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リチャード・ハビーリ・カウフシ Richard Havili Kaufusi

バックス・SO / CTB

トンガ代表選手を何人も出したラグビー一家に育ちながら、ラグビー部としては新興の大学から乞われて来日し、卒業後はクラブチームに入り1年間チャンスを待った。本人語るところの「アホみたい」な突進プレーはもちろん、彼の誠実な練習態度や熱意は、チームに新鮮な風をもたらしている。

リチャード・ハビーリ・カウフシ

代表選手だった父や兄からラグビーを学ぶ

――ラグビーは、何歳のときに始めましたか?

地元のクラブチームに入ったのは5歳のときです。でも、父も叔父も兄2人もラグビーのトンガ代表だったので、家にはラグビーボールがたくさんあって、もっと小さいころからラグビーボールで遊んでいました。

――5歳で本格的なチームに。ポジションは?

最初はフルバック(FB)でした。兄やコーチから「お前はパスが速いから、スタンドオフ(SO)をやるといいよ」と言ってもらっていたので、僕はSOをやりたかったんですが、子どものうちはケガがないようにFBでとコーチが考えてくれたんです。キックを蹴るのは楽しかったですね。

――早いうちから、ラグビー選手になりたいと思っていましたか?

兄が代表選手で海外へ試合に行ったり、レベルの高い練習をしたりしているのを見ていたので、あこがれていました。飛行機に乗ってみたかったし(笑)。

――では、学校もラグビー強豪校を選んだのでしょうか?

ラグビーで有名な学校に進みました。高校1年生ぐらいで、ラグビー選手になることを現実的に考えるようになったと思います。15歳のとき、クラブチーム傘下のU21チームに誘われてプレーするようになって。高校のラグビー部にも入っていたので、当時は金曜日に高校の試合に出て、土曜日にクラブチームの試合に出るような生活でした。

――15歳と20歳では体格が違うし、苦労したんじゃないですか?

ポジションがFBで、相手が迫って来たらパスかキックにしていたので、そんなに体格差を感じることはなかったです。その頃、ウェイト・トレーニングを始めましたし。技術とか考え方でいうと、僕はずっと父や兄の指導を受けてきていたので、チームの中では頭一つ抜けていたと思います。年上の選手もみんな、僕にプレーのことを聞きに来てくれたりしました。

――大学や社会人ではポジションはSOでしたが、FBからSOに変わったのはいつですか?

17歳のときです。チームのSOがケガをしたので、僕がSOで出ることになりました。15歳からウェイト・トレーニングをやってきた成果なのか、アタックもディフェンスも当たり負けなかったし、いいパフォーマンスができて、それ以降はそのままSOに定着しました。コーチが「SOでしっかりディフェンスができるのは、売りになる」と言ってくれて、僕もFBに向く選手は他にたくさんいると思っていたので、SOで強みを生かしたいなと思うようになったんです。

――ディフェンスを強みとしたSOになろうと思ったということですか?

SOのディフェンスがいいと、チームのフォワードもプレーしやすくなるし、相手も「このSOはディフェンスがいいな」と思ったら、あんまり走ってこないので。ディフェンスを向上させたら、チームも僕も楽になると思いました。それで、今でも暇さえあればウェイト・トレーニングをやっているんです。コーチや兄の教えを思い出して、ケガがないように、いいディフェンスができるように。

――それからNTT Comに加入するまでは、ずっとSO?

いえ、CTBもやっていました。僕は、本当は自分にはSOがいいと思っているんですけどね。SOは試合の中で基本的にはゲーム・コントロールになるけど、CTBはよく走るし、アタックもディフェンスも中心になってやらないといけない。勉強することがたくさんあるし、トップリーグのCTBはみんな速いし上手いので大変です。去年はCTBを勉強することで精一杯で、SOのプレーをかなり忘れちゃいました(笑)。

――高校時代は代表チームに呼ばれたりもしたのですか?

17歳から20歳まではトンガの高校代表、U20代表に呼んでもらって、ずっとキャプテンをやっていました。スーパーラグビーのチームのアカデミーにもいくつか誘ってもらいましたね。

18歳のときはトンガ代表(いわゆるフル代表)にも選んでもらったんですが、辞退しました。父から「18歳ではまだ体も大人のように完成してはいないし、まだまだ長いラグビー人生をケガでダメにしてしまったらどうするんだ」と諭されて、確かにそうだと思いました。この頃は注目されていて、新聞に僕のプレーについて書かれた記事や、正規の取材を通さない写真が載ったりしました。そんなときも父は僕に「気にするな」とアドバイスをしてくれました。

――自分のどんなところが評価されて、各世代キャプテンを歴任することになったと思いますか?

練習態度じゃないかと思います。僕はチームの練習が9時に始まるなら、8時にはトレーニングを始めていました。チームの中でコミュニケーションを取ってしっかりしゃべるとか、そういうことも率先してやるタイプでした。兄がそうするべきだと教えてくれて、本人もそうしているのを見てきたので。

――大学は京都の花園大学へ。これはどういう経緯で?

