選手FOCUS / IN FOCUS

山下 弘資 Kosuke Yamashita

フォワード・NO.8 / FL

高い身体能力、日本人離れしたプレーが光る山下選手。和製No.8が活躍するチームには強豪が多い傾向から、彼の成長がチームのレベルを1つ2つ押し上げるのではないかと期待する向きも少なくない。

山下 弘資

カリスマ監督率いる筑紫高校で基礎を築く

――ラグビーとの出会いは何歳のときですか?

小学5年生の終わりごろに、友達に誘われてスクール(つくしヤングラガーズ)に入りました。3歳から水泳をやってきて、そろそろ別のスポーツをやりたかったんですよね。

僕の通ってたスイミング・クラブでは毎週、4種目(クロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ)の中から1つ選んで50mのタイムアタックをして、自己記録を更新したらスタンプを1つ押してもらえたんです。スタンプが10個たまると白いキャップ、20個で赤、30個で黄色のキャップがもらえるんですけど、その黄色のキャップをゲットしてからやめようと思って。自己ベストを毎週更新するのって結構キツいんですけど、やめたい一心で(笑)頑張って達成しました。今でも、平泳ぎなら多分、いつまででも泳いでいられます。

――水泳で体がしっかりしていれば、ラグビーでもすぐに活躍できたんじゃないですか?

スクールに入ってすぐ新人戦があったんですけど、いきなりWTBで出て、県大会3位になりました。同期に有田隆平(現在はコカ・コーラウエスト所属)がいましたしね。

――ラグビーは最初から楽しかった?

いや、水泳からラグビーに転向したので、グラウンドで擦り傷ができるのが辛かったです。膝とかずる剥けになっちゃって。水の中ではそんなこと起きないから、衝撃的でした。

ラグビーっていうより、チームの雰囲気が楽しかった。違う小学校から来た友達とも仲良くなって。練習後にチームメイトと遊んで帰るのが凄く楽しかったです。ずっと外で仲間と遊んでるのが好きな子どもでした。何時までに帰ってきなさいって言われても守れなくて、よく叱られましたね。

――では、中学に入ってもスクールに通い続けていたんですか?

中学ではバスケ部に入りました。小学校の先輩や友達も入部していたので、なんとなく入ったんですけど、やってみたら楽しくて。バスケ部の先生に「二足のわらじは履くな」と言われたので、ラグビーはしばらく休みました。バスケ部にはミニバス出身者がいなかったけど、運動神経のいいやつが多くて、どんどん強くなっていくのが面白かったですね。僕はセンターでした。

僕らの代は運動が得意な子が多かったんです。体育の授業でマット運動をやったときも、ロンダート、バク転、バク宙、側転、前宙なんでも連続技で決める人がうじゃうじゃ出てきて。体育の先生が今もそのときのビデオをお手本として生徒に見せてるらしいです。

――ラグビーを再びやるようになったのは?

中学3年生のときです。やっぱり、ラグビーの仲間とも会いたかったし、やると楽しいし。それで、中学校の先生に筑紫高校を受けてみたらと言われ、スポーツ推薦を受けることにしました。バスケも好きだったんですけど、中学の体育の先生に「お前はラグビーに向いてる」って勧めてもらいましたし、筑紫高校って県内ではかなり強いほうで、スクールのキャプテンが筑紫を志望していたので、また一緒にやれたらいいなという思いもありました。

――強豪校の練習って、やっぱり厳しいんですか?

辛かったですね。こんなにキツいんだ、と思いました。疲労骨折する人もいて。

――試合にはすぐ出られるようになりましたか?

1年生の秋からリザーブでメンバーに入るようになって、2年生からはレギュラーになりました。最初はCTBとWTBをやってたんですけど、1年生の途中からLOとFLをやり始めて、3年生でNo.8になりました。

――バックス(BK)からフォワード(FW)への転向に戸惑いはありませんでしたか?

BKをやってた分、動きが俊敏だったので、ラインアウトのボールをどんどんキャッチできて、楽しかったです。アタックの場面でも、FWって自分の好きなところでボールをもらえるし。

僕はボールキャリーが好きなんですけど、3年生になるとラインアウトやスクラムからボールをもらうサインも増えていって、すごく面白かったですね。

――高校時代の戦績はどうでしたか?

2年生の新人戦は県大会で東福岡に勝って、全国高校選抜大会に出て、常翔啓光学園に僅差で負けました。ちなみに、その大会は啓光が優勝しました。だから、その年は花園に行けるんじゃないかと思ったんですけど、花園予選の県大会で東福岡に1点差で負けてしまいました。3年生のときも花園は県予選で東福岡に負けました。1トライ差だったと思います。3年間の全てを賭ける気持ちで挑んだ試合だったので、負けた瞬間は、それはもうブルーでしたよ。といっても、夜には初めて同期全員で集まって近くの温泉へ行ったり、散歩したりして3年間の思い出に浸ってました。ずっとラグビー漬けだったから、仲間とお泊り会ができたのは楽しかったです。

――監督は西村寛久さん。ドキュメンタリー番組を拝見しましたが、厳しい先生ですよね?

