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JP・ネル JP Nell

バックス・CTB

ラグビー強豪国、南アフリカ出身。幼い頃から当たり前のようにラグビーに親しみ、南半球のスーパーラグビーリーグでもトップクラスの選手として活躍の最中にShiningArcsに入団。今や、すっかり日本が気に入っているということだ。

JP・ネル

ラグビーをやるのが当たり前の環境だった。

――ラグビーを始めたのはいつ頃ですか。

4,5歳の頃からやっていました。それが当たり前の国でしたので。近所の公園や学校で、ほとんどの子どもは、小さい頃から遊びとしてラグビーをやっていました。

――他にはどんなスポーツが盛んでしたか?

サッカーを見る人が多いですね。その次にラグビーとクリケットがメジャーなスポーツです。サッカーとラグビーが2強ですね。

――子供の頃は、どんなラグビーをしていたのでしょうか?

フィールドは小さいところでやりますが、基本的にはタックルも有りのラグビーをやっていました。日本のラグビーは、子供は皆ヘッドギアを被りますが、南アフリカではヘッドギアを被らなくていいし、皆裸足でやります。ただ僕は子供の頃からあまりタックルされるのが嫌いで、足が速かったのであまりタックルされませんでした。

――学校でラグビーを習うのですか?

はい。学校の中にあるスポーツチームの一つとして、5歳くらいから基本的にどんな子でもスポーツをやるように推薦されています。たとえどんなに痩せていても「とりあえずラグビーやってみろ」と、どの子も言われます。別に強制ではないのですが、多くの子どもたちはラグビーをやります。

――南アフリカではどのようなラグビーの教育を受けているのでしょうか?

基本的には5歳くらいのレベルではポジションは特に決めません。そして誰かがボールを投げると皆がそれに群がるというか、とにかくパスを出して、走って楽しむようなラグビーしかやりません。そして10歳、11歳くらいになると、ポジションを決めてもっとシステマチックに動くラグビーを教えられます。そして、真剣勝負として学校対学校の試合を、自分の学校のプライドをかけて闘うことになります。南アフリカでは本当にラグビーが盛んなので、自分がある程度優れたアスリートであると、どこがいいラグビーチームを持っているかによって学校を選びました。初めて私が地域(ボーランド)の選抜に選ばれたのが12歳の時です。クレイヴンウィークという南アフリカでは有名な地域対抗の試合がありまして、その時初めて真剣勝負の代表チームに選ばれました。12歳くらいになると真剣なラグビーにシフトされていきました。

――その頃からプロになる事を考えていましたか?

ラグビーを始めたばかりの頃は、ただ本当にラグビーが楽しいからやっているだけですが、10歳、11歳になるの頃には段々とラグビーに対して真剣になり始め、将来プロのラグビー選手になれたらな、という希望は頭の片隅にありました。自分が13歳未満の代表に選ばれてステップアップしていくにつれ、段々と現実的にラグビー選手になりたいと思うようになっていきました。

――スクールの頃のポジションは?

10歳くらいの時はセンターでした。13歳未満の代表選抜の頃は、足が速かったのと、ボールのキャッチがあまり上手くないとコーチが判断して、ウィングにさせられました。ハイスクールに入ってからはずっとセンターです。

――ハイスクールは強い所を選んで進学しましたか?

そうですね、ハイスクールはラグビーが強い所を選びました。私が育った街は小さな街でしたので、2校くらいしか有名な学校はありませんでした。その中でもベストだと思う学校があったのですが、そこは男子校でした。やっぱり女の子と一緒に過ごしたかったので、ベストの男子校ではなく、共学の方の、その地域では2位くらいに入るハイスクールに行きました(笑)。ケイプタウンとか、もっとメジャーな都市に行けばもっと強豪チームが集まるのですが、私は小さい街に住んでいたため本当に選択肢が少なかったのです。ハイスクールを卒業した後は、もっと可能性を求めてケイプタウンの方に移動しました。

――ハイスクールの頃の大会の成績は?

まあまあ良いい成績を残せたと思います。最後の2年間は地域で一度も負けなかったです。その頃私は、バイスキャプテン→キャプテンと歴任して、17歳、18歳未満のそれぞれで南アフリカの代表にも選ばれていたので、個人としてもチームとしても良い成績を収めていたと思います。

――キャプテンとしてチームをまとめるのは大変でしたか?

そんなに大変なことではありませんでした。代表選手に選ばれていたので、学校の中でも有名なプレーヤーでした。それがキャプテンになった理由だと思います。この頃の年齢というのはやっぱりまだラグビーをすることが楽しくやっている時期なので、自分としても特に指示を出すようなキャプテンではなくて、皆で楽しみながらラグビーをするようにしていたので特に大変だと思うことはありませんでした。

――現実的にプロを意識したのは何歳ですか?

