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ブラッキン・カラウリアヘンリー Brackin Karauria-Henry

バックス・CTB / FB

25歳にしてニュージーランド、オーストラリア、日本と3カ国でプレーした経験を持ち、15人制、13人制、7人制でいずれも目覚しい活躍をしてきた猛者。日本での2年目は1年目以上のパフォーマンスでチームに活力を与えている。

ブラッキン・カラウリアヘンリー

2つも故郷があってラッキーだと思っています

――ラグビーとの出会いを振り返ってください。

いつ始めたのか、覚えていません。(生まれ育った)ニュージーランドはラグビーが盛んな国で、テレビでも放送しているし、父と叔父もやっていたし、ごく身近なスポーツだったので、気がつけば僕もプレーしていました。フォワードも含めて、いろんなポジションをやりましたが、ボールを持って走ったりトライを決めたりするのが楽しかったですね。5~6歳のころには、テレビで試合を見ながら、僕もいつかプロの選手になるんだと思っていました。

――では、進学先もラグビー部の強い学校を選んだんですか?

そうですね。両親が選んでくれたんですが、高校はChristchurch Boys' High Schoolといって、オールブラックスの選手をこれまでに20人以上輩出しているようなラグビー強豪校でした。

――あなたも学生時代から頭角を現していた?

16歳まではリーグ・ラグビー(13人制)とユニオン・ラグビー(15人制)を両方やっていたんですが、13歳から15歳まではカンタベリー地方の代表に選ばれていました。

――16歳で、リーグかユニオンに絞ったんでしょうか?

リーグに絞ったといえば絞りました。リーグもユニオンもどちらも好きで、どちらも真剣にプレーしてきましたが、豪National Rugby LeagueのCronulla Sharksからスカウトされて、プロ選手になることが夢だったし、すごくいいチャンスだったので。ただ、これでもうユニオンはやらないというつもりはなく、当時はリーグでいい話があったからリーグをやるという意識でした。

――16歳で海外へ出るのは勇気の要ることだったんじゃないですか?

ニュージーランドとオーストラリアってよく似ているし、ニュージーランドと日本ぐらい違うわけじゃないから、僕は何の抵抗も感じませんでした。実際、家族や友人に会えなくて寂しいこと以外、オーストラリアで特に苦労することもなかったです。ただ、決める前は両親がすごく心配していましたね。それでも、最終的にはやりたいようにやりなさいと送り出してくれました。

――Cronulla Sharksではラグビー選手として順調でしたか?

オーストラリアでは最初の1年間は高校(Endeavour Sports High School)に通っていて、高校でもプレーしていました。Cronulla Sharksではわりとすぐ試合に出られるようになりましたし、いい選手がたくさんいる環境で練習や試合ができていろいろ学ぶことができました。Cronulla Sharksには3シーズンいて、その後、ユニオンに戻りましたが、得たものは大きいです。

――ユニオンもリーグもセブンズもやるわけですが、軸足はどこに置いていますか?

うーん。自分に肩書きをつけるとしたら「ユニオン・ラグビーの選手」が最初に来るんでしょうね。でも「兼リーグ・ラグビーの選手兼セブンズの選手」です。出られるかどうかは別にして、選手として最も憧れる大会は15人制のW杯ですが、セブンズの選手として五輪に出られるならぜひ出たいですよね。

――2009年はセブンズでオーストラリア代表に選ばれ、Sevens World Seriesではチームの得点王に。

代表に選ばれたのは、自分の選手キャリアの中で最高の瞬間でした。僕はセブンズに合っていたようで、競技にもチームにも早くフィットできました。そのおかげでたくさんスコアできたんだと思います。一番よかったシーズンで、思い出も友達もたくさんできて、本当に楽しかった。人間として選手として、成長できた年だったなと思います。

――ちなみに、ニュージーランドに生まれてオーストラリアの代表になることについては、どんな気分ですか?

16歳から6年、オーストラリアでプレーして、今ではニュージーランドもオーストラリアも僕の故郷です。2つも祖国があって僕はラッキーだなという感じ。違和感はないですよ。妻もオーストラリア人ですしね。引退後はオーストラリアに住みたいと思っています。

――さらに2010年はトレーニング・スコッドとしてワラビーズ(15人制オーストラリア代表)の合宿に召集されました。このときの心境は?