厳しくて怖くて(笑)。でも、今となればそれでよかったなと思います。「限界を自分でつくるな」と言われたのが印象に残ってますね。間接的に言われたんですけど。担任の先生がラグビー好きで、いろいろ気にかけてくれていて「『お前もっとできるんだから、自分で限界を決めないで頑張れよ』って西村先生おっしゃってたよ」って。自分ではそんなつもりはないんですが、僕はいつも「これが限界です」みたいな顔をするらしくて。それまでも、選手みんなの前で監督が「限界みたいな顔するな!」って言うことはあったんですけど、まさか自分のことだとは思わなかったんですよ。そのとき初めて「あ、俺のことだったんだ」って(笑)。僕らに真剣に向き合ってくれる先生だったので、3年間、必死でついていきました。

――高校時代は地域の選抜でも活躍していたんですよね?

2年生のとき、県代表を経て九州選抜に入りました。九州選抜では北海道・夕張で開かれた地域対抗戦みたいなもの(全国高校合同ラグビー大会)に出て、関東、近畿と優勝を争って2位になりました。竹本竜太郎選手(現在、サントリー所属)や増田慶介選手(現在、東芝所属)がいて、強いチームだったんですよね。3年生のときはU-19に選ばれて、台湾に遠征してアジア大会で優勝しました。

選抜だと、いつもならここまで飛んでこないだろうというボールが飛んできたり、抜けないと思ったところを抜いていく選手がいたり、一つひとつのプレーの質が高くて、いい刺激を受けました。同い年ぐらいですから、こいつらができるなら、俺もやってみよう、という気持ちになりましたね。

――高校卒業後は中央大学に。

スポーツ推薦ではなく、学力推薦で受験しました。高校で燃え尽きた感もあったので、大学ではラグビーは体育会じゃなくサークルにしておこうかなと思っていました。だけど、筑紫高校のチームメイトが中央大ラグビー部に入るというので、僕も続けてみようと思い直したんです。僕は友達とわいわいやるのが大好きで、友達がいないと生きていけないんで(笑)。

――中央大ラグビー部での活動、いかがでしたか?

高校のときがあまりに厳しかったので、それに比べればちょっとフワフワしていたかもしれません。僕は学力推薦だから1年生のときは寮にも入っていなかったので、生活の中での雑用みたいなものもやらなかったし。2年生からは入寮しましたけど、みんなでご飯を作ったり、お風呂に入ったり、DVDを借りて見たり、楽しかったです。

――ラグビーのほうは?

1年生からFLで試合に出ていました。高校生のとき、大学に上がったら周りはきっとすごいんだろうなと思っていて、でもその想像からすると、実際はそんなにでもない印象でした。生意気かもしれませんけど、イケると思いました。印象に残っているのは、1年生のときに出た大学選手権の早稲田大学戦です。名門・早稲田と大観衆の中で本気で戦えるのがうれしくて。試合には負けて、早稲田はやっぱり強かったですけど、レベルが全く違うとは感じなかったです。

3年生の春は、監督の勧めでCTBをやってたんですけど、アタックの中でいろいろなことがやれるのが楽しかったですね。夏ごろから結局、No.8に戻りました。No.8っていうとFWの中でアタックできる人のイメージなので、自分には一番向いているかなと思っています。

ニュージーランド修行で全てが良い方向に変わった

――大学卒業後もラグビーをやろうと決めたのはいつごろですか?

わりとぎりぎりでした。大学でたいした戦績も残せていなかったので、地元に帰って就職しようかと思っていて。でも、いろんな企業から声をかけていただいたので、せっかくチャンスがあるなら頑張ってみようと考え直しました。

――シャイニングアークスを選んだのはなぜですか?

大学の監督が大沼さん(現ディベロップメントコーチ)と先輩後輩だった縁で、お話をいただいて。これからトップリーグ上位を目指していくフレッシュなチームだということで、そういう環境が僕には合っているのかなと思いました。

――社会人ラグビーの世界に飛び込んでみて、どんな感想を持ちましたか?

自分が甘かったな、と。僕は大学時代、あんまり厳しい生活をしてこなかったので、他の選手とそういうところで差を感じました。練習に集中しろと注意されることも多かったです。自分では集中しているつもりだったので、何がダメだったんだろうと戸惑ったり。遅刻が多くて叱られたこともありました。それからは、心を入れかえて真面目にやっているつもりです。

ラグビーのほうも、決めごとや規律の多さに驚きました。一人ひとりの意識が大学生とは全く違うし、自分も意識を高めていかないと通用しないなと思いました。

――1年目、心に残っていることはありますか?

