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中島 進護 Shingo Nakajima

フォワード・LO / FL

キックオフやハイパントのボールキャッチを得意とする空中戦のエキスパート・中島選手。ワークレートやスペースをついたアタックもハイレベル。目下の敵であるケガや発熱を克服し、レギュラー定着を狙う。

中島進護選手写真

7人制代表選出で、ラグビー人生の道が拓ける

――東福岡高校出身のラグビー選手でありながら、高校時代はラグビー部じゃなかったと聞きました。かなり異色ですよね?

よく言われます。トップリーグの試合後なんかに、同じ高校出身の先輩から「お前、おったっけ?」と聞かれたりしますね。

――ラグビー部ではなく、何部だったんですか?

帰宅部でした。小学4年生から中学3年生までは野球をやっていたので、高校でも野球部に入るつもりで仮入部したんですが、ちくのう症になってしまって、まずは治療に専念することにしました。治ってから、当時はK-1が人気だったので、興味本位でキックボクシングを始めました。学校の近くにジムがあって、K-1ファイターの龍二さんもいれば、一般の方も通っていました。僕は友達と一緒に始めて、上を目指すっていう感じではなかったです。

――ラグビーとは、どんなふうに出会いましたか?

高校2年生の終わりに、友達に誘われて「福岡ユース」というコカ・コーラの下部チームに練習に行ってみたんです。ラグビー部がない高校などから集まったチームで、試合は1カ月に1回あるかないかでした。練習は週1回で、毎回5~6人しかいなくて。僕も練習は月1回ぐらい。「ボールを持ったら前へ走れ」という程度のざっくりした指導でした。僕はLOで、ジャンプしてキャッチするのがただ楽しかったです。

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――高校のラグビー部に途中から入るという選択肢はなかったんですか?

キックボクシングをやっていたことと、途中から入部すると先輩にかなりシゴかれると聞いていたので......。特に怖いとウワサだったのが、(のちにシャイニングアークスでチームメイトになる)上田竜太郎先輩なんですが(笑)。

――では、高校のラグビー部とはあまり関わりがなかったんでしょうか?

ラグビー部の韓国遠征に同行させてもらったことはあります。ただ、まだラグビーを始めたばかりだったので、タックルした途端に鎖骨を折ってしまって、骨折した状態で観光だけして日本に帰りました......。

――骨折はともかく、ラグビーをすることは楽しかったですか。

当時もう、ラグビーが好きでした。その頃は強い相手と対戦することがないので、キックオフのボールをうまくキャッチできたら、そのまま走ってトライできたりして、そういうのは気持ちよかったです。今でもキックオフのキャッチは得意にしています。野球でフライを捕ったりしていた分、ボールの落下地点に入る動きが身に着いているんですかね。

――それで、大学ではラグビー部に入ることにしたのですね。

福岡工業大学から勧誘を受けて、入学・入部して毎日練習するようになりました。空中戦の強さを買ってもらって、試合にも出られるようになりました。

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――大学時代もポジションはLOですか?

LOをやっていましたが、経験を積んで視野を広げるために体重を増やしてFLやNo.8もやりました。

――大学でラグビー選手として大きく成長できたのは、どんなところですか?

大学1年生の夏ごろに、監督が宮浦(成敏)さんに代わったんですね。宮浦監督はニュージーランドのワイカトラグビー協会でコーチングをしていた人で、指導の一つひとつがためになりました。実際、その年からチームは九州大会で優勝するようになりました。

――練習はかなり厳しくなったんでしょうか?

以前は、月曜と火曜は室内で器具を使ってウエイトトレーニングをするだけの日で、水曜から金曜はグラウンド練習をして週末に試合をしていましたが、宮浦監督が来られてからは、月曜から朝5時に起きてウエイトをやって、午後はグランド練習というスタイルに変わりました。厳しくなって退部した人も多かったけど、僕らは入学して最初の夏だったし、変化を受け入れやすかったです。それで成長できて、今ここにいると思っています。

ただ、みんなと違って僕は理系の学科だったので、実験中や授業中、いつも眠かったです(笑)。

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――一般に理系は文系より単位の取得が大変だと言われていますが。

