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2012年3月8日公開

JAXA シニア・フェロー 元「はやぶさ」プロジェクト・マネージャー 川口淳一郎 氏

“製造の国”から“創造の国”へ
「はやぶさ」式 日本再生論

JAXA シニア・フェロー
元「はやぶさ」プロジェクト・マネージャー
川口淳一郎 氏

地球への劇的な帰還から1年半。小惑星探査機「はやぶさ」は、あれほどの危機に見舞われながら、なぜ地球に戻って来られたのか。そこには、プロジェクトを統括した川口淳一郎氏が過去の失敗から学んだ“成功の方程式”が隠されていた。

川口淳一郎(かわぐち じゅんいちろう)

1955年青森県生まれ。宇宙工学者、工学博士。現在、JAXA シニア・フェロー、JAXA宇宙科学研究所宇宙飛翔工学研究系・教授。京都大学工学部機械工学科を卒業後、東京大学大学院工学系研究科航空学専攻へ。1983年同博士課程を修了後、旧文部省宇宙科学研究所に助手として着任し、2000年に教授に就任。ハレーすい星探査機「さきがけ」「すいせい」、工学実験衛星「ひてん」、火星探査機「のぞみ」などのミッションに関わる。「はやぶさ」ではプロジェクト・マネージャーを務め、多くのトラブルに遭いながらも、世界初となる小惑星から物質を持ち帰るという偉業を達成する。著書に『小惑星探査機はやぶさ』『はやぶさ、そうまでして君は』『「はやぶさ」式思考法』など。

“世界初”という偉業を叶えたのは「粘り」と「意地」だった

――小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った小惑星イトカワの微粒子に関して、研究は今どこまで進んでいるのでしょうか。

「はやぶさ」はイトカワの微粒子を1,500粒ほど持ち帰ってくれました。そのうち光学顕微鏡で見られる比較的大きな微粒子を200個回収し、まずその中の60数個を初期分析用に国内の各研究機関に貸し出しました。この初期分析の結果は、昨年8月にアメリカの科学雑誌『サイエンス』が特集を組み、すでに発表されています。まだ研究は始まったばかりですが、小惑星はいわば地球の原始の姿ですから、このイトカワの微粒子研究から地球の成り立ちの謎が、今後徐々に明らかになってくると思います。

アメリカのNASA(アメリカ航空宇宙局)でも、提供した15個のサンプルにより研究が始まっていますし、今年は研究テーマを世界中から公募し、審査の上、科学的価値の高い研究に残りの試料を分配する予定です。ともかく月以外の天体に着陸して、そのサンプルを持ち帰ったのは世界初のことですから、これから研究が進むにつれて、専門家さえ予想だにしない新しい事実が発見されることもあるのではないでしょうか。私自身も「はやぶさ」が持ち帰った微粒子からどんな事実が解明されるのか、子どものようにワクワクして注目しています。

――世界で初めて小惑星からサンプルを持ち帰るという「はやぶさ」の挑戦は、そもそもいつからスタートしたのですか。

「はやぶさ」打ち上げの様子 (JAXA提供)
「はやぶさ」打ち上げの様子 (JAXA提供)

プロジェクトの原点となった「小惑星サンプルリターン小研究会」が立ち上がったのが1985年のことです。当時日本の宇宙開発はアメリカや旧ソ連から大きく遅れをとっていました。そういった国々に追いつき、追い越すためには、大きなリスクを背負ってでもオリジナルのミッションを追求しなければならないと、エンジニア有志が集まって検討を始めたのが最初です。実際に宇宙科学研究所(※1)の正式なプロジェクトに決定したのは、それから約10年後の1996年です。

そこから開発に8年を費やし、内之浦宇宙空間観測所(※2)から「はやぶさ」が打ち上げられたのが2003年5月9日。そして60億kmにも及ぶ旅をして地球に戻ってきたのが、7年後の2010年6月13日ですから、実際にプロジェクトが動き出して完遂するまで約15年かかりました。その前の構想段階から入れると約25年、四半世紀かかった計算になりますね。

ただ、15年というプロジェクトの期間は、私たちが従事する宇宙工学の世界では特段長い方ではありません。20年間続いているプロジェクトもありますので、15年という時間自体はあっという間に去った気がします。しかし、「はやぶさ」が飛び立ってからの後半の7年間に関していうと、これほどクリティカルなイベントが次から次へとやってきたプロジェクトというのは、そうはありません。その意味では、プロジェクト・マネージャーとして苦労した分、忘れられないものとなりました。

(※1) JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究機関で、日本の宇宙開発のうち科学分野を担当する。通称は「ISAS(アイサス)」。

(※2) 鹿児島県の大隅半島に位置する宇宙空間観測施設・ロケット打ち上げ施設。日本国内のロケット打ち上げ施設としては、種子島宇宙センターと並ぶ存在である。

――当初、この計画はすんなり認められたのでしょうか。

いえいえ、総予算200億円、打ち上げから帰還まで5年を要するビッグ・プロジェクトである上に、極めてハイリスク・ハイリターンなミッションであることはみんな分かっていましたので、賛否両論ありました。それでも研究所の審査は無事通過したのですが、最終的には税金が投入されるわけですから、今度は国の宇宙開発委員会という場で審査を受けて予算を獲得しなくてはいけません。ここでも外部の有識者を加えた委員の方々は、この「サンプルリターン」がとんでもなく難しいミッションだということは分かっています。そこで私たちのアイデアで、このプロジェクトの評価方法に“加点法”を採用してもらったのです。

たとえばイオンエンジンが稼動開始したら50点、それが1,000時間稼動したら100点、イトカワへの着陸が成功したら200点、最終的にイトカワからサンプル入手ができたら500点になる、という評価基準です。このプロジェクトは全部達成したら、実は100点どころの計画ではなかったのです。

このように、上限を100点として何が足らないのかを見る“減点法”ではなく、上限を設けず何がプラスだったかを見る“加点法”は、新しいことに挑戦するプロジェクトの場合、有効な評価基準だと思います。何より当事者はチャレンジする勇気が持てますよね。

――その誰もが危惧した大変なミッションを完遂されたわけですが、成功の最大の要因は何だったのでしょうか。

実は私自身「はやぶさがサンプルを持ち帰ってくれる確率はそうは高くない」と踏んでいました。五大要素がおのおの95%の成功率であっても、75%まで確率は落ちてしまいますし、この世界では「突発的なトラブルが起こるのは当たり前」ということを前提に、感覚的にそう思っていたんですね。ただ、そんな私でさえ「はやぶさ」がここまで何度も危機的な状況に追い込まれるとは予想外でした。もちろんトラブルは少なく軽微なほどいいわけですが、人間というのは不思議なもので「追い込まれれば追い込まれるほど、一丸となって燃える」という習性も一方では持っています。結局、このプロジェクト・メンバー全員の技術者や研究者としての意地と「絶対に諦めない」という忍耐が、「はやぶさ」を生還させてくれたと思っています。

帰還後コメントを求められ、思わず「技術より根性」と述べたのはそんな経緯があったからです。とにかくトラブルに対して、諦めずによく粘りました。イトカワ着陸時に姿勢が制御できなくなった時や、「はやぶさ」との通信が一時途絶えた際は背筋の凍る思いがしましたが、そのひとつひとつに実に細かく、丁寧に対応したことが、結果的に世界初の快挙を達成させてくれたと思っています。もちろん「はやぶさ」の帰還には、運も味方してくれました。ただ、そういう細かい対応を積み重ねることで、失敗するリスクを小さいながらも低減させたことが、成功につながるひとつの要因だったと思います。

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