1年目は夏合宿で捻挫してしまって、それは残念だったんですが、フォトゥー・アウエルア選手(現在は豪ブランビーズに所属)にマン・ツー・マンのような形で指導してもらったのは財産になったと思います。「オーストラリアに来たら5年でスーパーリーグの選手になれる。クサらずに頑張れば桜のジャージだって着られるよ」と言ってくれて、その言葉で頑張れたところもありますね。

――2年目は神戸製鋼戦でトップリーグ初出場。

自分では試合に出られる自信がずっとあって、でもメンバーになかなか入れなかったので、正直かなり落ち込んでいました。だから、メンバーに入ったときはうれしかったですね。初めてのトップリーグ公式戦は、相手から受けるプレッシャーがすごくて、レベルの高さを感じました。自分のパフォーマンスは良くもなく悪くもなかったと思います。だけど、次の試合でまたメンバーから外れて。こんなに簡単に外されてしまうんだ、とショックでした。

――結果的には、神戸製鋼戦の後、出場機会がありませんでした。

もうあきらめたほうが楽かもしれないと思ったこともありました。でも、ここでやめたらお世話になった方々に申し訳ないし、僕自身も納得できないので......。年末のサントリーとの練習試合には出してもらって、そこでは力を発揮できたと思ったんですが、次の試合はやっぱりメンバーに入ってなくて。気が狂いそうになりました。これで出られないなら僕はもう終わりだ、と思いましたから。今思えば、そこまで思いつめるなら監督に聞きにいくべきだったと思うんですけど、そのときはそうできなかったんですよね。誰とも話したくないぐらい、落ち込んでいました。

――苦悩の2年目が過ぎて、今年(2013年)は春に3カ月ほどニュージーランドのクラブ・チームへ派遣されました。チームからの期待の表れですよね?

すごくうれしかったですね。目標を見失いかけていたときだったので「ここで化けてやる」と意気込んでいました。

――ニュージーランド修行では具体的に、どんな練習をしましたか?

栗原大介と同じホームステイ先に寝泊りして、チームは鶴田と同じMelvilleにお世話になりました。朝はクラブの若手の精鋭たちと一緒に筋トレして、午後はワイカト州の代表チームとフルコンタクトなどの練習です。滞在期間の最後のほうでは、ITM CUP(ニュージーランド地方代表選手権)に出るような選手を相手に、ボールキャリーもタックルも通用していたので、成長の手ごたえを感じました。

滞在中に捻挫してしまったんですけど、それもかえって良かったかもしれないと思います。それまで僕はどのプレーも100%の力でやっていたんですが、ケガのせいで80%ぐらいに抑えざるをえなくなって、周りが見えるようになりました。今ここが空いてるとか、味方がここにいるから僕がこう動いて相手がつられたらパスすればいいとか。それで、100%と80%の使い分けができるようになって、アタックの幅が広がったり、ディフェンスでも冷静に状況を見られるようになったり、いい効果が生まれたように思います。帰国して、コーチからも「ディフェンスが変わったね」と言ってもらえました。

――帰国後も好調を維持していますが、あえて課題を挙げるなら?

練習試合にもたくさん出してもらって、毎試合レビューしていますが、ブレイクダウン周りのプレーは改善していかないといけないと感じています。タイトなところで激しいプレーをしないと。タックルもまだまだです。ニュージーランドで習ったスマッシュ・タックル(相手を浴びせ倒すようなタックル)を使ってみようと思っています。それで、今度こそ「僕を使ってください!」と言えるぐらいになりたいですね。

――ニュージーランドに行ったことで、心境が大きく変わったんですね。

本当、そうですね。すごく前向きな気持ちになれました。林監督からも、試合の前後によく声をかけていただくようになって。三菱重工戦では「アタックが持ち味なんだからパスのこと考えずに思い切って縦に行け」と言ってもらって、いいプレーができました。

――ところで、昨年の豊田自動織機との練習試合で斉藤祐也選手(2012年度で引退)と話をしていましたよね。あれは?

クリさん(栗原徹選手)が以前から「お前のプレーは斉藤祐也に似てるよな」って言ってくださっていて、あのときは「紹介するから話してみろ」と。めちゃくちゃ緊張して直立不動で「山下弘資と申します!」みたいな感じでした。斉藤さんは「おお、知ってるよ。今日、一番活躍してたね」「頑張れよ」って。うれしかったです。

――今季の目標と中長期的な目標を教えてください。

今季の目標はトップリーグの試合に1つでも多く出ることです。中長期的な目標は......今は一日いちにちが勝負で、気が抜けない日々が続いているので、先のことは考えていません。でも、日本代表にはなりたいです。頑張った先にそれがあったら幸せだな、とは思いますね。