テーマ1 Web2.0の次を考える
第4回
すべては提供者ではなくユーザーが決める
これまで、Web2.0のメディア環境ということについて振り返ってきました。今回は、いったんのまとめとして、ユーザーとしてWeb2.0にどう対峙すれば良いのか、という観点から見て行きたいと思います。
Web2.0的なメディア環境の特質として、次のようなことが言えると思います。
・Webやブログは、ユーザーによる工夫や革新(「ユーザー・イノベーション」)を後押しする
・情報の受け取りかたは、送り手の意図にかかわらず受け手の側がコントロールする
・サービスは常に開発の途上(「ベータ・バージョン」)である
・ユーザーには使いこなせるだけの能力(「リテラシ」)が求められる
これら(特に「」で囲んだ言葉について)は、Web2.0以前のメディア環境においても、多かれ少なかれ言われたことではありましたが、ブログがもたらした情報発信の敷居の低下やWebアプリケーションの開発スピードが速くなったことによって、さらにはっきりと意識されるようになってきました。
ユーザーの工夫の余地が広がった
これまでの情報システムやサービスは、ユーザーが工夫する余地は極めて限定的なものでした。例えば、Webサイトを構築しようとしたときに、比較的簡単に更新ができるCMS(コンテンツ管理システム)と呼ばれるツールの選択肢は極めて限られていましたし、それらは大規模サイトを対象にした高価なものが中心でした。
しかし最近では、ブログのように安価なCMSが数多く登場しており、誰でもちょっとした工夫さえすれば、すぐにかなりのレベルのWebサイトを構築できるようになってきています。
ビデオや写真、音声(ポッドキャスト)など、さまざまな形態のコンテンツを扱えるようになっているだけでなく、マッチング広告の「AdSense」、ネット通販各社の「アフィリエイト」といった仕組みによって、誰でもがWebサイトから収益を上げることまでできるようになっています。
こういった環境のなかで、前回もちょっと触れましたが、自分で情報を発信したりWebサイトを作ったりするようなユーザーであれば、他のWebサイトについても、自分が見たい方法で、見たいデザインで、自分にとって快適な方法で閲覧したいと考えるのは自然なことです。実際、ちょっとした工夫をするだけで、メディアのサイトのバナー広告を非表示にしてしまう、ベースカラーを変更してしまう、というようなことができるのです。
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話題の「セカンドライフ」内でも、RSSが読める。
(CC) Photo by NMC Second Life's photos |
例えば、mixiというSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)がありますが、2007年秋のデザイン変更が気に入らなかったあるユーザーは、自分にとって快適なデザインで見えるようなデザイン・テンプレートを作って公開してしまいました。特定のブラウザでそのテンプレートを使ってmixiを見ると、mixiのビジネスモデルの一つであるバナー広告は表示されないようになっています。
「mixiは便利だから使うけれど、広告は見たくないよ」というように、ユーザーが自分で情報の受け取りかたをコントロールしてしまったのです。
これが、「送り手ではなくて受け手がコントロールする」ということの一つの例です。さらに、RSS(RDF Site Summary)しか読まない、メールは読まない、トップページからは読まない、広告は見ない、読みたいものしか読まない、というようなWebとの接し方が普通になってきています。トップページで読みやすく整理してあるからそこから読んで欲しい、広告メディアなのでバナーも表示させて欲しい、といった送り手の意図とは違った形で情報に接するようになってくるわけです。
永遠のベータ・バージョン
もう一つ、Web2.0的なサービス環境に顕著なこととして、サービスは常に開発途上の段階から提供され、完成形で提供されるものではない、ということが挙げられます。いわゆるベータ・バージョンのうちに多くのユーザーに使ってもらって、さらにより良いものに仕上げていくのです。もちろん、そこそこの完成度で提供されることが前提ではありますが、それが短期間にどんどんバージョンアップされていきます。
サービスは、限られた開発メンバーや特定の企業の中で高い完成度を目指すよりは、早い段階で不完全でもいいから公開し、多くの人からの意見や提案などのフィードバックを受けながら改良を加えていく方が早く効率よく優れたものが出来上がる、ということを実践しているのです。最も重視される評価軸はスピードなのです。
当然のことですが、ユーザーにとってもなかなか大変な状況と言うことができます。これまでのように、完成度の高い製品やサービスが提供されるまで待って、それを安心して使うだけでよい、ということは期待できなくなりつつあります。自ら、新しいものを探したり使ってみたりして、新しい技術やツールを追いかけ続けなければなりません。
さらに、ユーザーが自分で使い方の工夫をしないと十分な使いやすさは得られないサービスやツールも多々あります。むしろ、ユーザーが自分なりの工夫をする事を前提にして、シンプルな機能のままで提供されているというような場合もあります。工夫ができるユーザーとそうでないユーザーとでは、得られる結果に大きな差がついてしまいます。
例えば、ブログにマッチング広告を掲載するという工夫をする人には、広告収入の可能性が出てきます。でも、広告を掲載しようとすれば、そのやり方を調べて、自分でサイトにタグを埋め込んだりしなければなりません。これを自ら工夫する人だけがその成果を得られるわけです。
ユーザーには「リテラシ」が必要に
このように、使いこなせるだけの能力(「リテラシ」)を問われるというのは、誰にとっても快適なものではないかもしれませんし、実際、厳しいものでもあります。
このリテラシということは、コミュニケーションの領域でも顕著です。コミュニケーションの場合、意味を読み取る能力、と言えるでしょう。実際、ネットコミュニティでの振舞いほど、リテラシを問われるものはありません。いわゆる「KY」(空気が読めない)なども、リテラシが不足しているための結果の一つといえるかも知れません。
ブログやSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)など、コミュニケーションの場は拡大し、そこに参加する人の数も情報を発信する人の数も、従来とは比べ物にならないほど増えました。その結果、荒らし、炎上、スパムといった、コミュニケーションにおける負の側面も、多くの人にとって身近なものになってしまいました。
こういった状況の中で、Web2.0というテーマは、ネット・リテラシ、コミュニケーション・リテラシというものの必要性、重要性を大きく多くの人にはっきりと伝えたのではないでしょうか。
そして、このリテラシというものは、自ら体験の中で身に付けていく以外に近道はないものでもあるのです。情報は発信してみないと、それがどのような結果につながるかは分かりません。ブログは書いてみないと、読者の反応が見えません。コミュニティは参加してみないと、何が始まっていて、そこでどう振舞うべきかが分かりません。そうやって、自分が発信したものへの反応や意見などから、さまざまなことを感じ、それに対応していくことで、より価値の高いコミュニケーションが出来上がっていくのではないかと思います。
テクノロジやサービスについても同様です。普段からネットを使いこなしていないと、多くの人が便利だと思って受け入れてくれるサービスや機能を作ることはできません。Webというメディア環境をベースに、ユーザーの視点からの工夫や革新といったものが機能するようになってきた、と言えると思います。
実際に身を投じてネットに自らをさらすことができるかどうか、そこから何を身に付けていけるか、身に付けたものをどう生かしていけるか、ということが、一人ひとりのユーザーに問われています。Web2.0以降の時代を迎えた今、従来よりも強くそれが問われているのではないでしょうか。
ワイアード・ビジョン 編集委員 田邊俊雅
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