
まずは相手のことを考えること。 そうすれば相手は勿論、世間にも喜ばれ、結局は自らも生きることができる。 近江商人が作り出した仕事の哲学は、偽証が日常化してしまった今の時代にこそ、学ぶべきことの多い言葉だ。
2008年9月9日更新

近江商人は、鎌倉時代から江戸、明治、大正、昭和の戦前にかけて活動した近江(滋賀県)出身の商人のこと。大阪商人、伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つで、今日の大企業の中にも近江商人の系譜を引く方たちが数多く活躍している。
近江商人の特長は、外に出向いて商いを行った点。江戸時代の商人は皆、幕府や藩の領民であったが、近江商人のみはこうした体制からはずれた、いわば自由商人としての立場を持っていたという。
この「買い手良し、世間良し、売り手良し」、「三方良し」の言葉は、他国行商を商いの中心とした近江商人だからこそのものといえる。地縁、血縁などもちろんない他国へ出かけ、初めて会った人々の間に、例え自分たちが不在の間でも店を構えているのと変わらない信用を築くための、無くてはならない大切な経営哲学だったのだ。
この言葉の原典となったのは、江戸時代の中期に活躍した麻布商の中村治兵衛宗岸(なかむら じへえ そうがん)が書いた次の一節である。これが明治時代、さらに簡潔にまとめられ、冒頭の三方良しの言葉として世間に広められることなった。
「たとへ他国へ商内に参り候ても、この商内物、この国の人一切の人々、心よく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さずとかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもふべく候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通りに心ざしをおこし申さるべく候事、第一に候」
これは次のように読み解くことができる。
他国に商いに出かけた場合には、その国のすべての人々に気持よく使ってもらうことをなにより心がけること。さらに取引そのものが相手の利益になることを考えるべきだ。自分の利益はあくまで、こうした商いができたあとの結果である。自分の利益だけを考えて、一度に大きな利益を上げるようなことはせず、なによりも行商先の人々の立場を尊重することを第一に考えるべきだ。
思わず、毎日のようにニュースを騒がせている人々の顔を思い浮かべてしまうような言葉である。目先の利益を求める余り、産地偽装、内容偽装、品質偽装など次々に起こる事件。ほんの一時的に「自分良し」だけが達成され、その結果、お客様に被害を出し、世間の評判を落とすこととなっている。しかもその「自分良し」には、ほんの一部の経営者しか入っておらず、自社の社員までも被害者にし、ただただ真面目に働いてきた多くの人々の働き口までも失わせることとなっている。
「三方良し」の言葉を見るにつけ、この近江の偉大な先輩たちは、昨今の数々の出来事を見越していたのでは、とさえ思える。そもそも物を売ることと、数あるものの中から商品やサービスを選び、買う人の意識の関係は、時代などには左右されない普遍的なものであるからかもしれない。
お客様のことを第一に。「三方良し」の言葉を借りなくとも、これは企業のポリシーとしてよく取り上げられる表現である。しかし、これをただの理想として捉えている場合もまた多い。だが結局のところ、この理想こそが商売を長続きさせることのできる知恵だということを改めて感じる。
この三方良しは、自分と顧客と社会の関係を説いたものだが、買い手の「良し」、とともに「世間良し」を、自らの「良し」の前に位置づけたのには理由がある。それは企業は公のものである、という考え方だ。企業が相手のことを真剣に考えれば、相手から利益が戻ってくる以上に世間(社会)が良くなり、最後に自社(自分)が利益を得ることができる。つまり社会に尽くすことを考えることのできる企業が、社会から評価され長く利益を上げられるということだ。これからさらに重要なテーマになるであろう環境問題にさえ通じてくる名言である。
「常に相手の利益を最初に考えること」
「企業は公のものであり、社会の利益も常に考えるべきである」
「自分の利益を最後に考えてこそ、商いは信用され、長続きする」
![]()
「買い手良し、世間良し、売り手良し」、「三方良し」の基本は、上記のポイント3点に集約される。ネット販売など顧客の顔が直接見えない商行為が当たり前になっている現在こそ、他国で信用を得るために培われた、この近江商人の哲学から学ぶべきことは多い。

![]()
![]()
![]()