17歳の時、ハイスクール最後の年です。その時に自分には可能性があるかもしれないと思いました。

――U21の代表選手にも選ばれていますが、選ばれた時に気持ちは?

19歳の時にも選ばれていましたが、実は膝の靭帯のケガで断念したことがありましたので、来年こそはと思っていて、また20歳で選ばれたので素直に嬉しかったです。

――その代表での国際試合で、他国のラグビーと対戦して感じたことは?

国の代表として出場したのはU21の代表戦が初めてでした。この時、準決勝でのニュージーランドのオールブラックスと戦った時にブラッドリー・ミカがいて、オーストラリアと戦った時はマーク・ジェラードがいました。ラグビーのスタイルで感じたのは、ニュージーランドと南アフリカは体の大きい選手が多いので、どちらもパワーラグビーをしていて似ていました。オーストラリアはそんなに大きなフォワードがいないので、スキルを重要視するラグビーだなと思いました。国の代表として戦うのは向こうの人間も国のトップの22人。自分も国の中で選ばれたベストの22人、という意味があるので地域の代表とはレベルが違います。精神的にも誇りが持てるし、プレーの激しさも違うし、全く違う雰囲気で試合をした思い出があります。

――Bullsに入団した経緯は?

最初は20歳以下のStormersでプレーをしていて、私は13番でしたが、同僚の12番の選手がBullsに行きたくて自分のプレーする映像をBullsに送っていました。そうしたら、その隣に映っている私に目が止まったみたいで、12番の選手ではなく私が選ばれてしまいました。Stormersの寮に居て、普通に友達と話しをしていた時に電話がかかってきました。電話に出るとBullsのヘッドコーチだったので驚きました。

――その時の12番の選手はどんな反応していましたか?

それ以降あまり話しをしていません(笑)。

――他に行きたかったチームはありましたか?

当時のStormersは調子良かったし、Bullsは長年勝てない最悪の時期でしたので、Stormersに残っていたかったです。正直Bullsは候補の中で一番下でした。ただ、将来のキャリアを考えた時にBullsが魅力的になりました。

――Bullsでスターティングメンバーに選ばれたのはいつ頃からですか?

2001年にBullsに入団しましたが、靭帯のケガがあってプレーが出来ませんでした。2002年のシーズン終わりにようやくベンチに入れるようになって、実際スターティングで出場するようになったのは2003年です。その年にBullsは優勝して、それ以降スターティングメンバーとして試合に出させてもらいました。

――チームからはどんな所が評価されていたと思いますか?

恐らく当時の私は、体の強さのレベルがまあまああったのかなと思います。アグレッシブなプレーを自分ではやっていたつもりです。自負していたのは、コンタクトの強さと、しっかりとゲインラインを超えていけるボールキャリーです。ボールキャリアをその当時Bullsはバックラインに求めていたのかと思います。それとディフェンス面も評価されていたのかなと思います。

――2008年にShiningArcsに入団します。どんな経緯だったのでしょうか?

2008年にBullsはスーパー14で優勝しました。2007年から2008年にかけて自分もベストなパフォーマンスが出来ていたので、スプリングボックスの招集を待っていましたが、トレーニング合宿に呼ばれませんでした。その時ある意味で代表には諦めがついたので、次の道を探していた所、去年までリコーのヘッドコーチをしていたトッド・ローデンに連絡をして、リコーにはチャンスはあるかと聞いたところ、スティーブン・ラーカムと契約したばかりで外国人を取る予定がないことを聞きました。けれど友人のシャノン・フレーザーに聞いてみると言ってくれて、そこからコンタクトが始まったのがShiningArcsに入団するきっかけです。

できるだけ長くShiningArcsでプレーしたい。

――なぜ日本に興味をもったのでしょう?

Bullsで9年間プレーしていて、正直自分では違う環境で違う景色を見たいという思いがありまして、とにかく移籍先を探していました。その当時、フランスチームとの契約交渉が始まっていましたが、日本での契約を同時にうかがっており、日本にチャンスがあり得ると回答を貰ったので、日本とフランス、どっちでプレーしたいか真剣に考えて、フランスは日本に比べると試合数が多かったこともあって、自分の年齢も考慮すると試合数の少ない日本でのプレーを選びました。

――日本のラグビーを実際に見てどう思いましたか?

