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ラグビー

早稲田大学ラグビー蹴球部
早大ラグビー部の正式名称。慶應、京都三高、同志社に次いで日本で4番目の1917年11月7日に創部されたラグビーチーム。関東大学ラグビー対抗戦グループに所属。戦前は、明治・慶應・東大と戦前の黄金時代を築く。その後、幾度の低迷を迎えるものの、その都度復活を果たしてきた。豪州遠征をきっかけに編み出した“ゆさぶり戦法”、長野県菅平合宿で考案されたサインプレー“カンペイ”など、創造性に富んだ戦術を生み出す。また、日本代表に数多くの選手を輩出し、代表の戦術理論に多大な影響を及ぼす。その伝統と実力は若きラガーマンの憧れであり、人気とブランド力は国内随一を誇る。

サントリーラグビー部『サンゴリアス』
1980年4月に創部。創部より2年後に1部リーグ昇格を果たすと着実に力を伸ばし、1985年以降は東日本社会人リーグを代表するチームとなる。サントリーラグビー部を一躍全国に知らしめたのは1995年。全国社会人大会8連覇をめざす神戸製鋼を準々決勝で破り、その年、悲願の優勝を果たす。2003年ジャパンラグビートップリーグ発足に伴い、『サンゴリアス』と命名。その由来は、サントリーの“サン”、太陽の“SUN”と、巨人「ゴリアス(GOLIATH)」で、マスコットのゴリラは、「タフネス」「テンダー」「スピリチュアル」を象徴している。

益子 俊志(ましこ としゆき)
1960年、茨城県生まれ。日立第一高校卒業後、1979年早稲田大学教育学部入学。現役時代は卓越したセンスとリーダーシップで、早稲田の名フォワード(No.8/フランカー)として活躍。1981年に関東大学対抗戦で優勝、翌年にも主将として対抗戦連覇を果たす。1993年、2000年に同ラグビー部監督を務めた。退任後は、茨城県岩井高校、千葉県市川学園教諭を経て、現在は防衛医科大学校保健体育学准教授を務める。

フォワードの明治・バックスの早稲田
早明戦の戦術を形容するフレーズ。強力フォワードを擁した「縦の明治」に対して、軽量フォワードでバックスを中心とした展開ラグビーは「横の早稲田」ともいわれた。もともと体格に恵まれなかった早稲田は、体格に勝る相手をいかに打ち負かすかという理論を徹底的に研究し、バックスへの早い展開に活路を見出した。一方の明治は、故 北島監督の教えである“前へ”を合言葉に、スクラムやモールで押し込むフォワード勝負を愚直なまでに徹底。その相対する個性の激突は、大学ラグビーシーンにおいて幾多の伝説や名勝負を残した。

荒ぶる
早大ラグビー部の第二部歌。作曲は同大学音楽部、作詞は小野田康一氏(1923年同大学卒業)。もともとは、早明戦勝利後に歌ったことが始まりだったが、その後、大学選手権に優勝したときにのみに歌うことが伝統となった。したがって、同ラグビー部全員が夢に抱く特別な歌といえる。なお、第一部歌は『北風』と呼ばれ、試合前の出陣の際に歌われている。

大学選手権
日本国内における大学ラグビー日本一を決定する競技大会で、正式には『全国大学ラグビーフットボール選手権大会』と呼ぶ。1964年度に関東代表2校、関西代表2校によって第1回大会を実施。幾度の変遷を経て現在は、関東(対抗戦グループ・リーグ戦グループ)、関西、九州、東海・北陸、中国・四国などによる計16校によるトーナメント方式で行われている。なお、大学選手権の上位1、2組は、ラグビーチーム日本一を決める日本選手権(日本ラグビーフットボール選手権大会)への出場権が与えられる。

菅平高原(すがだいらこうげん)
いわずと知れたラグビー夏合宿のメッカ。浅間高原、志賀草津高原とともに上信越国立公園に含まれ、約1,300mの標高は夏でも平均19.6℃の気温を保つ。そのため、さまざまなスポーツ団体がこの地で合宿を行うが、中でもラグビーは高校から大学まで毎年800を超えるチームが全国から参集。70面以上も点在するグラウンドでは、連日、本番さながらの練習試合が繰り広げられる。ちなみに、早稲田ラグビーのお家芸ともいえるサインプレー“カンペイ”は、夏合宿で考案したため“菅平”の音をとって命名されたといわれている。

奥 克彦(おく かつひこ)
1958年、兵庫県宝塚市生まれ。兵庫県立伊丹高校2年時に全国高校ラグビー大会に出場し、3年時には主将に。早稲田大学政治経済学部政治学科に入学し、ラグビー部に入部したが、公務員試験に備えるため2年生をもって退部。1981年、外務省に入省。研修留学したオックスフォード大学でラグビー部に所属し、日本人として初のレギュラーを獲得するなど、以後、日英ラグビーの架け橋となる。在イラン大使館二等書記官、在米大使館一等書記官等を歴任し、2001年、在英大使館参事官に就任。翌年の全早大英国遠征中、清宮監督とともに『アルティメット・クラッシュ』を発案。2003年4月、イラクに派遣、イラク復興に尽力する。同年11月29日、井ノ上正盛三等書記官とともに北部イラク支援会議に向かう途上、銃撃され殉職。両名の意志は、清宮監督をはじめとする多くの賛同者に引き継がれ、2004年8月『奥・井ノ上イラク子ども基金』が立ち上がった。

ラグビー・ワールドカップ
ラグビーのナショナルチームの世界一を決める大会で、1987年以降、4年に1度開催されている。日本はアジア地区代表として第1回大会から毎回出場しているが、第2回大会でジンバブエに1勝して以来、一度も勝利を挙げたことがない。しかし、2007年フランスで開催された第6回大会では、強豪国カナダを相手に劇的な引き分けを演じるなど、地元ファンを大いに湧かせた。なお同大会は、いまや『オリンピック』、『FIFAワールドカップ』と肩を並べるほどのビッグイベントへと定着。日本は2011年の第7回大会の開催国に立候補していたが、僅差でニュージーランドに敗北。しかし日本ラグビー協会は、2015年の開催国に再度立候補する意向を示している。