林雅人監督インタビュー
菅平合宿中の7月14日に林雅人監督に話を伺いました。ご自身の選手時代から今日に至るまでのエピソードを含めて、シャイニングアークスの今シーズンを紐解いてもらいました。
林監督ができるまで。
——選手時代のポジションは?
最後はフランカーでしたが、中学でラグビーを始めた時は、わけがわからないままフッカーをさせられました。それでスクラムを組んだら手が使えないので頭から落ちてしまってびっくりしてしまい、「このポジションはまずいな(笑)」と思って、とにかく後ろに下げてくれと監督に頼みました。それでフルバックになりました。それからスタンドオフとフルバックをずっとやっていました。高校に入ってから、フランカーになりましたが、No.8がいなければ、No.8もやりました。中学から大学までの間、ハーフも含めてセンター以外の全てポジションで試合を経験しました。大学ではフランカーに決めて、その後の社会人でもフランカーでした。
——社会人の清水建設時代は、選手だけでなくコーチも?
入って2年目にキャプテンになって、4年間キャプテンを務めた後プレーイング・コーチになりました。監督もいないので自分たちで考えてやっていました。
——選手を引退した時にコーチになったきっかけは?
チームからコーチを専任でやってほしいと言われました。自分でプレーしないで選手に口で指導するなんてできないと思い、すごく嫌でした。キャプテンを終わってプレーイング・コーチという肩書になって、30歳を過ぎてコーチ専任でやってくれと言われて、現役選手としての自分の力はもう必要ないということかと思い、すごくショックで暗かった覚えがあります。当時会社が浜松町にあったのですが、駅まで歩く渡り廊下を暗い気持ちで歩いていたのを覚えています。まさか、それが自分の生きがいになるほど続くなんて思ってもいなかったので、人生って不思議だなあと思いますね。
——その後、コーチの資格を取りにオーストラリアに行かれましたね。
1996年に11年3か月勤めた清水建設を辞めて、父親が経営する会社を継ぐ前に留学しようと考えていました。しかし父親が突然倒れてすぐに会社に入らなければならなくなり留学は断念しました。その頃、当時の慶應義塾大学ラグビー部監督の上田さんから連絡があり、慶應のコーチの依頼を受けました。それで教えるならまずラグビー先進国で指導資格を取ろうと思い、オーストラリアに行ってコーチングの資格を取りました。
——慶應では、フルタイムのコーチでしたか?
はい、1996年シーズンから2000年まで、実質的にフルタイムでやっていました。父親はアメリカで倒れて一時はもうだめだと言われていたのですが、奇跡的に助かり元気になって戻ってきました。父からはラグビー部の指導をすることもリーダーとしてのいい経験になるので、引き続き指導を続けた方がいいと言われ、父親の会社から給料をもらいながら、5年間慶應義塾大学のコーチをしました。その時の教え子に栗原徹選手もいました。
——ただ、いずれは会社に戻る予定だったのでしょうか。
はい、会社に戻る予定でした。コーチや監督でプロになろうという気持ちは全くありませんでした。
——その後、東京ガスや日本代表関連のコーチに。
はい。東京ガスも日本代表もプロとして契約しました。2000年から東京ガスのコーチをしながら日本代表のコーチとなり、そして2003年には日本A代表の監督も経験しました。日本協会が日本人とプロコーチ契約を結んだのは向井さん(当時代表監督)と僕が初めてだったと思います。コーチとしての責任感を持ちたかったのでプロ契約を希望し、日本協会に受けて頂きました。
——そしてその後、サントリーのコーチに。
はい、サントリーでは2005年から2年間コーチをやりました。2004年の年末にサントリーからコーチのオファーを頂きました。当時サントリーは永友洋司監督(現キャノン監督)が率いていました。正直、全く予期していなかったので、嬉しいというより驚きの方が大きかったです。
——エディさん※1とは、それ以前から面識があったのですか。
慶應のコーチをやっていた1997年頃に、サントリーの方からいいコーチがいるということで紹介されたのが初めての出会いでした。当時エディさんは全く無名でした。親しくなっていろいろ教えてもらっているうちにブランビーズの監督になってしまいました。それでブランビーズを準優勝、優勝とさせて、それからオーストラリア代表チームの監督となり、2003年のワールドカップで代表チームを準優勝に導きました。あっという間に世界的に有名な指導者となってしまいました。その間私は、ほぼ毎年エディさんが指導しているチーム(ブランビーズやオーストラリア代表チーム)へ勉強に行きました。私はエディさんが無名時代から親しかったので、更に仲良くなれました。
