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加藤 昭仁 Akihito Kato

フォワード・HO

今でも、名前の後に「キャプテン」をつけて呼びそうになる。ShiningArcs設立の年、2007年度は怪我で試合に出場できないままキャプテンを務めたシーズンだった。今、ラグビーを続けられている喜びを胸に、新たな戦いに挑んでいる。

加藤 昭仁

三兄弟ともに、ラグビーの道に進む

――お子さんが産まれたそうですね。おめでとうございます。

子供は2人目です。男の子です。チームが一番大変な時にすいませんって感じなんですけど(笑)。

――いつ頃からラグビーを始めたのですか?

中学1年の時からです。僕は秋田出身なんですけど、秋田は中学校で4つか5つくらいしかラグビー部が無かったんですね。進学した学校に、たまたまラグビー部があって、兄貴も中学でやっていたので、その影響が強くて中学からラグビーを始めたんです。秋田北中学という所で、最近では今年の夏に全国大会で優勝したみたいですけど、僕らの頃は県内でも勝てるか勝てないかくらいのチームでした。3つ違いの兄がいるのですが、ちょうど兄と入れ違いで入りました。

――中学に入る前はお兄さんの試合は観に行ったりしていました?

そうですね、夏休みとか親と一緒について行っていました。観に行った時は何も思わず、ただ見ていただけですけど。小学校の時はずっと野球していましたが、いざ中学に入って何をやろうかっていう時に別のことをやってみようかということになって、それならラグビー部ということで。

――最初についたポジションは?

ポジションはずっとフッカーです。フッカーってスローイングがあるじゃないですか。中学入った時、野球を経験していたというのと、体格もありますし、兄貴も同じポジションなんですよ。そんな関係でいつのまにかフッカーだったんですよね。ラグビーは楽しくやっていましたね。野球はぶつかったりしないじゃないですか?だからぶつかり合って、人を飛ばせた時なんてスッキリしますし(笑)。

――それから強豪校の秋田県立男鹿工業高校に進学します。

最初は、家の近くにラグビー部のある高校がありましたので、そこに行こうかどうしようか迷っていたんですけど、高校も兄貴と一緒で、三兄弟とも同じ高校でした。僕らが3年の時は花園に行きました。40人くらい同学年で入って、ものすごい人数も多いし、中学からずっと知っている選手も入ったりしていて、ここでレギュラー選手としてやっていけるのかなという思いはありましたね。

――花園に出場が決まったときの話を聞かせてください。

県内の予選決勝は秋田工業で、51対14で思った以上に差がつきました。秋田で秋田工業に勝つというのは、全国で勝つより難しいみたいな感じだったので、そこに勝てたというのはものすごいことだと、皆喜んでいました。

――高校のラグビー部の思い出を振り返ると

練習がきつかったことしかないですね。先生がめちゃくちゃ厳しかったので。今じゃ絶対にあり得ないんですけれども、竹刀を持っていて何度も叩かれましたし、結構手も足も出るような先生だったので、見返してやりたい気持ちもありました。でも、それだけ期待されていることも伝わってきていましたので、強くなるためにはそれなりに辛抱していました。中には反発している奴らもいましたけれど。僕は高校の時もキャプテンしていたので、一番先に出てこいと言われて、試合内容が悪かったり、負けたりすると竹刀や平手が飛んできて。今では良い思い出ですけど(笑)

――高校を卒業後、NTT東北に入社します。大学ラグビーには興味は無かったのですか?

そのまま高校から就職しました。大学ラグビーへの興味は、ほとんど無いに等しいくらい無かったですね。地元に残ってラグビーできていればいいなあと思っていました。高校の監督が「秋田じゃないけど、ここが良いんじゃないのか」と勧めてくれたのがNTT東北で、そこに行きました。

――NTT東北はどういうチームでした?

東北には東北のリーグがあったのですが、1位になっていたり、2位3位を行ったり来たりしているチームでしたね。一回り年齢違う人もいました。今のようなプロフェッショナルなコーチとかもちろんいませんし、練習なんかも仕事終わってから極力残業しないように帰って来て、真っ暗になってから照明つけて練習するような感じでやっていましたね。全体が集まって練習するのは週末とかに。でもこれが当たり前なんだろうなと思っていました。兄貴も秋田市役所でラグビーしていましたが、仕事終わってから練習やって夜遅く帰ってくるのを見ていたので、それが当たり前なんだなと思っていましたからね。

――2000年には日本代表に選ばれますね。

そうですね、2000年に初めて選ばれたのですが、平尾さんが監督の時の最後のメンバーで、でもその時は、シーズン後半でケガをして、遠征には行けなくて、そのままその年が終わりました。2001年に向井監督になって、また100人規模のセレクションをやっていたみたいですけど、そこに行きもしないのに、また何故か入っていて。本当に?と思いました(笑)。

――それまでセレクションを受けた事は?

無いですね。代表って名前のつくものに呼んでもらったのは、会社入って2年か3年目の時に初めて関東代表セレクションに呼んでもらったのが初めてですね。1999年に初めて関東代表に選んで頂いてからステップできたと思います。

――いきなりジャパンとかビックリしますよね。

全然誰も知らないプレーヤーがいきなりですからね(笑)。周りはテレビや雑誌で見たような人ばっかりだったので。

――日本代表としては、どこと対戦しましたか?

