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ジェイソン・イートン Jason Eaton

フォワード・LO

オールブラックスで15キャップ、スーパーラグビーのHurricanesで8シーズンと輝かしい戦跡を持つ長身のベテランLO。現在の目標は国を代表することでもW杯に出ることでもなく、チームを強くすることだという。

ジェイソン・イートン

オールブラックスではラグビーもハカも熱心に練習

――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。

親戚にラグビーをしている人が多かったので、気がついたら始めていました。特に母方のほうは多くて、祖父(Bevan Jones氏)も地域代表チームでプレーするラグビー選手でした。ニュージーランドという国自体、ラグビーが盛んなので、僕も当たり前のように4~5歳からプレーしていましたね。

――子どものころから体は大きかったんですか? ポジションはやっぱりフォワードだったんでしょうか?

幼いころから常に、周りの誰よりも背の高い子どもでした(笑)。でも、ポジションは最初のうちはバックスだったんです。ぐんぐん背が伸びてきて14歳のとき、フォワードに転向しました。

――バックスとしてのラグビーは、どんなところが楽しかったですか?

バックスはやっぱりボールに触る機会が多いのがいいですよね。ボールを持って走ったり、キックしたりが楽しかったです。試合の展開にも絡んできますし、当時憧れていた選手もバックスの選手が多かったですし。

――では、フォワードへの転向は憂鬱でしたか?

過去形の話ではなく、いまだに「バックスは楽しかったなあ」って思っていますよ(笑)。ただ、フォワードになって3~4年経つと、ポジションの役割とか、どうプレーすべきなのかとか、いろんなことがわかってくるので、またラグビーがどんどん楽しくなってきました。バックスとフォワードって、選手として抱える課題もまったく違っていて、そういうところがまたラグビーの面白さなんですよね。

――オールブラックスに初めて呼ばれたのは23歳のとき(2005年)。このときはスーパーラグビーの選手ではなかったんですよね?

Taranakiという州代表チームでプレーしていました。ITM CUP(ニュージーランドの地域代表選手権)に出るチーム。スーパーラグビーに次ぐカテゴリーですから、オールブラックスは遠い世界のことに感じられていて、選ばれたときはびっくりというか変な感じでした。自分が崇拝してきた選手が同じチームにいることが不思議で、怖いとさえ思いましたね。でも、同時に武者震いするような、すごく楽しい経験でもありました。オールブラックスは新しい選手がチームに溶け込めるようにいろんな人が働きかけてくれるところがあって、環境はとてもよかったです。

――オールブラックスは試合前のハカがよく知られていますが、普段の練習などにも特徴的なところがありますか?

ハカはニュージーランドの人なら誰もが知っている、国全体に根ざした文化です。僕がオールブラックスに入った年はちょうど新しいバージョンを導入するタイミングでした。なので、そのバリエーションの由来や背景を学んだり、毎晩動きの練習を重ねたりしました。

――オールブラックスではすぐに試合に出て活躍するようになりましたよね。この快進撃にはどんな要因が?

オールブラックスにはベストな選手がそろっていて、誰もがやるべきことをやる環境がありました。それはTaranakiにはなかったもので、僕も自分の役割に専念できました。それに、オールブラックスの一員として、みんなからの期待を背負ってプレーすると、やる気をかき立てられますよね。

――オールブラックスには2005、2006、2008、2009年に召集され、15キャップ。最も印象深い試合は?

最初の試合(2005年11月のアイルランド戦)ですね。子どものころからオールブラックスでプレーすることは夢だったので、その場に立てたことにとても感動しました。今でも一番よく覚えています。

――2006年からはスーパーラグビーのHurricanesでプレーすることになりました。

オールブラックスに選ばれた後で、スーパーラグビーの選手になるのは、順序が逆のような気もしますし、珍しいことで、不思議な感覚でした。でも、Hurricanesはずっと応援してきたチームなので、加入できてうれしかったです。僕が初めて見たスーパーラグビーの試合は1996年、HurricanesがBluesと戦った試合だったんですが、10年後の2006年に僕が初出場したのもBlues戦で、そこも不思議な縁を感じましたね。2006年は自分も好調でしたが、チームも若い選手がたくさん入って勢いがあり、2位になった年でした。いい思い出がたくさんあります(オールブラックスでも活躍し、この年に国際ラグビー連盟のNewcomer of the Year受賞)。

――ところが、2007年のシーズンは深刻な膝の故障に見舞われます。このときの気持ちは?

ショックでした。シーズン途中で怪我をして、そのシーズンは棒に振りました。オールブラックスにも召集されることになっていて、フランスで開催されるW杯に出場できるかもしれないと期待に胸を膨らませていた矢先の怪我でした。スポーツ選手に怪我はつきものですが、怪我をして最初の3日間ぐらいは怪我をしたということを受け入れるのが大変でした。何が起きたんだろうという感じで、なかなか受け止め切れなかった。受け止めてからは、良い医師を探そう、良いリハビリをしよう、と前向きな気持ちになれました。幸い、Hurricanesは故障した選手のケアも充実していたので、翌年にはまた復帰できました。辛い経験でしたが、その怪我を経て、ラグビー選手でいられることに、以前より強い感謝を抱くようになりましたね。人としても成長できたように思います。

――怪我を除けば、どの年もほとんどの試合に出ていて、非常に順風満帆なキャリアに見えます。挫折や自分のプレーに不満を抱くような経験はありましたか?