※1 : エディ・ジョーンズ(Eddie Jones)氏。オーストラリア代表監督、南アフリカ共和国代表チームアドバイザー等を歴任。現日本代表ヘッドコーチ。
——その頃からエディさんは、最先端の理論を実践していたのですか。
そうですね、エディさんは絶えず勉強していましたので教わることは沢山ありました。私はオーストラリアでコーチの資格は取ってきましたが、それは例えれば運転免許みたいなものでしかないので、日々進歩しているラグビー理論を教えて頂きました。
——林監督も勉強熱心だと思うのですが、その姿勢はエディさんから学んだところでしょうか。
そうですね、エディさんから一番学びました。あとはサッカー界の有名なコーチの言葉で「コーチは学ぶことを辞めた時、教えることも辞めなければならない」というものがあり、この言葉にもすごく感銘を受けました。ふんぞり返って何も勉強せずに昔の経験だけで指導するコーチに、いったい誰がついていくのだろうと考えていましたので、チームの中でいつも自分が一番勉強していなければならないと思っています。
——それともう一つのルーツは、「ロー・ファースト・タックル」の慶應ですか。
そうですね、弱いチームが強いチームに勝つには絶対それが必要だと思っています。また、実際に機能して勝利した経験も多くあり、実感があります。しかし各チームにはそれぞれチームカラーというものがありますので、どのチームをコーチしてもディフェンスを柱に指導する訳ではありません。サントリーでは日本一のアタック・チームを目指しましたし、慶應では大学一のディフェンス・チームを目指しました。そしてNTTコムに来た時、強いセットプレー以外にもうひとつチームカラーが必要だと感じ、チーム内で話してディフェンスを1つのチームカラーとすることにしました。
——コーチや監督のノウハウは、どういう所から学んできたのですか。
まずは人から学びます。一番はエディさんです。あとは、ジェイク・ホワイト※2。それから巡り合ったコーチ陣、例えば今ならブランビーズでジェイクの下でコーチをやっているローリー・フィッシャーFWコーチなどですね。そういう人たちに自分で会いに行って、現地でコーチングを見て話を聞き、それをまた勉強するというようにやってきました。
※2 : ジェイク・ホワイト(Jake White)氏。南アフリカ代表監督として2007年(南アフリカ)ワールドカップ優勝監督。現ブランビーズ監督。
——エディさんもジェイクさんも、今や世界の両雄という感じですが、ジェイクさんとはどういう出会いがあったのですか。
エディさんに紹介して頂きました。2009年にエディさんがイギリスのサラセンズというチーム指導していたのですが、その時にジェイクがスポットコーチとしてサラセンズに来ていました。エディさんが海外チームで指導している時は、毎年一回程度こちらがオフの時に、篤(現シャイニングアークスBKコーチ: 金沢篤氏)などと一緒にエディさんを現地へ追いかけていって勉強するということをやっていました。それでサラセンズに行ったときにエディさんからジェイクを紹介されました。ラグビー界では有名な方ですので「うわ、ワールドカップ優勝監督だ!」と思いましたが、仲良くなることができました。大学の学年で言えば、エディさんが4年生、僕が2年生、ジェイクが1年生という年齢関係です。はじめは「ジェイクさん」と呼んでいましたが、僕の1歳年下だと分かった瞬間から「ジェイク」と呼び捨てになりました(笑)。
——今年もシャイニングアークスにスポットコーチで来てもらっていますね。
基本的にはディフェンスを教えてもらっています。2007年のワールドカップで彼が率いた南アフリカ代表チームが優勝しましたが、ディフェンスで掴んだ優勝でした。世界で一番ボールを持たないチームが世界一になりました。ボールを持たないのに勝てるチームというのは、現在シャイニングアークスが挑戦しているディフェンスで頂点を目指すというチームの成功例と言えるでしょう。ジェイクにはディフェンス・システムとタックルを教えてもらっています。彼は今年ブランビーズで好成績を収めていますが、アタックもまたエディさんとは視点の違うものを持っていますので、うちで出来ると思えるアタックはそのエッセンスをもらっています。いつもはエディさんのアタック、ジェイクのディフェンスということでやっていますが、今年はジェイクからアタックのエッセンスももらっています。
——林監督のコメントでは、具体的な数字がよく出てきますが、エディさんやジェイクさんもそうだったのでしょうか。