僕の高校と花園大学の間でパイプがあって何年かに一度、選手が留学する交流がありました。僕の知っている先輩も花園大学で頑張って、3年生になったときに僕と友人をスカウトしてくれたんです。日本へは父も行ったことがあって「みんな、とても親切だ」と聞いていたので、不安はなかったですね。

――実際、花園大学に入学して、大学やチームはどんな印象でした?

残念ながら当時はレベルが......。僕の尊敬する大先輩が行った大学で期待が高かっただけに、最初は想像していた環境と違い驚きました。グランドも狭かったし、遅刻する人もいたりと・・・でも、これから強くなっていくチームなんだと思い、頑張って練習をしました。

――腐ることなく、いたってまじめな大学生活を送っていたんですね。

でも、在学中にタトゥーを入れて。僕の感覚では悪いことでも何でもないけど、父にはものすごく叱られました。タトゥーは日本では悪いイメージになるからって、母からもひどく怒られました。帰省したときに隠してたけど見つかって「おまえ何しとん!」って(笑)。母はいつも僕のこと心配してくれてましたから。

――寮生活だったのですよね。生活習慣など、戸惑いはなかったですか?

というより、生活そのものが大変でした。チームの練習と自主トレで明け暮れて、1カ月の収入は3万円だけ。そのうち2万5000円を実家へ送って、送金には手数料もかかるから、手元には5000円も残らないんですよね。

寮で食事が出るのは夜だけだから、朝8時から何も食べないで練習して20時に夕食っていうのが普通でした。先輩がランチをごちそうしてくれることもあったけど。日曜と月曜は休日で夕食もないから、ごはんに砂糖と牛乳をかけて食べたりしていました。休み明けの火曜の練習がすごく辛かったですね(笑)。当時はよくみんなに「食べないのに、なんでそんなムキムキなの?」って言われてました。部で用意してくれていたプロテインをしっかり飲んで筋トレしてたら体はちゃんと強くなってました。
厳しい環境だったとは思いますが、しっかりトレーニングさせてくれた大学には感謝しています。あの時間があったからこそ、自分の体の基礎を作ることができましたんだと思います。

――ラグビー選手としての将来については、当時どんなふうに考えていましたか?

在学中、トンガのU20代表に呼ばれると数カ月はトンガを拠点にラグビーをするので、最初にトンガへ帰国したときは「もう日本に戻りたくない」と正直、思いました。でも、日本に戻りました。不安でしたけどね。スカウトもあまり来ないし、卒業後、ラグビーでやっていけるかどうか分からなくて、就職活動の準備もしていました。

――今は日本語(関西弁)が堪能ですが、当時も上手だったんですか?

いや、全然です。大学側がちゃんと日本語のカリキュラムを用意してくれていたんですけど、ちょうどトンガU20代表の活動期間と重なってしまって、少ししか授業を受けられなくて。だから、花園大のチームメイトとも試合中にジェスチャーでコミュニケーションを取るんですけど、そうすると相手にもバレてしまってパスをもらった途端に3人からタックルされたこともありました(笑)。だから20時に夕飯を食べたらすぐ寝て、3時とか4時に起きて朝まで勉強してから大学に行ってました。僕の日本語の教科書は主に新聞です。

――就職活動はうまくいっていたんですか?

なかなかうまくいきませんでした。それで大学のコーチが、クラブチームでプレーしながら、仕事を探したりプロ選手になる道を探したらどうかって、六甲ファイティングブルを紹介してくれました。六甲にはトンガから一緒に花園大へ留学していた友達も入って、僕が10番、友達が11番でプレーして、全国クラブラグビーフットボール大会で優勝しました。でも、日本選手権は1回戦で帝京大を相手に大敗でした。僕と友達は、帝京の選手たちとはいずれトップリーグでまた顔を合わせるんだから、そのつもりで「コイツすげえな」と思われるようなプレーを見せてやろうぜって話してたんですけど、アタックの場面が作れなかったです。

自分のプレーで、みんなに恩返しをしたい

――そして、シャイニングアークスからトライアウトに誘われるわけですね。

六甲からシャイニングアークスのスタッフに紹介してもらい、「すごく頑張ってる選手がいるから」って推してもらえたんです。それで、とにかくチャンスだけもらって。トライアウトの一つひとつのプレーに全力を尽くしました。苦労した分も全部、出し切らなければと思って。「OK」とテスト終了の合図をされたとき、体がすごく軽くなったのを覚えています。しんどかったことが全部消えていくような感じで。合格の結果をもらったときは泣きました。
六甲に誘ってもらったおかげでシャイニングアークスに誘ってもらうことができたし、六甲のみんなには僕のプレーしている姿をたくさん見せて恩返ししたいです。

――シャイニングアークスに加入して、今度はレベルが高いと感じましたか?

