「技術者の気質も販売員の向き不向きも違う。何よりお客様の求めるものが違うんです。例えていえば和菓子は茶の間で、洋菓子は応接間かな。とにかくアタマの切り換えが大変でした」
本郷三原堂・大森弘之社長は、こう振り返る。75年の歴史をもつ和菓子の老舗が洋菓子への進出を決めたのは、昭和53年。当時「甘いものは太る」との声が蔓延していて、和菓子市場はじわじわと地盤沈下していた。その一方で、生活のゆとり感の向上やチョコレートブームで洋菓子の人気が高まっていた。伝統や常識にこだわって経営そのものが先細る前に伸びている市場に打ってでよう。「お客様と社員、地元のためにも存続しつづけよう」と、決意を心に秘めてのことだった。だからこそ、失敗したら元もこもない。進取の気性に富む大森社長にとっても、そうたやすい決断ではなかったはずである。
「まあ、オヤジの時代は和菓子屋でもパンやケーキを扱っていましたからね。でも、やるからには和菓子屋の副業ではダメ。ケーキ・チョコレート・焼き菓子を中心にした本場の洋菓子屋をめざそうと思いました」
むろんリスクは承知の上、走りながら勉強すればいいと腹を括っての出発だった。「いいと思ったことはどんどんやれ」と社員を励ます傍ら、原価計算や帳簿の数字にため息をついたこともあっただろうし、売れるはずの見込み違いなどさまざまな失敗や苦労もあったはずである。だが、大森社長は「むしろプラスの方が多かった」と、アッサリという。
「例えば、チョコレートを買われるお客様の何気ない言葉から、和菓子店でも活かせるヒントを発見することも多いし、むろん逆もある。販売員の面接でも、こういう性格の人は洋菓子向きとか、わかるようになりましたね。和菓子だからこう、洋菓子はこうでなくちゃといった既成概念を取っ払うことができたと思う。思い込みを外すと、いろんな可能性が見えてくるのではないでしょうか」
店の裏手の製造場は一階が和菓子、二階が洋菓子。技術者たちも自然に情報や素材を交換し、新しいアイデアに挑戦するようになった。この春の人気商品、香りが存在感を放つ「桜餅の皮で包んだムース」は、その好例である。
「どの業界でもそうでしょうが、菓子の技術者も一人前になるには10年かかる。若いうちから違う世界と触れ合えるのは、いい経験になると思いますね。洋菓子業界は女性の技術者も多いけれど、和菓子はとても少ないんです。業務用の砂糖袋は30キロのものしかないなど環境面では難しいこともあるけど、女性の技術者も育てたいですね。企業は時代に合わせて変わるべく変化を遂げないといけないんです」 |
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代表取締役・大森弘之
東京和生菓子工業共同組合技術部副部長、全日本洋菓子工業会常任理事として和菓子・洋菓子両業界に貢献。洋菓子の世界大会は可能なかぎり観戦するほか、地元本郷商店会の会長も務めている。 |
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75年の歴史が育みつづけてきた和菓子。素材と製法にも熱いこだわりがある。 |
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大森社長は洋菓子業界でも世話役の一人。 |
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