年齢を重ねると自分の体が変化してきますし、特に怪我の後は大きく変わります。それに合わせてプレーを変えていかなければいけないというのは常に感じていました。若いころは速く走れましたが、いつまでもそのときのようにはいかないので、特に大きな怪我をしてからは、自分が試合の中でどう動くべきなのかをよく考えるようになりました。結果、故障前よりフィジカルが強い選手になれたと思います。

――スーパーラグビーで最も楽しかった思い出は?

チームメイトとすごく仲良くなれたこと。いい仲間とラグビーができたことが一番の思い出です。プレーの面では、2006年に決勝まで進めたのがうれしかったですね。準決勝のWaratahs戦も印象に残っています。

今は、チームを強くすることが最大のゴール

――なぜ、日本でプレーしようと思ったのですか?

8年間ずっと同じチームでプレーしてきて、言い方は悪いですが、やることが決まりきっているような状態だったので、何か新しいことをしたかったんです。モチベーションを上げるためにも、海外へ出て新しいことに挑戦するのがいいと思いました。トゥシ・ピシ(サントリー)やティム・ベイトマン(2012年度までコカ・コーラ)、ファイフィリ・レヴァヴェ(2012年度までホンダ)など、日本でプレーした友人たちが、いい経験になったと口をそろえて言うので、それなら日本で、と考えました。

――日本のラグビーにどんな印象を持ちましたか?

ニュージーランドのラグビーとはずいぶん違うなと思います。ニュージーランドのラグビーはもっとフィジカルですが、日本のラグビーは運動量と多彩なプレーが求められます。見ていて楽しいラグビーですよね。

――日本のラグビーやシャイニングアークスのスタイルにフィットしていくうえで苦労している点は?

特に難しさは感じていません。チームにはすごく歓迎してもらっているし、サポートも万全で、とてもなじみやすかったです。課題は体調管理や体づくり、自分のことですね。

――今季(2013-14)トップリーグ1stステージはサントリー戦、NEC戦、トヨタ自動車戦に出場しました。感想は?

タックルが強くて低いですね。僕は過去、膝の怪我をしたことがあるので、最初のうちは正直な話、ちょっと怖いと思いました。今はもう慣れましたけどね。
トップリーグ最初の試合(サントリー戦)は、自分のキャリアの中でもかなりハードな試合でした。日本のラグビーはオープンサイドに展開することが多く、とにかくよく走る。ニュージーランドのラグビーとは大きく異なる試合展開でしたし、相手も強かったので、あの試合は大変でした。

――プレーに関しては監督から何かリクエストがありましたか?

基本的には、自分の特技を生かしてほしいということで、タックルやブレイクダウンなどで強みを発揮するように言われています。

――イートン選手ならもっと活躍してくれるはずと期待するファンも多いと思いますが、2ndステージはどんなプレーをしたいですか?

たしかに1stステージ、思ったより試合に出られなかったですね。ルールとして外国人枠があるのは理解していますが、もっと試合にたくさん出てチームに貢献したいという思いで今、トレーニングに励んでいます。2ndステージはもっと試合に出て、チームとして上位を目指したいです。

――シャイニングアークスが強くなるために何が必要だと思いますか?

難しい質問ですね(苦笑)。もっとチームとしてプレーしていくことが重要だと思います。今は個人の技術が目立っているので、もっとチームとしての連携を突き詰めていくと、今よりさらに強くなるはずです。

――イートン選手は日本のラグビーからどんなものを獲得しようと思っていますか?

まず、自分の成長のことよりも、チームの一員としてシャイニングアークスを成長させたいという思いが強いです。一番のゴールは、チームメイトをサポートして、より強いチームにすることです。
自分のことでいえば、日本でニュージーランドとは違った体験ができていることは、それ自体が学びのチャンスだと思っています。

――中長期的な目標は、やはりW杯でしょうか?

一度は(2007年大会の)出場がかなり現実的に見えてきていただけに、あのときは悔しかったですし、以前はたしかに雪辱したいという思いが強かったです。今は怪我をしたり年齢を重ねたりと自分自身に変化もあったので、大きな舞台に立つことよりも、できるだけ長くプレーしたいという気持ちに変わってきました。自分が引退するまでにチームを優勝に導きたいですね。

――ところで、一時期とてもワイルドなヒゲを生やしていましたよね。あれは?

あれは2007年4月から育てたヒゲですね(笑)。怪我をしたときにチームメイトから勧められて伸ばし始めました。1年ほどしっかり伸ばして、次のシーズンでカムバックするときに、チャリティーの一環で切りました。小児がん患者のためのチャリティー・イベントに出席して、お兄さんが小児がんを患っているという少年にカットしてもらったんです。
ちなみに、ニュージーランドやオーストラリアなどでは「Movember」(※MO(口ひげ)とNovemberをかけている)というチャリティー・キャンペーンがあるんですよ。前立腺がんなどの医療の促進に向けた募金を集めるため、参加者は11月の30日間、ヒゲを伸ばしてアピールするんです。僕もこの通り、また伸ばしています。日本人にはちょっとマネできないでしょうね、このヒゲは(笑)。