インタビュー / INTERVIEWS

CloseUp Interviewクローズアップインタビュー

不屈の精神力で再び日本代表候補に選出された、
CTB シェーン・ゲイツ

2021年5月13日

シェーン・ゲイツ

長く険しい道のりだった。

この度、2021年度の日本代表候補に選出されたシェーン・ゲイツ。だが、ここまでの道のりは平坦では無かった。19年3月に負ってしまった、かつて経験の無い大怪我からの復活のストーリーがそこにはあった。

NTTコミュニケーションズシャイニングアークスに加入して3年目の18年夏、初めて日本代表候補に選ばれ、翌19年はスーパーラグビーの日本チーム「サンウルブズ」に参加していた。

この年のヘッドコーチを務めたトニー・ブラウン(日本代表アタックコーチ)の期待値は高かった。開幕戦から3試合すべてに先発したセンターはゲイツだけだったのだ。

候補選手にとってサンウルブズはアピールの場。やがてワールドカップ出場に行き着くかもしれない、希望の列車だ。途中下車するわけにはいかない。

そんな強い覚悟で南半球最高峰リーグに飛び込んだが、悲劇は19年3月2日に起きた。ニュージーランドで行われた第3節チーフス戦の、前半4分だった。

「試合の序盤でした。相手の選手が自分の足に乗っかってきて、すごく不幸な形で右脚を骨折しました。とても痛く、私のキャリアの中で一番ひどい怪我になりました」

シェーン・ゲイツ

右脛(すね)の開放性骨折。
4度の手術、20か月を超えるリハビリを要する“事故”だった。

現地の病院に運び込まれ、全身麻酔で緊急手術。モルヒネによる意識消失から目を覚ますと、そこはワールドカップから遠ざかっていく列車の中だった。開放性骨折とは、骨が外に露出した骨折のこと。

6か月後の大会出場は、絶望的だ。

しかし術後のゲイツはといえば、自身の行く末ではなく、チームのことを気に掛けていた。

「それまでサンウルブズはアウェーで勝ったことがなかったのですが、自分が負傷退場した時、チームはリードしていました。試合結果が気になって、手術が終わって起きてから『チームは勝ったのか、負けたのか』と訊ねました。コーチから勝ったというニュースを聞いて、すごく嬉しかった思い出があります」

30-15で勝利し、リーグ参戦4年目で初となる敵地戦勝利。歓声の届かない病室でひとり、仲間の歴史的快挙を喜んだ。

4日間入院し、翌週に帰国。日本に帰ってきたゲイツを待っていたのは、20か月を超えるリハビリ生活だった。

「2019年の3月に負傷したこともあって、その年のワールドカップは諦めるしかない状況でした。リハビリ期間は21か月か、22か月くらいです。気持ちの浮き沈みがあるリハビリ生活でした」

ただ9月20日に開幕したワールドカップ日本大会は
素直に楽しめた。
選手によっては嫉妬、羨望で強いストレスを
感じるかもしれないが、ゲイツは早々に切り替えていた。

シェーン・ゲイツ

「もちろんホロ苦い気持ちは少しありましたが、『次の日本代表を目指そう』という気持ちになっていて、ワールドカップはすごく楽しみました。母国の南アフリカが優勝した決勝戦は、チームメイトの(ヴィリー・)ブリッツ、シルヴィアン(・マフーザ)など、南アフリカ出身の仲間とスタジアムで観戦できました」

日本代表は快進撃を続け、初の8強入りを決めた。グループステージでは、ゲイツの両親のルーツ国をそれぞれ破った。

「両親は南アフリカで生まれ育った南アフリカ人ですが、父方のルーツはアイルランドで、母方はスコットランドです。しかし、日本代表の活躍を見ることを誇らしく感じました。日本の人々がラグビーを楽しんでいる姿にも喜びを感じていました」
精神の危機は大会後にやってきた。3度目の手術をした19年10月から、4度目の手術があった20年4月までの約半年間だ。

本当に復帰できるのか。
本当にもう一度ラグビーができるのか。
タフな心身を誇るゲイツをして、
出口の見えない不安にさいなまれた。
そんなとき、身近な人びとが支えになった。

シェーン・ゲイツ

「シャイニングアークスの仲間には、フィールドの中でも、外でも、とても大きな借りがあります。モチベーションが湧かず、落ち込んでいる時もありましたが、そういった時に優しい言葉、行動で支えてくれました。本当に感謝しています」

大きなモチベーションを与えてくれる存在は母国にもいた。

ゲイツは1992年9月27日、4人家族の次男として、南アフリカ南部のイースタン・ケープ州デスパッチ(Despatch)に生まれた。6歳からラグビーを始め、高校卒業後にスタンドオフとしてプロキャリアをスタートした。

最大のファンは父ショーンさんだ。大のラグビー愛好家で、自身も学生時代にプレーしていた。しかし家にラグビー用品を揃える経済力がなく、競技継続は断念した。

ラグビーをやりたくても続けられなかった父。逞しく育った次男はいま、父の思いも背負って戦っている。

「父は学生時代、ラグビーのコーチにスカウトされたのですが、試合用のジャージーを買うお金がなく、ラグビーを諦めなければいけませんでした。そんな父は、私が子供の頃からいつも応援に来てくれました。『父に誇りに思ってもらいたい』という思いが、自分の中での大きなモチベーションです」

2016年の来日前、父ショーンさんの夢は「息子が南アフリカ代表になること」だった。しかし今は違う。日本代表入りという目標を共有し、ともに歩んでいる。

そんな共通の夢の実現に必要だった4回目の手術は、20年4月、無事に成功した。

メディカルスタッフ、チームドクターの支えもあり、20年冬の練習試合で20分間の途中出場を果たした。ゲイツにとっては、復帰戦前のスタッフの不安げな表情、試合後の安堵の表情が宝物になった。

ゲイツは長く険しい2年を、耐え抜いた。

シェーン・ゲイツ

トップリーグの復帰戦は第3節のクボタ戦だった。開催日は21年3月6日。奈落に突き落とされたあの日から2年が経っていた。13番を背負って先発し、前半36分にトライも記録。第3節以降は全試合に先発した。

そしてリーグ戦終了後の4月12日月曜日、21年度の日本代表候補が発表され、ゲイツは約2年半ぶりに候補リストに名を連ねた。

事前連絡は受けていたが、喜びを抑えて発表を待っていた。公表されたリストに名前を見つけると、分かってはいても嬉しかった。ゲイツはふたたび希望の列車に乗り込んだ。

「正式に代表候補のリストが出て、名前があったときは嬉しかったです。去年(20年)は走ることさえできない状況で、代表のプログラムにはもちろん参加していなかったので、今シーズンのトップリーグで評価してもらったのだと思います。両親にも連絡をしました。私の一番のファンである父も喜んでくれました」

日本代表を目指すモチベーションは、
シャイニングアークスの仲間や、
南アフリカの家族のためだけではない。
日本代表を応援する日本の人びとの姿が、
まぶしく目に焼き付いている。

シェーン・ゲイツ

「日本代表を応援しているファンの皆さんの姿が、日本代表を目指したいというモチベーションになっています。日本代表のジャージーを着てプレーをする機会があれば、その時はいつでも、日本のために全力を尽くそうと思います」

キャリア最大の苦難を乗り越え、心身はいよいよ強靱になった。ボルト、プレート、鉄の棒が入った右脚を踏ん張って、シェーン・ゲイツは日本のために全力で駆ける。