選手FOCUS / IN FOCUS

マーク・ジェラード Mark Gerrard

バックス・FB / WTB

オーストラリア代表23キャップを誇り、2007年ワールドカップで日本代表とも対戦経験のあるマーク・ジェラード選手。幼い頃からラグビーに親しみ、これまでトップアスリートの道を進歩んできた。その素顔は、家族想いの優しいパパでもある。

マーク・ジェラード

10代の頃から世界レベルのラグビーに触れて

――ラグビーを始めた頃の話を聞かせてください

17歳のときに学校の先生からラグビーユニオン*に誘われて始めたのがきっかけです。その前までは4才の頃からラグビーリーグ*でやっていました。小さい頃から体が大きかったことと、父親がラグビーのファンだったことがきっかけでラグビーを始めました。私が育ったところは、スポーツと言えばサーフィンかラグビーリーグしかありませんでした。

*ユニオンは15人制でリーグは13人制。日本でラグビーといえばユニオンのことである。

――ラグビーリーグからラグビーユニオンへ転向して

私はバックスの選手でしたので、ユニオンに移行することはそんなに難しくはありませんでした。最初は体が大きいからと言う理由で、ポジションはフランカーを任せられました。しかし、その後に足の速さと、キック力が見込まれて、スタンドオフ、フルバックへとコンバートしました。

――スーパーラグビーの世界から最初にオファーがあったのはいつですか?

高校の11学年(16才)の時に、オーストラリアの高校代表に選ばれまして、そのときに、当時ワラタスのコーチから入団のオファーがありました。その時はサインをしなかったのですが、翌年の12学年(17才)のときに再度ワラタスのコーチからオファーを受けたときにサインをしました。サインをした当時は、スーパーラグビーについてもそれほど知識を持っていませんでした。それからワラタスの選手として試合に出場するまでは、学校に行きながら週に2回トレーニングに参加していました。

――スーパーラグビーでプレーをしてみて

スーパー12(現在はスーパー14)に入って、それまでのラグビー経験とは大きな違いを感じました。まずはチームメイトも敵もみんな体がとても大きいこと。それに、今までに経験したことの無い、早いスピードのラグビーでした。加えて、色々な国に行く機会が増えて、生活もラグビーもがらっと変わりました。17才というまだ子供の頃にプロの世界、大人の世界に入ったがゆえに、他の人に合わせられるように、少しでも早く成長しなければならない環境でした。なので、振り返ってみて普通の10代の生活も送ってみたかったなと時々思うこともありました。ただし、17才でラグビープレーヤーとして契約をもらって成功することは名誉であるので、それを成し遂げることができたことは、今でも非常に貴重な体験だったと思います。

――普通の10代の高校生活というと、どんなことがしたかったですか?

高校在学中にプロ契約したので、学校に行く機会も減って、ラグビーに費やす時間も増えてしまったので、今、高校時代のラグビー以外の友人を思い出すと、正直に言うと2,3人くらいしか覚えていません。それはとても残念なことだと思いますので、もっと同級生と関わりを持ちたかったです。あとは、週末のパーティーに出るとか、友達と遊びに行くとか、普通に高校生がよくやることもやりたかったなとは思っています。ただ、17才のときに契約したことによって、今の生活の基盤がありますし、現状には満足していますので、ものすごく後悔しているわけではありません。

――ワラタスからブランビーズへ移籍した経緯

2年目のときに自分のワラタスでのプレーヤーとしての位置を見直したときに、もっとプレーをしたいと思いました。当時ワラタスは、とりあえず翌年勝ち抜くために、他のチームで活躍する選手を大勢リクルートしてくるという短期的な強化方針を取っていました。若い人材を育てて、チームを強くしていくという環境ではないと個人的には思っていました。ですから、他のチームでプレーすることを考えていました。その時にレッズからもオファーがあり、レッズに移籍することも考えていましたが、同時にブランビーズからもオファーがありました。その時考えたことは、ブランビースにはリザーブレベルにも世界的プレーヤーが大勢揃っていましたので、自分が試合に出られる機会は無いかもしれないとは思いましたが、ラグビーのレベルを上げるためには良い環境だと思いましたので、ブランビーズと契約することにしました。

――ブランビーズで得たことは?

