選手FOCUS / IN FOCUS

小野 慎介 Shinsuke Ono

フォワード・PR

中学時代にのちのプロ野球選手からヒットを放ったという小野選手は、恵まれた体格に優れた運動神経を合わせもった"走れるプロップ"。大先輩・斉藤展士選手の壁は高いが、ポスト斉藤の最右翼はこの人だ。

小野 慎介

野球部との両立から、ラグビー名門高校に進学

――ラグビーをやろうと思ったきっかけを教えてください。

やろうと思ったというか、母の友人の息子がラグビーをやっていたので、母がうちも通わせようと思ったみたいで。小学校1年生、7歳のときでした。週に1回、スクールに通い始めました。

――お母さんに勧められたラグビー、すぐに楽しめました?

僕自身は当時サッカーをやっていましたし、他にやってみたいと思っていたのは野球だったので、ラグビーはあんまり......。やっぱり痛いですし。コーチが自衛隊出身の人で怖かったですし(笑)、練習メニューも小学生で10分間走なんかもあってキツかったです。でも、体が大きかったからフォワードですぐ試合に出してもらえて、そうするとちょっと楽しくなってきました。自分の体を生かしてぶつかっていけるのがいいですよね。サッカーやバスケだとファウルになるけど、ラグビーはOKなんで。

――ポジションは最初からプロップ(PR)だったんですか?

最初はロック(LO)でした。結構長くやっていましたが、自分には向いてないと思っていました。ラインアウトで味方に抱え上げてもらってキャッチに行くとき、僕は体重があるので、あんまり上がらなかったり。上がったら上がったで、高所恐怖症なので怖かったり。あれ高いんですよ(笑)。

――小学1年生でラグビーを始めて、中学ではラグビー部に?

いえ、野球部に入りました。巨人ファンの祖父の影響で、昔から野球は大好きなんです。今もよく野球のテレビゲームで遊びます(笑)。中学のときのポジションは、1年生のときはファーストで、2年生からキャッチャー。いかにもですよね。ラグビーもスクールを続けていましたが、試合が重なったら野球部を優先していました。僕、千葉ロッテの唐川投手と対戦したことあるんですよ。中学時代は彼も軟式野球だったんで練習試合で当たって。1試合で2本ヒット打ちました。ちょっと自慢です。

――その頃は将来、野球選手になりたかった?

そうは思わなかったですね。野球もラグビーも好きでやってるだけで、社会人になっても続けるとはまったく想像しなかったです。

――でも、高校はラグビーの強豪・流経大柏に進んだんですよね?

最初は、スクールの仲間と別の高校に行こうとしてたんですけど、流経大柏の監督が家まで来て、練習時間は2~3時間だとか、いろいろと"いい話"を聞かせてくれたので(笑)、ついその気になっちゃったんですよね。

――実際に進学してみると?

まあ、地獄でしたよ(笑)。毎日4~5時間は練習していました。部員は半分ぐらいがラグビー経験者なんですが、半分ぐらいはそうじゃなくて、強くするためには練習を厳しくしないといけなかったんだと思います。

――ポジションは高校時代もLO?

1年生のときはLOでした。その後、PRの先輩が卒業したのでPRに入りました。やってすぐ自分にはこっちのほうが合ってるなと思いましたね。スクラムって組んだところからぐっと押すので、パワーで勝負できるところが、僕には合うみたいです。

――チーム内ではどんな役回りだったんですか?

キャプテンとかの役職につくこともなく、ごく自由にやってました。監督からよく怒られる"やられ役"で。いや、役とかじゃなく、ただ怒られてただけかもしれないですけど(笑)。

――監督の期待の表れだったんでしょうか?

そう受け取ることもできますね(笑)。高校時代の厳しい練習のおかげで、どんな練習でも耐えられる自信がついたので、監督には感謝しています。

――高校時代、戦績はどうだったんですか?

僕らの頃は花園(全国高等学校ラグビーフットボール大会)の連続出場記録を十いくつかまで伸ばしていたころで、花園は出て当然の感じでした。3年生のときには花園でベスト8まで進みましたね。この年は春、夏と神奈川の桐蔭学園に負けていて、花園でも準決勝進出を賭けた試合で当たって、最後の最後に逆転トライを決められて負けたんですよ。その年、結局1回も勝てなくて、悔しかったです。あのときの桐蔭はサントリーの仲宗根選手やトヨタ自動車の滑川選手がいましたね。

――小野選手個人としては3年のときに高校日本代表に。

そうですね。ありがたかったですけど、関東代表などを経てのことなので、すごく驚いたりはしなかった記憶があります。

――そして、名門の明治大学に進学。

本当は、大学ではラグビーを続けるつもりはありませんでした。もう十分やりきった気がして。でも、監督が勧めてくれて、親も「せっかくだから行ってみたら」と言うので、内定のような形で明治のラグビー部に入ることになりました。

――明治でも1年生から試合に出られたんですか?

