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菊池 功一郎 Koichiro Kikuchi

バックス・WTB

2009年トップイーストリーグ公式戦の東京ガス戦で見せた菊池のプレーが目に焼き付いているファンも多いと思う。インターセプトされ、完全に独走態勢に入った相手をものすごいスピードで追いかけタックル。更にはそのファローに来た選手まで手にかけるファインプレー...。昨シーズンは怪我に悩まされたが、更に上を目指して努力を続けてきた。

菊池 功一郎

周囲の勧めに逆らわずにラグビーを続けてきた

――ラグビーを始めたきっかけを教えてください。

ラグビーを始めたのは高校からです。中学まではバレーボールをやっていました。バレーを始めたのは親父がきっかけです。小学生の時に、違う地区のバレー教室に連れて行かれて、そこでいきなり「やれ」って言われてやらされていました。だから始めた当初は、すごく嫌でした。それから中学に上がる時にどうするか考えて、せっかくだから続けようと思ったのですが、地元の中学に男子バレー部が無かったので、従兄弟の地区に住所を移して、毎日車で通っていました。ただバレーは身長が無いと不利なので、中学校だけでバレーはいいかなと思っていました。僕の中学校は結構ラグビーが強かったんですね。そのラグビー部の先生が、部員は皆まとまって同じ高校に行くから高校で皆と一緒にラグビーやってみないかと熱心に勧めてくれたので、高校から始めました。

――中学の時はラグビーはやらなかったのですか?

まったくやっていないですね。高校に入ったらラグビーを始めると決めたのは、本当に卒業する直前だったので、ちょこちょこ練習を見に行きはしましたけど、「こんな感じなんだ」と思ったくらいでした。

――当時から足の速さには自信はありましたか?

それなりに速かったですね。ですから、足の速さを生かしたスポーツをやりたいかなとは思っていました。

――高校は熊本県の強豪、熊本西高校に進学します。強豪校と知っていて進学したのでしょうか?

そうですね。ただ当時の自分にはあまり選択肢は無くて、僕の中学校のラグビー部員がまとまって熊本西に行くことが決まっていたので、僕もついていって一緒にやろうかなと思ったぐらいです。

――初めてラグビーをやってみて印象は?

やっぱり体を当てるスポーツなので、最初はすごく痛くて、ちょっと抵抗がありました。

――強豪校ならでは厳しさもあったんじゃないですか?

先輩達も体が大きい人がいっぱいいましたし、同期の人たちにも経験者が大勢いましたので、最初は不安といえば不安でした。もうついていくのが精一杯みたいな感じで、同期の人に色々教わったり、見よう見まねでやっていました。

――最初はどこのポジションでしたか?

最初は13番、CTBだったんですよ。それも結構単純な理由で、高校から始める人は比較的ボールを持つ機会の少ない、外側のCTBかWTBに置かれることが多かったので、自分は13番、外側のCTBをやっていました。自分では足が速い人はWTBをやるという話を聞いていたので、てっきりWTBをやらされるのかなと思っていたんですけれども、結局高校の時はそのままずっとCTBをやっていました。

――熊本西高校での最終成績は?

3年生の時に花園へ出場できたのですが、1回戦で盛岡工業に負けてしまいました。セットプレーで負けてしまって、ディフェンスの場面が多くて、ボールを持つ機会も少なかったです。自分としては不完全燃焼で終わってしまいました。だから、このままラグビーを辞めたくはないなという気持ちでした。

――それで大学でもラグビーを続けたというわけですね。

自分としては、本当は九州を出るつもりがなくて福岡大学を受けたのですが、落ちちゃったんですね。当時体育教師を目指していて、推薦で熊本大学を受けて、一般では福岡大学しか受けていなかったんです。学科とスポーツのテストもあって、ラグビーの試験もあったので、まさかそこは落ちないだろうと思っていたのですが、落ちちゃって( 笑)。1年浪人して予備校に入って、公務員を目指していました。今まで親にかなり負担をかけてましたし、これ以上迷惑をかけられないと思い、早く就職しようと思っていました。

――しかし日本体育大学に進学します。その経緯は?

高校のラグビー部の先生から電話が掛かってきて、いきなり「日体大に行け」と言われまして。でも自分は親にも相当な負担をかけてしまうし、やっぱり九州を出たくなかったので、「それは無いです」と断っていたんです。それでも先生はすごく熱心に勧めてくれて、「お前にはラグビーを続けてほしい」と熱く語ってくださったので僕も相当悩みました。親にも相談しましたが、自分がやりたいならやってみなさいと言ってくれて、最終的にはあまりの熱心さに根負けして、日体大に進学することを決めました。

――なぜ九州を出たくなかったのでしょう?