プレイヤーとして成長したことは間違いありません。その理由は、ブランビーズにはベテランの選手が若い選手にしっかり教えてくれる文化が根付いていたことがあります。そのおかげもあって、ブランビーズでは怪我以外の理由で欠場することなく試合に出続けましたし、2003年のWRCではワラビーズ(ラグビーオーストラリア代表の愛称)に選出されることにも結びついたと思っています。

――ワラビーズに選ばれたときにどう思いましたか?

私の両親は今も私を支える一番のファンです。ですから、私自身よりも両親の方が喜んでくれたと思います。実は、ワラビーズに選ばれる1年前、姉がネットボールの国代表に選ばれ、母は非常に喜んで泣いていました。だから、自分がワラビーズに選ばれた時は、姉の時と比べてどっちが泣くのかな、なんて興味深く見ていました(笑)。

――どっちの時がお母さんは泣いていましたか?

姉です(笑)。ただ、父はやはりラグビーが好きですし、ラグビーは男のスポーツですから、ワラビーズに私が選ばれた時、父は本当に喜んでくれていましたけどね(笑)。

――2007年のラグビーワールドカップで日本と対戦しましたが、日本の印象は?

正直、日本と対戦する前までは、日本に対しての知識はほとんどありませんでした。しかし、日本戦の前にレビューをしながら対策を立てているときに、結構いいものを持っているなと感じました。実際に対戦してみると、計画していたプランを修正せざるを得ない状況に持ち込まれた点がいくつかありました。その観点からも日本のチームには良いものを持っているという感想を持ちました。

異文化でラグビーをする経験に惹かれて入団を決める

――なぜ日本でプレーをしようと思ったのですか?

実はこれからのキャリアを考えていたときに、フランスでプレーをすることを考えていたのですが、ある日私の妻が「日本でプレーする気持ちはある?」と聞いてきました。というのも、私の妻がfacebookをやっていまして、ベン・ダーウィン(ShiningArcsフォワード・コーチ)とつながりを持っていまして、ベン・ダーウィンからメッセージを受けたことがきっかけです。当時シャノンHCとベン・ダーウィンがアウトサイドバックの外国人選手を探していて、「取れるのであれば、マーク・ジェラードなんていいよね」という話が持ちあがったらしいのですが、その時にベンが「そういえば、マーク・ジェラードの奥さんとfacebookでつながっているから聞いてみようか?」という話になったことが始まりでした(笑)。それがきっかけですが、今まではずっとオーストラリアのラグビーに浸かっていましたが、違ったラグビーを経験したいという思いもありましたので、日本でラグビーすることを選択しました。また、私の子供や妻に異文化を経験してほしいという気持ちも理由の一つであります。

――実際にShiningArcsでラグビーをした印象は?

企業ラグビーということもありまして、トレーニングの取り組みに関しては、私は適応しなければならないと感じました。長い練習、きつい練習をたくさんすれば上手くなるということではありませんので、質と量のバランスであって、限られた時間の中で、どれだけクオリティーを求めて、クオリティーの高い練習をする意識を持つことが、試合の中でも練習の成果が忠実に発揮できることをShiningArcsのチームメイトに伝えたいと思いました。

――チームに対して自分の役割をどのように考えていますか?

自分の出来ることは100%やりますし、チームメイトのラグビーに対する知識もスキルも向上させていくことが私の役割だと思っています。また、チームの成長がなかなかうまくいかないときに、この人間がいれば、精神的にも肉体的にもしっかりとチームが前にいけると思われるようになって、最後の砦のような存在となりたいと思っています。

――最後にファンの方に一言お願いします

今年、ShiningArcsがトップリーグ1年目に挑むという経験が、ファンの皆さんにとっても喜んでいただけると思います。そして、試合にいつも来ていただけることに感謝しています。またラグビーを通して成功することによって、NTTコミュニケーションズという会社としても成功することに貢献したいと考えています。今年も試合に来ていただいたファンの皆さんの大きな声援に応えられるように、ベストなプレーで恩返しをしたいと思っています。