Aチームの試合に出たこともありましたね。初めて出してもらったときは、日体大が相手だったんですけど、何もできなくて。スクラムも、もっといけると思ってたんですが、全然押せませんでした。

――2年生のときに監督が吉田義人さんに代わったんですよね?

そうですね。それまでは選手が自由にやってたんですけど、監督がびしびし引っ張っていくスタイルになりました。細谷(直)さんがコーチで。細谷さんは熱い人で、プレーの分析を寝る間も惜しんでやってくれたりしていたので、僕らも細谷さんに言われたらやるしかないなと思えました。

――この頃、U20代表に呼ばれていますよね。思い出深い試合は?

高校3年、大学1年、2年と呼んでもらいました。大学1年生のときはU20世界選手権がウェールズで開かれて、試合はぼろ負けだったんですけど、ラグビー場や観客の雰囲気は印象に残っています。日本と違って、そこらじゅうにラグビー場があってファンも多くて。ああいう大観衆のピッチに立ってみると、また立ちたいなっていう気持ちになりましたね。

――明治は2008年から対抗戦6位、5位、3位、2位と成績が上がっていますね。

そうなんですが、僕は3年生のときは半分も出ていなかったんです。1~2年生の頃はスクラムで押せている感覚があったんですけど、3年生の頃からスクラムが分からなくなったというか。たとえば膝が上がっちゃってるとか、ちょっとしたことだったと思うんですけど、良かったときの感覚が戻らないままやっていました。4年生になって少し良くなりましたけど、1~2年生のときの感じにはならなかったですね。今思うと、大学時代は選手として意識が高いほうじゃなかったです。

――4年生のときは溝口選手が主将でしたが、小野選手もサポートしたり?

そう、ですね。影でしてたかもしれないです......。いや、僕にはまとめ役は向かないので(笑)。まとめようと思ってもしゃべれないし。どちらかというと、チームではだいたい、いじられ役なんですよね。

――大学卒業後の進路はどう考えていましたか?

最初は、社会人ではラグビーをやらないつもりでした。もう十分やったと思っていたので。でも、進路をどうしようか迷っているときに3チームからオファーをいただいて、せっかくのお話だし、行ってみようかと思うようになりました。

――NTT Comを選んだのはどうしてですか?

実は僕、留年しそうだったんです。他のチームからは留年して大学5年生で入団すればいいと言われたんですが、NTT Comは「いや、何がなんでも卒業しろよ」と厳しくて(笑)。そういうところからも、親身になってくれているのが伝わってきたので、NTT Comがいいなと思いました。チームの本拠地が千葉で、僕も千葉出身なので親近感もありましたし。おかげさまで、4年で卒業できました(笑)。

右プロップでのスタメン定着を目指す

――シャイニングアークスに入って、最初にどんな印象を持ちましたか?

びっくりしたのは、みんなが熱心に自主練するところですね。意識が大学生とは全然違うと思いました。それで僕もやるようになったんですけど、食事制限もトレーニングも真剣にやると、効果が体に表れて、それが面白くなってきて。最初は"周りがやるから"やっていたんですが、いつからか、意識そのものが変わってきました。

――意識が変わると、プレーの質も当然上がっていく?

スクラムは、また自信が持てるようになりました。大学時代、悪いときに悪いままにしてしまうこともあったんですけど、今は自分のプレーを分析するのも好きで、そこも結構やっているので。

――1年目のシーズン、トップリーグはNTTドコモ戦に出場。メンバーに選ばれたときの気持ちは?

とにかく緊張したことだけ、覚えています。

――わりと緊張するタイプですか?

緊張します。でも、試合が始まったら吹き飛ぶし、試合前は緊張していたほうが調子がいいことが多い気がしますね。

――NTTドコモ戦の手ごたえはどうでしたか?

スクラムをしっかり押せたと思うので、それは自信になりました。

――1年目のトップリーグ出場はその1試合にとどまりましたが、2年目は出場機会が急増しました。自分ではどんなところが成長したと思いますか?