そうですね、使いますね。コーチングの手法だとは思うのですが、感覚で言うよりも事実としての数字を出した方が伝わりやすいと思います。例えば、春シーズンでサントリーやNECと勝ってきて相手を圧倒した時は、ドミナントタックル(相手を圧倒するタックル)の割合が6~8%でした。おおよそ12から16回に1回は「おーNTTコム、いいタックル!」という感じになっていたのですが、それがドコモ戦では2%でした。50回に1回しかいいタックルがありませんでした。「ディフェンスが良くなかった」と選手に伝えるよりも、こういう数字を出して「ここがダメだったよね」と選手に伝えた方が、「そうか、そこが悪かったんだ」と選手たちも納得すると考えています。ただ単に悪かったと言っても伝わらないと思います。何をもって悪かったかということが、数字を入れることで伝わり易くなると思っています。
——数字を使って論理的に伝える反面、試合中はすごく熱いですよね。
ははは(笑)。すいません。試合前、選手に「レフリーに文句を言わないで尊重しなさい」と言っているのですが、僕が一番ダメですね(笑)。判定は覆らないのだからと選手に言いながら、自分が一番大声で叫んでいます。エディさんも今はもう大人になりましたが、一緒にサントリーなどを指導していた頃は、僕以上!にうるさかったんですよ(笑)。
——選手を選ぶ基準を一言でいえば。
今のチームでしたら、タックルができる選手、ディフェンスができる選手を選びます。選ぶ基準には、パフォーマンスと取り組む姿勢の2つがあります。本来であればパフォーマンスがいい選手を選ぶべきですが、とりわけこれから強くなっていこうというチームにおいては、取り組む姿勢も考慮すべきだと思っています。昔培ったスキルに慢心して、努力しなくたってパフォーマンスが良ければ試合に出れると考えている選手は、成長過程のチームにとってはマイナスです。たとえその選手が活躍してその試合に勝ったとしても、日々努力していない選手が試合に出るということは、長い目で見てチームの成長に影響します。無論、チームは結果がすべて、勝つことがすべてに優先するので、難しい舵取りを監督はしなければなりません。
今シーズンのこれまでと、これからのこと。
——春のオープン戦を終えて、成果と課題を教えてください。
今シーズンは精神的な強さを求めて、規律をしっかりしようということでスタートしました。まず心技体の「体」の部分ではS&Cコーチの努力で選手の走力を落とさず筋肉量を上げることが少しずつ出来てきました。そして「心」の部分では、規律をしっかり守らせることで、自ら厳しい選択をし続けられるようになり、春のオープン戦で一定の成果が出たと考えています。具体的な現象でいえば、ゲームペースを上げていくのが持ち味のサントリー相手に、ペナルティをもらった時に自分たちがクイックタップ(速攻)で攻め、サントリーの土俵での戦いを挑んでいくなど、厳しい選択を試合中にできるようになりました。自分たちが厳しい選択をした時、相手チームは実はもっと厳しい状況陥り、そこにこそ小さな奇跡を起こすチャンスが存在することを学んだと思います。また「技」の部分では、すべてがまだまだですね。特にフォワードは味方ボールラインアウトの精度、バックスはパスの精度の向上が急務です。
※S&C:ストレングス(俗にいうウエイト)とコンディショニング(俗にいうフィットネス)。
——トライを随分獲れるようになったと思いますが。
そうですね。改善の兆しは見えてきました。とりわけ効果的だったのはオフロードパスの活用だったと思います。昨シーズンまでは接点で相手のぶつかると、基本的にいつもラックにしていました。しかし今年は相手が低くタックルに来た場合は、接触後にパスを放ることに挑戦しています。その影響もあって、トライが獲れるようになってきたと思います。
——北海道合宿では、どんなメニューになりますでしょうか。
今この菅平合宿でもS&Cをベースに、スキル系のトレーニングも混ぜています。千葉に帰って1週間で地域ごとの戦い方とユニットのスキルを整備して、北海道の合宿に入ります。そして合宿一戦目の近鉄戦でいろいろと試して、そこで出た課題をいろいろと克服して最終戦に臨む、といったような試合中心の合宿になります。
——最後にファンの皆さまにメッセージを。
NTTコムはセットプレーとディフェンスにフォーカスしています。ぜひ強いスクラム、安定したラインアウト、低いタックルとボールを獲りに行こうとする接点での圧力といったところを観ていただけたらと思います。「NTTコムは、ディフェンスいいよねえ」とか「セットプレー強いねえ」とか言ってもらえるゲームが出来れば、それはNTTコムが試合を支配していると言えますし、勝利が見えてきます。
同時に、NTTコミュニケーションズ・シャイニングアークスは、チームが一つとなり「世の中には、はじめから不可能なことなんてない」ということを、ラグビーを通じて証明したいとも思っています。昨年パナソニックに勝ったように、我々はみんなで力を合わせて小さな奇跡を起こす準備を日々しています。是非グランドにお越しいただき、その瞬間を皆様とともに味わうことが出来れば、本当に幸せです。グランドで会いましょう。