1~2年生の間は8限まで授業の日もあって、そういう日は夜に自主練したり、みんなと同じだけの練習ができるようにしていました。

――そんな努力が実って、大学3年生の時には7人制ラグビー日本代表にも選出されましたね。

ちょうど、ラグビーワールドカップセブンズ直前の合宿に練習生として入りました。羽野(一志)さんもいましたね。やっぱり空中戦が得意っていうことで選んでもらったんですけど、結果的には、合宿地の菅平(長野県)で40度ぐらい熱を出して、ずっと寝ていました。最終日だけ練習して帰ってきて。

でも、ワールドカップ後の合宿にまた招集してもらえました。その時のメンバーは、この前、リオデジャネイロオリンピックに出たメンバーやスタッフも多くて、いろいろ勉強になりましたね。大学での15人制との兼ね合いもあったり、ケガもあったりで、2回しか参加できませんでしたが、7人制代表に選ばれたことで、いろんな社会人チームから注目してもらえたし、僕もそれで大学卒業後もラグビーをやっていこうという気持ちが固まったところはあります。

――大学時代、最も印象に残っている試合は?

1年生の時に九州大会で優勝して、大学選手権に進んだのですが、1回戦で帝京大に96対6でボロ負け。これが九州と関東の違いなのかって、ショックを受けました。そこから、関東のレベルに追いつこうということで意欲が出て、練習メニューも監督が変えてくださって、実際に少しずつ強くなっていきました。僕らが卒業した後も強化は続いて、今では関東勢ともいい試合ができるようになっています。

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――大学4年生の時はキャプテンでしたね?

キャプテンキャラじゃなかったので「自分でやって」「やらん人は帰っていいけん」っていう感じでした。強くなりたい人もいれば、ただ楽しくやりたい人もいたので、難しかったですね。ただでさえ、言葉で何か伝えるのは下手なので。僕、計算は速くて数学は得意ですけど、国語は全然なんですよ。日本語、難しいです(笑)。大学時代の友達とはめちゃくちゃ仲が良くて、今でも集まったりします。

――大学で本格的にラグビーを始めてすぐレギュラーに定着してキャプテンにもなって、7人制代表にも選ばれて。自分はラグビーに向いていたんだなと思いましたか?

いや、パスも上手くないし、そんなことはないです。ただ、空中戦が得意という、他の人にない特徴があったから、これまで続けてこられたのかなと思います。

――進路を決める頃には、社会人ラグビーのチームから、かなりスカウトがあったのですか?

5~6社、声をかけていただきました。地元が大好きなので福岡のチームに、という気持ちもありましたが、どうせやるなら若手がチームを盛り上げているような元気なチームがいいなと思って、NTTコムを選びました。

大学2年生でニュージーランドへ短期留学した時、ちょうど山下弘資さん、栗原大介さん、鶴田諒さん、伊藤拓巳さんも短期留学中で、向こうで良くしてもらっていたんです。チームの順位も上がってきていたし、前年も良い選手が加入していたし、リクルーターだった内山(浩文)さんからも本当に熱心に誘っていただいて、決めました。

野球でカンを培った空中戦には絶対の自信

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――入団して、チームの雰囲気や、高校時代に後輩から恐れられていた上田選手はいかがでした?

最初は怖かったです。入部当初、大沼(照幸)さんの送別会があって、その席であいさつに行ったら、かなり飲まされました(笑)。高校の先輩だし、チームでも活躍していて、神様みたいな存在だったので言われるまま。自分史上、一番飲んだ夜でした。でも、今はチームメイトとして仲が良いです。NTTコムは、ラグビーはみんな真剣ですけど、普段は上下関係が厳しくなくて、いつも楽しい雰囲気ですね。グラウンドでも、まず若い選手から率先して声を出して、それでチームが締まらない時は上の人たちがビシッと締めて。いいバランスだと思います。

――ラグビーのほうはどんな感触でしたか? ロブ・ペニー監督下での2年目に加わったわけですが。

大学4年の冬にケガをして、まだ完治しない状態でNTTコムに入ったので、なかなか練習に参加できなくて、夏合宿後ぐらいまで別メニューでした。ケガが治ってからはチームのストラクチャーとか、覚えることが多くて大変でしたね。でも、ロブはパフォーマンスが良ければ、新人でもチャンスを与えてくれますし、実際試合にも出られたので、やりがいを感じていました。

――プレシーズンの神戸製鋼戦が社会人ラグビーの公式デビュー戦になりました。メンバー入りした時の気持ちは?