やっぱり、スクラムですかね。それから、僕はノブジさん(斉藤選手)に代わって入るんですが、僕が試合に出る頃には、相手はノブジさんに押されまくってかなり疲れているので、結構走らせてもらえますね。PRで走れるところが自分の特徴なので、そこを生かせたのはよかったと思います。

――斉藤選手といえばスクラムのスペシャリストですよね。教わることも多いですか?

1年目から、かなり教わってきました。ノブジさんが一番、スクラムを分析しているので技術的なことはもちろんですし、考え方というか、そういうところも。「NTTはスクラムから取っていくチームだから絶対負けちゃダメだ」って言われて、気が引き締まりました。

――トップリーグ2年目、たくさん試合に出た中で、特に心に残っている試合やプレーはありますか?

1stステージの豊田自動織機戦だったと思うんですが、敵陣ゴール前で相手ボールのスクラムを押しに押してターンオーバーして、それがトライにつながったのがうれしかったですね。PRとしては最高の気分でした。

逆に、2ndステージのリコー戦は大差で負けて悔しかったですね。スクラムも、僕の対面が苦手な選手で、思うように押せなかったです。身長が高くない選手に低く入ってこられると、こちらの体が浮いてしまうことがあって。逆に体が大きい人はどうしても姿勢が高くなるので、こちらが低く入れるからスクラムの相手としては得意なんですが。

――対面が苦手選手だったりしてファースト・スクラムで「今日はやばいぞ」と感じたときはどう対策するんですか?

試合中にできることは限られているので「やばい」と思ってもそれは出さずに。フッカー(HO)には「こっち側に寄ってきて」と頼んだりします。

――スクラムと走力が持ち味の小野選手、逆に課題はどんなところだと思いますか?

走るスピードにメリハリがないところですかね。いくらでも走っていられるんですけど、ディフェンスを抜くときに急に加速するとか、そういう変化をつけられないんです。だから、今季は春からそこを練習しています。

――今季は4月下旬から3週間、関東代表としてニュージーランド遠征を経験。収穫はありましたか?

向こうの選手は良くも悪くも、試合になったら絶対に負けないという気持ちを前面に出してくるので、そういうところを見習いたいと思いました。

――小野選手は負けず嫌いなほうですか?

負けず嫌いではあるんですが、それがあんまり外へ出ないタイプかもしれません。試合中、どんどん声を出したりしているんですけどね。なにしろ僕は滑舌が悪いので、興奮してしゃべると聞き取れないみたいで。試合中はみんなウンウンとうなずいてくれるんですけど、終わってから「あのとき、何て言ってたの?」と聞かれたりします(笑)。

――ニュージーランドではスーパーラグビーの前座試合も務めたそうですね?

その予定だったんですが、前日に雨が降ったせいで、一度グラウンドを使うと荒れてしまうということで、僕らは隣のグラウンドで試合をすることになりました。でも、その後、スーパーラグビーの試合は見せてもらえましたよ。人が多すぎて、最初の20分は席に着くこともできなかったほどでした。

――小野選手個人としては、今季どんなところを目標に戦っていきますか?

3番(右PR)で最初から出ることです。ずっと3番をやってきて、思い入れのあるポジションなので、3番でスタメンを獲りたいです。3番に求められるのはやっぱりスクラムですから、そこをもっともっと強化して。

――3番に求められる資質とは、どんなものだと思いますか?

我慢強さじゃないかと思っています。3番はスクラムでは両側を相手チームの選手に挟まれるポジションなので、苦しいんですよ。でも、そこで姿勢をキープできないとスクラムが崩れたり押されたりするので。苦しくても我慢。それが3番の役割ですね。スクラムが終わって顔を上げたとき、目の前がチカチカしたり、めまいがしたりすることがよくあります(笑)。

――スクラムは今季またルール改正でバインドが近くなりましたよね。影響は?

組む前に押してしまうと反則だし、かといって止まってしまうと相手に乗っかられてしまうので、またタイミングを覚えなおしですね。そこはこれからです。

今季はバックスとフォワードが昨季より一体化してきている感じはするので、主力選手が抜けたりもしましたが、チームとして上を目指していきたいです。

――ラグビー人生における中長期的な目標は?

とにかく3番でスタメンに定着して、全部それからですね。代表とか、いろんなことも、その後に見えてくるものだと思うので。