友人でもあり、先輩と後輩でもある、あらゆる人間関係の要素を内包するマンガ編集者の技術は意味を持つようになっていく。そんな気がします。
この記事はドコモビジネスとNewsPicksが共同で運営するメディアサービスNewsPicks +dより転載しております。
執筆:堀田純司
イラスト:瀬川サユリ(堀田氏プロフィール)
デザイン:山口言悟(Gengo Design Studio)
編集:奈良岡崇子