東京に出てラグビーをするという発想が無かったですね。福岡大学が九州では強いということは調べていて、ラグビーを続けながら教員の免許も取れたらいいな、と考えていました。友達とも離れてしまうし、私は人見知りをするので、話を最初聞いたときは冗談でしょと思いました(笑)。

――様々な不安を抱えたまま日体大に進学します。苦労したことはありましたか?

日体大では80人くらいの寮に入ったのですが、誰も知らないし、もうお腹が痛くなるくらい緊張しましたね。先輩が良い人だったのですぐに慣れましたけれども、最初は緊張していましたね。

――どうやって慣れていきましたか?

特に意識して何かやったということはないですね。時間が解決してくれました。まずは同期の仲間と仲良くなって、それから部屋の先輩と仲良くなって、徐々に慣れていったと思います。

――大学ラグビーのレベルに触れてみて感じたことは?

体の大きさがまず違いますし、人数も増えましたので、最初は先輩を見てついていこうと思っていました。僕は大学からWTBを始めたので、どういう風に動くのかというのも見て学ぶ必要があって、高校の時と同じようについていくのに必死でした。でもスピードに関しては、そこで生き残らなければいけないと思っていましたし、いけるとは感じていました。

――WTBにポジションが変わったことでプレーに変化はありましたか?

そんなに戸惑いはありませんでした。CTBに比べるとボールを持つ機会が減って、一歩離れて後ろから試合を見るというか、周りのプレーヤーが見えるようになったので、自分のことだけでなく指示を出したり、ボールを持ってないときの動きやコミュニケーションが大事だなぁと感じました。高校のときは精神的にいつもいっぱいいっぱいだったので、ラグビーという競技に少しずつ慣れてきたのかもしれません。

――パスをもらう時にはどういうことを考えていますか?

走ることですかね(笑)。自分は体がそんなに大きくないので、間合いのあるところでスピードを生かして相手をかわすようなイメージを持っていました。(日体大では)小林訓也さんが先輩だったんですけれども、小林さんはFWもBKもこなす選手で、WTBでたまに一緒に組むこともありました。あの人は確実にパワープレーの選手ですごいなぁと思っていました。僕は確実に違うタイプですけどね。まずは走れるように間合いのあるところを狙ったり、スペースに切り込んで飛ばしパスをもらったり、SOやCTBの選手とよく話をして連携をとっていました。

――当時、対抗戦では下位の成績が続いていましたが、4年生時には3位の成績を残しています。チームの状況に何か変化はあったのでしょうか。

チームの一体感は、一番良かったと思います。みんな仲が良くて、熱い気持ちを持った人が多かったんです。飲み会で集まった時に4年生になってからの目標を一人ずつ語ったりして、泣いてる奴もいました。その年には、慶応と明治を破ることが出来、いい結果が出せたと思います。チームメイトや監督、OBの方々も喜んでくれたので、大学時代の良い思い出になっています。

順風だったラグビー人生に試練が訪れるが、さらに前へ

――ShiningArcsに入団する経緯を教えてください。

4年生に上がる頃には社会人でもラグビーを続けたいと、一応考えていたんですけれども、その時は特にどこからもお誘いの話はありませんでした。でも大学のヘッドコーチの方が色々と相談に乗ってくれて、ShiningArcsにも話を持ちかけてくれて、4年生になってからは実績も残すことも出来たので、一度直接会って色々お話を聞ける機会も持ってもらえました。自分でもチームのWebサイトを見たりして調べていましたし、会社としてもラグビーに力を入れているということは聞いていましたので、環境的には申し分ないなと思い、入れたらいいなと願っていました。

――実際に入部してみて、今までと違いは感じましたか?

もっと厳しくて激しいのかなと思っていたんですけど、練習時間もそんなに長くはなかったので、思っていた環境とは違うなと思いました。また、仕事の後に全体練習をして、それからウエイトトレーニングをやったりしなければならなかったので、ラグビーに費やせる時間が学生の頃に比べると少ないので、時間のコントロールが大変だなと感じました。

――入団した2009年から公式戦にレギュラー選手として出場して活躍していましたね。

最初は結構緊張をして浮き足立ってしまい、全然納得のいく試合じゃなかったんですが、その後も試合に出続けることが出来まして、その内に段々とチームにも慣れてきたこともあって、幾つかトライも取れるようになりました。その年にトップリーグ昇格を決めて、1年目は自分にとってもいい経験が出来たんじゃないかなと思います。

――しかし、その後は怪我に悩まされる時期が続きます。

最初に怪我をしてしまったのは、2009年度のトップチャレンジマッチのマツダ戦でした。自分はそれまであまり大きな怪我をしたことがありませんでした。試合の翌日に病院に行って診察を受けたら右膝の前十時靭帯が切れていると言われて、完治まで半年以上掛かると聞きましたが、最初は全然実感が沸かなくて。それからはチームから離れてしまって、せっかくトップリーグに上がった年にリハビリからスタートするというのは、最初は流石に落ち込みました。ただ、1年目から試合に出させてもらっていても、自分の中に足りないものがまだまだあるなと思っていましたし、これを機にトレーニングも出来るし、そこは開き直ってやるしかないかなと思えるようになりました。

――自分への課題とは何だったのでしょうか?

