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クレイグ・ウィング Craig Wing

バックス・CTB / SO

ラグビーリーグ(13人制ラグビー)は、日本ではあまり馴染みが無いが、オーストラリアではシドニーなど東海岸一帯で絶大な人気を誇っている。そこで大スターだった、クレイグ・ウィング選手。幼い頃からラグビーに親しみながら、今なおラグビーを学び自分が向上することに喜びを感じている。

クレイグ・ウィング

とにかくラグビーが大好きだった。

――オーストラリア人の父と、フィリピン人の母を持つクレイグ・ウィング選手ですが、幼少の頃はどこで過ごしていたのですか?

私が生まれたのは、オーストラリアのシドニーです。子供の頃は休みがあればフィリピンに行って、一ヶ月くらい過ごしたりしました。子供の頃はフィリピンによく行きましたが、大学に入ってからは忙しくなって時間も無くなってきたので、年に一度ぐらい休みの時に行くだけになりました。

――育った環境はオーストラリアということですね。やはり子供の頃からラグビーには触れていたのでしょうか?

3歳の時に初めてラグビーボールに触れて、実際にラグビーを始めたのは4歳でした。

――友達も皆もラグビーをやっていましたか?

その当時、近くに住んでいた友達も皆ラグビーをしていました。僕の父親がラグビーを大好きだったので、父親の影響もあってラグビーを始めました。始めた当時は1、2歳年上の人たちと一緒にやっていましたが、4歳という早い時期からラグビーを始めたことが、今の自分にとってアドバンテージになっていると思います。

――ラグビー以外のスポーツは何かやっていましたか?

スポーツとしては陸上をやっていました。100M走や200M走といった短距離種目もやっていましたし、幅跳びもしていました。クリケットや、サーフィンもしていました。タックルの無い「タッチラグビー」も1年を通じてよくやっていましたので、1年中ラグビーをやっていたという思い出があります。夏のオーストラリアではタックルの無い「タッチラグビー」をすることがメジャーでしたので、オフシーズンの間はタッチラグビーをよくやっていました。

――子供の頃はクラブチームに所属していたのですか?

土曜日の午前中にラグビーユニオン(15人制ラグビー)のクラブチームでプレーをして、午後には自分の学校のチームでプレーをして、そして日曜日にはラグビーリーグ(13人制ラグビー)のチームでプレーしていました。

――色々なチームに所属していましたが、それは自ら希望して違うチームでプレーしていたのですか?

ラグビーをプレーすることが大好きでしたので、色々な違うチームでやっていました。また、ラグビーをしているとなかなか友達と過ごせる時間が無いので、チームそれぞれに所属している私の友達とも一緒に過ごせるという意味もあって、色々なチームでプレーするということは私の大好きな時間でもありました。

――クレイグ選手はプロラグビーリーグの選手でしたが、学生の頃はラグビーユニオンでもプレーしていたのですね?

高校が終わるまではユニオンとリーグの両方をプレーしていました。でも、高校のラグビーというのは、しっかり戦術を立てるようなラグビーではなく、ただただ15人がボールに向かって走っているという感じでした。日本に来て、初めてラグビーユニオンのプロフェッショナルなチームであるシャイニングアークスに入った当初は、自分には戦術の理解度というものがあまり無かったので、大きな戸惑いがありました。

――何歳の頃からプロ選手になることを意識していましたか?

本当にいつも小さい頃からテレビでラグビーを見ていました。そこでデイヴィッド・キャンピージやジェイソン・リトルだとかティム・ホランといった、オーストラリアの有名選手を見ながら、テレビに映る選手達は漠然と「かっこいいな」という気持ちはありました。でも子供の頃は自分がプロになってやろうというイメージはありませんでした。それで16歳の時にラグビーリーグの代表スコッドに選ばれて、それからもっと真剣にラグビーリーグでプレーするようになって、そして18歳の時に初めてラグビーリーグのプロチームから契約の話を持ちかけられました。

――ラグビーユニオンとラグビーリーグのどちらのプロになるか、迷いはありませんでしたか?

私が17、8歳の頃、その当時ラグビーリーグはプロとして確立されていましたけど、ラグビーユニオンはまだプロとアマが混在した過渡期にあって、ラグビーユニオンはプロとして確立されていませんでした。私がまだリーグとユニオンとを迷っていた頃、最初にラグビーユニオンのプロチームに、自分の将来の可能性などを相談しに行きました。その時に「ユニオンではトップレベルで成功するのはおそらく24、5歳になってからだ」と言われました。それに対してラグビーリーグのチームの人に相談した時は、「今までのラグビーリーグでの活躍も知っているし、クレイグ・ウィングならすぐにトップレベルで成功できる」と言ってくれました。すぐにトップレベルで活躍したいと思っていたので、その話をきっかけにラグビーリーグの道を選択することにしました。

――そして高校を卒業してからは、ナショナルラグビーリーグ(NRL)の「South Sydney Rabbitohs」に入団してプロラグビー選手としてのキャリアがスタートします

僕が育ったところで一番有名なチームだったのが「Rabbitohs」です。私は13歳から14歳くらいまで、「Rabbitohs」のジュニアチームでプレーをしていました。その時から「Rabbitohs」の首脳陣が自分のプレーに目を掛けていてくれていて、自分を勧誘してくれたと思います。「South Sydney Rabbitohs」では2年間プレーをしていましたが、ルール改定により、下位のリーグに降格してしまいましたので、同じ地区にある「Sydney Roosters」に移籍しました。当時、一度だけラグビーユニオンのチームに行こうか、という機会もありました。それは2000年のことですが、当時「Brumbies」にいたエディー・ジョーンズ氏から「Brumbies」でプレーしないかという話をもらいました。それで私も悩みましたが、結局その後もラグビーリーグでプレーを続けました。

変化を求めて、シャイニングアークスに入団。

――日本のラグビーに対してはどんなイメージがありましたか?