その1カ月ぐらい前の試合でもメンバーに選ばれていながら、試合前日の練習でケガをして、治すのに1カ月かかっての神戸戦だったので。今度こそ頑張ろう、余計なことは考えずにがむしゃらにいこうと思っていました。

――ちなみに2016年の公式プロフィール、「試合前に必ずやることやルーティン」の欄に「美人を探す」という回答があります。

それは、正確には、試合会場に入った時にすることです。やっぱり、きれいな人がいるとテンションが上がるので(笑)。でも、試合前のウォームアップが始まったら、そんなことを考える余裕はないですね。

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――そして、第6節のホンダ戦でトップリーグデビューを果たします。

フル出場できたし、自分がこだわった空中戦とワークレートは思ったようにできましたが、課題も見つかって試合後にアドバイスいただいたりしました。トップリーグはその後、出場機会がなくて、LIXIL CUPの7位決定戦に出してもらいました。久しぶりの試合でうれしかったんですが、延長戦までフル出場だったので、最後は足がつって大変でした。

――1年目を終えて、どんなことを思いましたか?

ワークレートはまずまずだったと思いますが、体重がまだまだ足りなくて。もっと体を大きくして上半身もきたえようと思いました。

――2年目の今季はトップリーグ第3節のNEC戦に出場しました。

今季も出足が悪かったですね。第1節からメンバーに入っていたのに、扁桃腺炎で41度ぐらい熱が出て、第1節、第2節と出られませんでした。あのときは、体重も2日で8キロ落ちました。

――今、体重はどれぐらいですか?

100キロ辺りをウロウロしています。ラグビー部の中でも食べるほうなんですが、シーズンが始まると、どうしても落ちますね。食べるときは鮭フレークを自前で持ち込んで、みんなと一緒に食事した後に、ごはんを3~4杯食べます。それでも代謝がよすぎるみたいで、一晩寝ただけで3キロ減るんですよね。周りにも「お前、やべえな」って言われます(笑)。

――話を戻しましてNEC戦、自身のプレーはいかがでしたか?

トップリーグでは初めて、リザーブでの出場だったので、前半から出ている人をカバーしよう、ボールは全部自分がもらいに行こうと思っていましたし、スペースを見つけてのアタックとかワークレートではチームに貢献できたと思うんですが、最後にまたケガをしてしまって。じん帯を切ってしまったので、今はリハビリをとにかく頑張ります。

中島進護選手写真
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――チームとしては、今季はスクラムが注目されるところですが、手ごたえはどうですか?

今季のスクラムは、8人がまとまって組むことに重点を置いています。FLがちょっと早く顔を上げたりしたら7人になりますよね。そういうのをナシにして、8人全員で低くなって組むということです。シーズンぎりぎりになって組み方を少し変えた分、神戸戦ではまだうまくいかないところもありましたが、これから自分たちのスクラムが組めるようになるはずです。

――ところで、中島選手は左利きですよね。ラグビーで有利なことってありますか?

特にないです(笑)。みんなは右パスが得意だけど、僕は右パスが得意じゃなくて、左パスがちょっとできるっていうぐらいの違いです。

――ラグビーをしていて、一番気持ちがいいのはどんな瞬間ですか?

ジャンプしてボールを取った瞬間ですかね。ハイパン上がったら、もう「よっしゃ!」みたいな。ジャンプ力もタイミングも自信はあるので、相手はあまり気にしないで飛びます。

――日本代表入り、ワールドカップ出場など、中長期的な目標を教えてください。

今はジャパンに入りたいと思っていません。まず、同期5人全員でそろってトップリーグの試合に出たいです。自分のことでいえば、まず何よりもケガなくトップリーグに安定して出たいです。トップリーグの試合って、お客さんがたくさん来てくれるし、応援してもらえるのは、すごくうれしいです。

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