(加入初年度の)去年はとにかく必死でした。僕より年下の選手も含めて、チームのみんなを尊敬して頑張ってきました。僕がいいプレーをすると「リッチー、いいじゃん」と言ってもらえるのが励みになりましたね。逆に、僕がダメだったら「なんでわざわざこんな選手を入れたんだ」と周りに思われてしまうので、それは何としてでも避けたかったです。

僕はシャイニングアークスに入れたことを、みんなにすごく感謝してるから、恩返しをしたい気持ちが強いんだと思います。大学の後輩には冷蔵庫と冷蔵庫いっぱいのお肉を買ってあげたりもしました(笑)。ケンカするなよ、悪いことはするなって説教もしますけどね。僕が活躍すれば、いろんな人に「花園大学」の名前を印象づけられると思うし、それで花園大学やトンガの後輩たちにもっと道が開けるかもしれない。そういう気持ちで日々の練習を頑張っています。

――練習はあいかわらず、みんなの1時間前から?

はい、それはずっと続けています。トレーニングをしたり、みんなで使う場所の掃除をしたりしながら、チームの練習開始を待ちます。そういうことをスタッフの人が見ていて「すごいね」って褒めてくれるけど、僕にとってはそれが当たり前のこと。仕事をしてからグラウンドに来る選手はもっと大変だと思うので、みんなが仕事をしているときに遊ぶ気にはなれないです。

――1年目、トップリーグは第6節のコカ・コーラ戦に出場。メンバーに選ばれたときの気持ちは?

うれしかったですね。緊張とかじゃなくて、わくわくしてて。一緒に選ばれた同期の上田竜太郎(選手)の部屋に泊まりに行って、僕が持ち込んだスピーカーで僕の好きなHYの『366日』を流して。竜太郎は「なんで来るんだよ」って文句言ってましたけど、僕は「まあまあ、リラックスリラックス」って(笑)。翌朝、自分の部屋に帰って準備をしてもう一度、竜太郎の部屋まで迎えに行って、また音楽聴いて。僕が「今日の試合は頑張らなアカン!」って言ったら「なんで朝からそんな元気? キモ!」って竜太郎は嫌そうな顔をしてたけど、そのうちなんか笑えてきて二人でめっちゃテンション上がりました(笑)。

――試合に出て、手ごたえはどうでしたか?

ボールキャリーの場面がいくつかあったけど、調子は良くて、いいパフォーマンスができたと思います。それ以上に、試合に勝てたこと(27-21)がよかったです。僕はトンガにいた頃、試合の前には、いつも見に来てくれる母にどんな顔をさせたいんだっていうことを考えていました。試合に勝ったら、母はきっと笑ってる。負けたら、そうならない。シャイニングアークスのファンの皆さんも、勝ったらすごくうれしそう。負けたら、しゅんとしてしまう。最高の笑顔が見たい、それがイチバンなんです。

――横河武蔵野との入替戦では先発出場3トライの大活躍でした。

前夜は4~5時間しか寝られなかったんですけどね。トップリーグから落ちてしまったら、みんなのモチベーションが下がるかもしれないし、この試合は絶対に負けられないとか、いろんなことを考えていました。試合になったら絶好調で、3本もトライが取れて、本当にうれしかったです。最初の開始7秒のトライで「今日はいける」と思いましたね。

――昨シーズンは2戦ともCTBでしたが、今季もCTBでの出場が増えそうですね?

4~5人でCTBのポジションを争っていくんでしょうね。チームは、ボールを持って走れる選手を求めていると思うので、ランナーとしての役割がきちんと果たせたら、試合にもずっと出られるようになると思います。

――突破力はリッチーの大きな魅力ですよね。

僕はたぶん、ボールをもらった後も、もらう前と同じ100%のスピードで走れるのが特徴なんですよね。普通はディフェンスを警戒したりして少しスピードが落ちるものだと思うので、みんなには「アホみたいなプレー」ってよく言われるんですけど。試合でタックルされたとき、ラックの中でさっきタックルした人がたいてい「コイツはヤバイ」っていう表情をしています(笑)。もうこの選手にタックル行きたくないっていう顔が見えるので、次の機会にそこを突くと突破できたりするんですよね。試合後に、そういう相手から「重い、もう!」って言われたりします(笑)。

強化したいのは、ディフェンスですね。CTBのディフェンスが弱くて、そこに穴ができてしまうと、チームの弱点になってしまうので。
しっかり食事をして、練習、練習です。

――ラグビー人生における中長期的な目標はやっぱりトンガのフル代表ですか?

トンガ代表には去年も呼ばれて、シャイニングアークスからは行ってもいいと言ってもらいましたが、自分の判断で断りました。その時は公式戦にも出場できてなく、チームに貢献できてないのにケガをしたときの保障をどうするのかとか、選手にとって大切なところをトンガはもっとちゃんと整備しないといけないと思います。日本で、苦労している後輩を助けてあげたい気持ちもあるし、今、僕が願っているのは、このチームで長くプレーをして、みんなに恩返しをすることです。ぜひトップ4に入って、プレーオフを戦いたいですね!