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なぜつながる?通信の仕組み 歴史と未来

第2回 電話の普及と通話料金の変化

一家に一台はある固定電話ですが、その普及にはさまざまな歴史がありました。今回は電話の普及を電話料金の推移と合わせてご紹介します。

2008年5月13日

国内の電信の始まり

 国内で最初に「電気通信」が行なわれたのは、1854年(嘉永7年)にペリーが再来日したときに持ち込まれたモールス電信機によるものでした。幕府はこのモールス電信機を使って、1855年に実際に1マイル(1609.344m)ほどの距離で電線を架設して、当時の通信手段として使われていた早馬と勝負させたとしています。幾度か勝負は行なわれたそうですが、結果は惨敗でした。

 それから14年後の1869年(明治2年)、江戸幕府から明治政府に政権が移ったころに、本格的な電信業務が開始されます。最初に敷設されたのは、横浜裁判所から横浜燈明台役所の間で距離は約720m。同年6月には通話試験が行なわれ、9月には横浜本町に電信局を設置、その後、東京築地まで電線が架設され、同年12月25日、日本初の電信事業が開始されることとなったのです。

 翌年には大阪〜神戸間にも架設され、1878年(明治11年)には本州のほぼ全国域で電信線の架設が終了、全国で電信が利用できるようになっていきました。

 当時の料金は、政府の公用で使う場合は無料、私用で使う場合には「カナ一字ニ付、銀一分ノ割合」とされていました。江戸末期の1分銀の価格が現在の価値に直すと300〜370円強、当時のコメ約1升(約1.4kg)が5.5銭とされていることから、信じられないくらいの高額であったことが分かります。

江戸末期の電話料金 説明図

電話事業の開始、公衆電話の普及

 1876年(明治9年)にアメリカで発明された電話機は、翌年国内に輸入されました。しかし、国内で電話事業が開始されるまで、13年もの年月がかかりました。原因は、電話の運営を公営にするか民間に任せるかなどの議論が進まないこと。状況が変わったのは1885年(明治18年)に内閣制度が成立したときです。

 このとき、交通、通信、電気を総轄する「逓信省」が設立されると官営派が勢いを強め、1890年(明治23年)には国営事業で進められることが決められました。そして電話は東京を中心に大阪、神戸、長崎へと結ばれるようになったのです。この年には、一部の家庭に電話を架設する「加入電話サービス」も開始されています。

 1900年(明治33年)9月には、上野と新橋の駅構内にコインを入れることで電話がつながる公衆電話が設置されました。翌月10月には今のものと似た形式の「公衆電話ボックス」が京橋に設置され、当時はこれらの公衆電話は「自働電話」と呼ばれていました。

 公衆電話の通話料金は、市内5分1通話で15銭。この当時のコメ1升が16銭ということを考えると高価な価格設定がされていました。多くの人々は、かけ放題である加入者電話を借りる傾向が強く、公衆電話の利用率は増えませんでした。

1900年(明治33年)の公衆電話料金 説明図

 そして、公衆電話の転機となったのが、1920年(大正9年)電話度数制の導入です。加入者電話は年間基本料金45円に加え、1通話2銭の度数料が加えられたため、加入者電話の電話を借りる傾向が減り公衆電話の利用率が高まりました。

震災と第二次世界大戦を経て

 1923年(大正12年)関東大震災で、電話網は大きな打撃を受けました。この災害からの復旧の過程で、交換機の自動化が行なわれ、1926年(大正15年/昭和元年)1月に自動交換機の第1号が設置されました。

 これとほぼ同時に、火災報告などの特殊番号サービス(112番)や東京〜ソウル間の無線電信、青森〜函館間の電話開通など大きな転機の年となっています。なお、火災報告の電話番号(112番)は、緊急連絡なのでダイヤルを回す距離が短い番号を選んだそうですが、誤ダイヤルによる間違い電話が多く発生したことから、翌1927年(昭和2年)に119番に変更されました。

 その後、1939年(昭和14年)の第二次世界大戦、1941年(昭和16年)の太平洋戦争勃発を経て、1945年(昭和20年)の終戦時には電話網は再び大きな痛手を負い、加入者数も大戦末期の約半数にまで減少することとなりました。

 戦後の不況の中、電話網の復旧は進みませんでしたが、1949年(昭和24年)7月、政府は電話復旧のための「電信電話復興審議会」を設置、復興を効率よく行なうための公共企業体の設立をすることになりました。1952年(昭和27年)7月には設立のため下地となる日本電信電話公社法が定められ、8月には現在のNTTの前身となる日本電信電話公社が設立されました。この当時の度数料は5円となっており、コメ1升の価格は112円でした。

 1955〜1974年(昭和30〜49年)の高度経済成長期に入ると、加入者数は架設が追い付かないほどの勢いで増えていきます。この過程で1958年(昭和33年)には国産の自動交換機が導入されるなど大幅に進化し、1967年(昭和42年)には1000万台という台数の電話機が普及、1979年(昭和54年)3月には、全国の交換機が完全自動化され、各家庭に電話が1台ずつ普及する時代となっていきます。

電話の歴史年表

ナガハタ トシヒロ

フリーライター兼編集者として、主にパソコン関連のレビューおよびテスト記事のライティングおよび雑誌編集を手がけるフリーライター。

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