まずは筋力ですかね。チームの人とのコミュニケーションも足りていないと思っていました。あとは、WTBはFBと連携して動く場面が多いんですけど、まだまだ手探り状態でしたので、チームの代表として試合に出るにはまだまだかなとは思っていました。それでも試合に出してもらっている中でとてもいい勉強になりました。

――怪我をしている時期はどんなトレーニングをしていたのでしょうか?

可動域を出すためのリハビリとかお尻や体幹トレーニングなど地味なものが多かったですよ。最初は足をつけない期間があったので体重も減りましたし、足も一気に細くなりました。そこから左右差を無くすまでは時間がかかりました。でも頑張らないと先が無いので、一つ一つやっていくしかないという気持ちでした。そこで精神的にも強くなったと思います。チームのみんながプレーしているところを見ると、自分は何やってるんだと辛くなる時もありました。でも頑張るしかないんだと吹っ切れるようになりました。

――昨年は一度怪我から復帰し、トップリーグ(近鉄ライナーズ戦)に出場することが出来ました。トップリーグのレベルをどのように感じましたか?

もっとレベルの差があるのかと思っていましたけど、やってみたら結構いけるのかなと、そんなに大きな差は無いと感じました。復帰はしましたが、まだまだ本調子ではありませんでしたし、試合には僅差で負けてしまうなどチームに貢献できず悔しかったですね。

――そして、再び怪我のアクシデントに見舞われます。

近鉄戦後は、出場メンバーから外れていたので、その後のサテライトリーグでまた活躍してレギュラーに選ばれようと強く思っていました。やってやるぞと思っていた矢先、開始5秒でまた膝を負傷し、退場してしまいました。今度は同じ右足の内側の靭帯を切ってしまいまして、また手術をすることになりました。その時は、公式戦に出場できることを目指して気持ちも高ぶっていましたし、復帰して間もない怪我だったので、もの凄く落ち込みました。この先やっていけるのか、と思ったことも正直ありました。こんなに怪我ばっかりしていて大丈夫かなと。それでも結局、いくら考えても自分にできることしかできないのでやれるところまで努力して、開き直って上を目指そうと思いました。

――レギュラーを獲得するために意識していることは?

日々全力をだすことですかね。もっとうまくなりたい、強く、速くなりたい気持ちを忘れないことですね。いつ怪我で引退するかもわかりませんから。試合に出られない時でも、レギュラーの選手に比べて自分に足りないものは何かと、色々考えながら努力したいです。

――ShiningArcsのWTBの選手は比較的タイプの似ている選手が多いと思います。その中でのレギュラー争いは大変ではないですか?

実は自分もそこはとても悩んでいます(笑)。うちのチームのWTBは皆そんなに大きい選手ではなくて、足が速かったり、上手かったり、運動量が豊富だったり、色々なところで勝負している選手が多いので、私は特にオフェンス面で自分が負けない「何か」を見つけなければいけないと思っています。スキル的な面だけでなく、WTBは特に自分を出すというか、もっと自分から要求してボールをもらって勝負して初めて評価されると思うので、まずはボールを持てるように、そしてパスを受けた時にどう動くのが自分に合っているのかとか、色々考えなければいけないと思います。だからもっともっとコミュニケーションをとって、自分がどうしたいのか要求しないといけないと思います。

――今後のラグビー選手としての目標を教えてください。

自分はあんまり遠い先の目標を立てることが苦手なのでまずは試合に出ること、そこで活躍すること(トライをとること)が目標というのがあるんですけど、まだまだ自分に足りないところはたくさんあるので、試合に出るためには何が必要か考えて、努力を怠らないことですね。後悔しないようにしたいです。そこからまた次の目標が見えてくると思います。

――ファンの方々にメッセージをお願いします。

去年は怪我に悩まされることが多かったのですが、今年はまずは試合に出て活躍できるように頑張ります。そしてチームでは一つでも上を目指せるように日々努力をしていきますので、ご応援宜しくお願いします。