最初に日本でプレーが出来るという話を聞いた時には、正直日本で15人制のラグビーが行われているということを知りませんでした。なぜかと言うと、とにかくシドニーという街は、新聞の話題から何から、全てラグビーリーグ一色な都市でしたから、ラグビーリーグ以外のことは何も知りませんでした。だから自分がオーストラリアでプレーしている頃は、世界の国々でラグビーユニオンがプレーされていることは知りませんでしたし、ラグビーユニオンのチームで知っているのはWallabies(オーストラリア代表)だけでした。それで日本に来て初めて、チームメイトの他の国の選手達とも友達になって他の国のラグビーを知り、南アフリカにも行ってスーパーラグビーを見たりして、ここまでラグビーユニオンがワールドワイドに行われていることを初めて知りました。また、今までラグビーリーグでずっとプレーしていたので、もう一度ラグビーユニオンでプレーしたいという思いもありましたし、しかも外国でプレーが出来るということに、とても興奮した覚えがあります。リーグのキャリアには満足していましたが、当時、生活に変化をつけたいと思っていた自分にとってはいい機会だと思っていました。

――久しぶりのラグビーユニオンをプレーする上で戸惑いはありませんでしたか?

本当に最初は色々な困惑もありましたし、全然知らないことばかりでした。リーグとユニオンの共通点と言えば、タックル、パス、ランが出来るというくらいしかありません。しかもタックルに関して言えば、ラグビーリーグのタックルは相手を倒した後に、グラウンド上で相手を押さえつけることでボールのリサイクルを遅らせるというプレーがあったので、そういう癖が付いていました。それをラグビーユニオンでやってしまうと、「ノットロールアウェイ」の反則を取られるので、タックルのスタイルも変えなくてはいけないなどの違いがありました。本当に最初わからなかったのは、どのように試合が進んでいくか、自分がどのような動きをするべきなのか、それを理解するのに始めの3、4ヶ月を費やしました。さらに次の3、4ヶ月間で、今度は状況に応じて戦術を変えることを覚えました。それでようやく昨年のトップリーグ後半になってから、フィールドの中のどこに自分のチャンスがあるのかなど、相手チームや自分のプレーを客観的に見て分析できる力がついてきました。そしてSOをやることになってから、さらに学ぶことが多くなって、理解度も増えました。最初の6ヶ月間は非常にきつかったのを覚えています。ただラッキーだったのは周りに素晴らしい選手がいたので、周りの選手にラグビーユニオンのプレーの仕方を聞いていました。非常に助かりました。

――今年度は、昨年にも増して動きが良くなっているように感じます。やはりラグビーユニオンに慣れてきたからでしょうか?

チームに慣れてきたことと、ラグビーユニオンに慣れてきたことは十分にあります。同時にラグビーユニオンの戦術に対する自分の理解も高まっているということが助けになっていると思います。今では自分がどこにいて何をするべきなのか、自分の頭の中でプランを立てることが出来ています。それに今年はSOでプレーすることが多いのですが、SOというのはCTBと違って、チャンスがあると思うと自分から働きかけて、自分の好きなタイミングでボールを持てることが自分にとってのアドバンテージになっていて、去年に比べると今年はいい動きが出来ているのかもしれません。

――SOとCTBならどちらのポジションが自分に合っていると思いますか?

自分としてはSOが好きなポジションでありますし、自分に合っていると思っています。しかし、今の自分は完璧なSOには程遠いし、もっともっと向上しなければいけないので、学ばなければいけないことはたくさんあります。オーストラリアではずっとラグビーリーグをやっていて、正直ラグビーリーグに関してはやり切った感もあって、少し退屈な思いもしていました。だからこそ変化を求めていました。だから今のSOとして毎日学ぶことがあるというのは非常にうれしく思ってプレーしています。

――それでは今目標にしていることはなんでしょうか?

まず、一プレーヤーとしてやらなくてはいけないことは、ラグビーに対する自分の理解度をもっと向上していくこと。そして、今でき始めたと思っているのは、今までラグビーリーグで自分が培った経験を、どうやったらラグビーユニオンで活用できるか、ということを考えながらプレーしていることです。そして絶対にやっていかなくてはいけないことは、常に毎回の試合で、80分間を通して常に良いパフォーマンスを出し続けることです。今はそれを目標にしています。

――今年はチームの攻撃スタイルが「ボールを動かすラグビー」に変わりました。自身のプレースタイルに変化はありましたか?

今年、チームのプレースタイルが変わって私は非常に喜んでいますし、チームにとっても良かったと思っています。去年はキック主体の戦術だったので、ボールを持つ機会が少なくて、ラグビーをエンジョイできていなかった部分もありました。今年はもっとボールを動かしていくスタイルになって、自分のスタイルに合っていると思いますし、SOとしてもCTBとしても、もっともっと自分がアタックできる機会が増えています。やはりラグビーをやるからにはボールを持ってアタックすることが、ラグビーの醍醐味だと思っているので、その醍醐味を実感できている今のスタイルは、自分にフィットしているし、楽しんでラグビーを出来ていると思います。