とにかく速い、素早いというのが印象でした。まず、皆があまりにも早く動くので、自分もそうでしたが、多くの外国人が1年目はあまり機能しないという事があります。私は大きな人間がドカーンと体を当ててくるラグビーに慣れていましたので、体は小さいですが皆フィットネスに溢れていて素早く動くラグビーに慣れていませんでした。最初は苦労しました。それが今までとの大きな違いです。入団1年目は、自分は使い物にならないプレーヤーだと思っていました。正直2年契約で良かったと思います。1年契約だったら完全にクビにされると思っていたくらいで、1シーズン戦ったあとに慣れてきて2シーズン目から機能し始めたと思っています。

――2009年は、日本のシーズンが終わると、南アフリカに戻りBullsのプレーヤーとして試合をしていました。1年間通じてコンディションを保つのは大変じゃなかったですか?

確かに1年間ずっとラグビーをしていくのはタフで大変だったのですが、1年目はほとんどベンチスタートで試合途中から出場することが多く、毎試合80分プレーしていた訳ではありませんでした。だから日本にいたシーズン中も、多くの時間をウエイトやフィットネスに充てることができました。ですから日本でプレーした後にBullsに戻った時、いいコンディションでBullsのシーズンに入れました。そういった意味では日本にいてプレーする時間も自分の能力を高める時間であったので、タフでしたけども良い時間を過ごせました。2009年にBullsに戻った時にチームメイトから「どうしてJPはそんなに体がキレてるの?」って訊かれました。私が思うには、日本のプレシーズン(準備期間)は非常に長く、そこでウエイトをたくさんやったりしているので、日本でプレーして南半球に戻るプレーヤーの多くは非常に良い状態で戻っていると思います。

――去年トップリーグでワンシーズン終えて、率直な感想を聞かせて下さい。

正直、1年間タフでした。自分が思っていたよりもタフなリーグだったなと今思っています。トップイーストに最初はいましたが、イーストとは比べものにならないくらい程のフィジカリティとスキルレベルでした。個人的に予想していた以上のことでした。同時に私にとってもチームにとっても初めてのトップリーグだし、他の選手にとっても非常にタフなリーグだった。目が覚めるような新しいレベルでのラグビーだったと思います。時々、国に帰った時に日本のラグビーについて聞かれるのですが、私が思うにはトップリーグの上位に入るチームは、南アフリカのカリーカップに出るようなチームと大体いい試合が出来るのではないかと思うぐらい、日本のトップリーグのレベルは高いと思います。

――トップリーグにはスーパーラグビーに所属していた選手が何人かいますけれども、日本で対戦するというのはどんな気持ちですか?

特に何か違った感情を持つことはありません。自分がプレーするときでも、かつてのスーパープレイヤーだからといって違う感情が芽生える訳でもなくいつも通りプレーしています。ただ今シーズン、トップリーグにBullsから友人が2名来日しますので楽しみにしています。なぜかと言うと10年間彼らと友達でプレーして来ましたが、対戦することは一回もなかったので対戦することを楽しみにしています。

――ShiningArcsはどういうチームですか?

最初の1年目は自分も言語の違いなどで結構苦労したのですが、今年4シーズン目となり、チームメイトとは家族の中の一員のように感じられています。
そしてNTTコミュニケーションズの会社とも良い関係を持っていますし、私がこのShiningArcsでプレーしていく中で不便を感じたり、トラブルがあったことも一回もないです。常に良い関係をチーム、会社と築いてきました。私もこのチームで出来るだけ長く残っていきたいと思っていますし、他の日本のチームでプレーしたいとは全く考えていませんので、非常に良い関係を持たせて頂いています。

――オフの日は何をしていますか?

基本的に私には奥さんがいるので、奥さんを喜ばせるために色々しなければなりません。映画を見にいったりコーヒーショップに行ったりしています。基本的に奥さんに主導権を握られています(笑)。「ハッピーワイフ、ハッピーライフ」という言葉があって、妻が気持よく過ごせれば、人生は上手くいくというわけです。

――今年はどんなシーズンになると思いますか?

個人的には去年、ベストのプレーを心がけたつもりですが、親指の骨折などもあってなかなか満足のいくプレーを出来なかったと感じています。ですから今年は体を常にいい状態にしてプレーをするつもりです。そして選手達にも「俺たちトップリーグの中で互角にいけるんだ」という自信がついているので、今年は更に良い成績を残せるんじゃないかと思います。個人的には今年はたくさん試合に出たいです。それに来年には日本代表の資格を得ることもできるので、今年はいいプレーをしてJP.Nelの存在価値というものを少しでも示したい、というのが現時点での抱負でもあります。

――ファンの方々にメッセージをお願いします。

今年新しいシーズンを迎えるのを非常に楽しみにしています。我々にとっても新しいシーズンで去年よりも良い成績を残したいと思います。より大きな声援を貰えることを楽しみにしています。そして応援に来て下さったからには、応援して良かったと誇れるような試合をしたいと思いますのでよろしくお願いします。