びっくりしました。15人制に戻って1年しかプレーしていないときでした。そうそうたるメンバーの中に僕が入れたことが信じられなかった。合宿では尊敬するアダム・アシュリークーパーと同室で、それも衝撃的でした(笑)。

――残念ながら、ワラビーズではキャップを獲得することはできませんでした。

悔しかったですね。チームを去るときは、またここに戻ってきたいという燃えるような気持ちがありました。いま思えば、絶対的に経験が足りなかったんだと思います。もう一度、ワラビーズに選ばれるためには多方面の経験を積まなければいけないと思っています。ただ、合宿を通して、自分がワラビーズのほかの選手と比べてどれだけ後れをとっているか、どこをどう鍛えれば追いつけるのか、そういうことのヒントはたくさん得られました。

――2010年はBrumbies、2011年、2012年はWaratahsとスーパーラグビーでプレーしました。

すばらしい体験でした。世界最高峰のリーグで、大勢の観客の前でプレーできるのはわくわくする体験でした。ちょっと飲まれそうになる感覚もありましたけど(笑)。
ただ、2011年はシーズン前に背中を傷めて、4~5カ月は試合はもちろん、トレーニングもできない状態でした。あれは本当に辛かった。2012年に復帰できたときはその分、心の底からうれしかったですね。

「外国人選手」としてのプレッシャーの中で経験を積みたい

――そして、2012-13シーズンからシャイニングアークスへ。日本でプレーしようと思ったのはなぜですか?

海外を経験したい、異なるリーグを経験したいという気持ちが強かったです。高校生のとき、遠征で日本に来たことがあって、日本にいい印象があったのも理由ですね。オールブラックスの選手なんかも日本でプレーして帰国後、好調だったりするのを見ていて、僕も日本で経験を積もうと思いました。妻と息子にとっても、海外なら他の国よりも日本での生活のほうがいいだろうと思っています。

――日本での生活で気に入っているものは何ですか?

食べ物! しゃぶしゃぶ、焼肉、焼き鳥、ラーメン、その他いろいろ、最高です。すごく美味しくて食べ過ぎてしまう危険が伴うけど(笑)。文化もいいし、人もいいですよね。親戚や友達も日本に来ると、みんな大満足して帰りますよ。家族も日本を気に入っているし、僕は彼らが楽しいとハッピーです。

――日本のラグビーの印象を教えてください。

日本の選手はチームに献身的で、練習熱心で、真面目だなと思います。いいプレーをするために、言い方は悪いですが、それこそバカみたいに必死で努力をしますよね。ラグビー選手だけでなく、日本人みんながそうなのかなと感じています。僕もそういうところを見習いたいです。
ラグビーの特徴でいうと、やはり速さです。日本のラグビーのスピードについていくために、僕もしっかり体調管理をして準備しています。

――シャイニングアークスというチームについては、どう感じていますか?

下部リーグからトップリーグに昇格したことも含めて、とにかく成長を続けているのがすばらしいと思います。若い選手もたくさん起用していますよね。大学生を中心とした新人選手のスカウトにも力を入れていて、いい採用をしています。若い選手をどんどん育てていくことで、今後2~3年で優勝争いに絡めるチームに成長するはずです。

――日本のラグビーから何を持ち帰りたいと考えていますか?

スピードなどの技術的なこともありますが、一番は日本でプレーしたという経験です。トップリーグでは僕は外国人選手であり、短期に結果を求められる立場です。チームメイトに頼られるし、そうでなければいけない。このプレッシャーのかかる環境でプレーすることで選手としてひとまわり成長できると考えています。
ただ、ラグビーってチームスポーツだし、自分が成長することばかりを考えているわけではないですよ。チームメイトを支えて、チームのレベルを引き上げることも自分の大切な仕事だと思っています。

――今季はボール・キャリアとしてのパフォーマンスが昨季以上という印象を受けますが、昨季と何が変わったんでしょうか?

昨年より今年、今年より来年、もっといい選手になりたいという気持ちが常にあるし、現状に満足することはないので、僕からすれば、前のシーズンよりいいプレーができるのは今季に限った話ではないです。

――外国人選手ではフォワードの選手が日本での1年目から活躍する一方、バックスの選手は2年目以降に花開くことが多い気がします。

バックスは試合をコントロールしていく立場なので、1年目は日本のラグビーで、このチームで試合がどう展開していくのかを学ぶ期間になるんだと思います。2年目に入って、学んだことが実を結ぶんじゃないですかね。

――いつかワラビーズに返り咲きたいというお話でしたが、日本で来年もプレーして日本代表になるという選択肢はアリですか?

僕はこれまでのキャリアを見てもらってもわかるように、どこにいても「ここが絶対にいつまでも自分のいる場所だ」という思いはないので、逆に日本にとどまって日本が3つ目の故郷になる可能性もないとは言えません。来年、また子どもが生まれるので、子どもたちを学校へ通わせて日本にしっかり根を下ろしていくのもアリですよね。ジャパンに入れたら、それはすごくうれしいですよ(笑)。