キャップをもらったのは韓国戦です。途中出場して、後は中華台北ですね。フル出場しました。韓国戦は途中出場でしたが、その時は負けていたんですね。それで僕が入って、すぐにラインアウトで、あらかじめゴール前で使う予定のサインプレーだったのですが、22メートルラインくらいのところで、そのサインコールを僕が出して、それが成功して逆転のトライに繋がったというのは嬉しかったですね。

――チームの話に戻ります。現在の中山キャプテンの前にキャプテンを務めていましたが、いつ頃にキャプテンになったのですか?

東日本に移籍して2年目からです。2006年からですね。何で自分なんだろうとは思いました。当時、キャプテンになった時に監督がいなかったんですね。監督が不在でバイスキャプテンと練習内容を決めてグラウンドで仕切っていたので大変でしたね。仕事が終わってからの練習なので、全員が集まるということが毎回はできなかったので、今思えば、よくあそこまで成績が残せたなって思いますね。

ShiningArcs設立の年に、キャプテンを務める

――その翌年にシンボルチームとして、ShiningArcsが始動します。状況が変わっていく中で思うことは何かありました?

シャノンヘッドコーチが来たりして、環境自体が180度くらいまるっきり変わりました。これまでのコーチング自体を受けたことが無いチームでしたので、練習もどういう風にやっていけばいいのか、戸惑いや、中には不満も多少はありました。また、NTT東北の時や東日本の時もそうでしたが、結果を出してシンボルチームにしてもらう、という思いでやっていたので、まだ結果も出せていないのにシンボルチームになったので、すぐに結果を出さなければいけないのではないか、というプレッシャーもありましたね。

――環境が変わる中、キャプテンとしてチームのメンバーに伝えたことは?

与えられた環境でしかやることが出来ないので、その環境に慣れていくしかないのですし、やはり不満なんかが出た場合は、上層部に伝えて、改善してもらえるところは改善してもらって、選手の方でしなきゃいけないことは選手でしようと話し合いをして、お互いにうまくやっていくようにしていました。

――トップチャレンジマッチにも出場しましたが、惜しくもトップリーグ昇格まで届かないこともありました。その時の心境は?

年々順位も上がってきていて、その中でチャレンジマッチにも行くことが出来ました。でも、まだここまで来ても力が通じないものなのか、と思うこともありました。ただ、コーチングを受けたばかりでしたし、その前まではコーチングを受けていない状況の中でここまで出来ているんだ、というちょっと満足していた思いもありました。

――印象的だったのは、昨年優勝を決めて号泣をしていましたよね。どのような思いがよぎりましたか?

一番最初に思ったのは、やっと上がれたという思いがありました。十何年もこの会社でやってきて、ラグビー部って、NTTグループ内でも、まだどのチームもトップリーグには上がったことは無かったですし、今もまだ自分が現役でプレーさせてもらっていることにも感謝していましたので、色々な思いがある中であんな風に泣いたんだと思います。

――改めて作年の優勝を決めたシーズンを振り返って。

移籍選手も入ってきて、そこで多少は「何で最初からいる選手を辞めさせてまで」みたいな思いはあると思うんですけど、それはもう決まったことなので。後は結果を残さなければどうにもならないことなので、そこに向かって徐々にチームが一つになって、一試合一試合追うごとにチームも強くなってきていると実感出来ていたシーズンだったと思います。

――長年NTTのチームに在籍していますが、トップリーグで試合をすることは想像していましたか?

ほとんど想像してなかったですね。実際、ShiningArcsになって補強をしてもらって、トップリーグが現実的には見えてきた部分もありましたが、本当にトップリーグの舞台に上がって自分自身が試合出来るのか?という思いもあって。今は試合をしているんですけども、正直できないんじゃないか?現役でいる限り無理なんじゃないか、と思っていましたね

――トップリーグの舞台で実際に戦ってみて何を思いましたか?

トップイーストの時とは違って、チーム同士の力の差はほとんど無いですし、やっぱり集中力を切らさずに一つ一つしっかり戦っていかなければ、ずるずると押されてしまうので、その点ではやはり緊迫感があって、楽しめる舞台ではありますよね。それに、シンボルチームであるからには結果を残さなければいけないですし、周りから見られることがこれまで以上に大きくなっているので、普段の行動からちゃんとしたことをしていかなければいけないと、別に悪いことしている訳ではないですけども(笑)。その辺は自分自身もしっかり努めていかなければと思っています

――今後の目標を聞かせてください。

やっぱりスタメンとして試合に出続けて、みんなで勝利の喜びをかみ締めたいですし、勝利の美味い酒を飲みたいです。あと、兄弟3人みんなラグビーをやっていましたが、兄貴は34歳くらいで現役を引退し、弟は早めに辞めていました。環境の違いもあり、長く続けられなかった二人の分も、ラグビーを続けられればいいなと思います。このチームは本当に力を持っていると思いますので、本当のトップを目指していけたらいいなと思っています。