法人のお客さま総合 > ビジネスアドバンス > リーダー戦略考:枝廣 淳子 氏 > いま考える“幸福度”という新指標
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はい、冗談と思われるかもしれませんが、私は真面目に取り組んでいます(笑)。私はこれまで、講演や翻訳などを通して、地球が直面している環境問題の意識を広め、その解決に向けた仕組みづくりを模索してきました。この活動を行ってみて、結局は、「人は何に対して幸福を感じるか?」というテーマを抜きにして、環境問題を解決することはできないと思っています。
私たちは今まで物質的な豊かさを追求することを、ひとつの“幸せの指標”としてきました。しかし、その果てにあったものは、家庭崩壊や青少年の非行、うつ症状の蔓延といった、思いもよらぬ光景でした。さらには、過剰なまでの経済活動の結果、温暖化や森林破壊、種の絶滅など、人類が地球そのものを破壊する張本人となってしまったという悲しい現実です。この苦渋に満ちた現実を変えるには、小手先の取り組みだけでは到底間に合いません。いろいろな意味で、タイムリミットがもうそこまで来ているのです。
私は、事がここまで至ってしまうと、いままで私たちが追求してきた幸せの形を見直さざるを得ないのではないかと思っています。それは、意識・無意識を問わず、私たち一人ひとりが持っている「物質的に豊かであることが幸せだ」という思い込みを変えなければならないということです。心理学用語でこのような思い込みをメンタルモデルといいますが、幸せに対して持っているこのメンタルモデルそのものを変えていく時期に、私たちは否応なく差し掛かっているのではないでしょうか。
現代を生きる私たちにとっての幸せとは何なのか?そのメンタルモデルの再定義をするために、私は“幸せの研究”をしているのです。
いろいろな意味で私たちの生活は限界点に達しつつあります。エネルギー問題はその顕著な例でしょう。私たちの生活に欠かせない石油などの化石燃料は、その枯渇が叫ばれて久しいですよね。しかし、石油がなくならなくても、その恩恵が途絶える日は実はもう目前まで来ているのです。日本ではこの問題はあまり活発に議論されていませんが、欧米では2〜3年前から侃侃諤諤(かんかんがくがく)の論議が巻き起こっています。
それは「ピークオイル」と呼ばれる問題です。
これまで石油は消費地に近くて、あまり深く掘らなくてもよく、質も良いものから順に採掘されてきました。ところが、そこを掘り尽くすと、採掘できる場所は少しずつ遠くになります。また需要の増加に伴い、多少質の悪いものでも調達せざるを得なくなってきました。そしていまや、石油の採掘現場は海底などのより奥深くへ、はたまたアラスカに代表されるような、消費地からかなり離れた遠隔の地へシフトしてきています。その運搬経費や掘削経費などを含めて考えると、同じ1バレルの石油を手に入れるコストは以前と比べてかなりアップしているわけです。そして、そのコストがあるレベルに達すると、経済的に見合わなくなる。つまり、石油はまだあるのに、価格が高騰して、これまでと同じように消費することが不可能になるわけです。
そのタイミングを「ピークオイル」というわけですが、この分野の著名な研究者によると、そのピークがやってくるのが、2010年。なんと来年です!他の説を平均しても、2012年〜2015年といわれていますから、どちらにしても数年後には、オイルビジネスは破綻への道を歩みはじめるのです。一方で、中国をはじめとする多くの国々で需要はまだまだ伸びるでしょうから、再生不可能なこれらのエネルギーへの依存が限界を迎えるのは、もう目前の出来事だといえるでしょう。
石油は、現在の私たち生活を支えている背骨みたいな存在です。しかし、ピークオイル以降は、石油由来製品の価格は徐々に高騰し、飛行機や自動車にも気楽には乗れなくなるでしょう。当然、火力発電のコストも上昇しますし、また農業や漁業に与える影響も甚大で、さらなる食糧危機を招くことも危惧されています。まさに私たちの幸せが総崩れになるといっても過言ではないかもしれません。
限界に達しているのは、エネルギー問題だけではありません。環境に目を転じると、地球温暖化の問題が緊急の課題となっています。その元凶とされる、石油などの化石燃料を燃やして排出される二酸化炭素の量は、現在、地球全体で年間72億トンといわれています。もともと地球には大気中の二酸化炭素を吸収する仕組みがありますが、その吸収量は森林で年間9億トン、海洋で年間22億トンの計31億トンです。つまり、地球の許容能力を大幅に上回る、2倍以上の二酸化炭素が人類によって排出されている計算になるわけですね。
エネルギー問題にしろ、環境問題にしろ、私たちの幸せのメンタルモデルを長年支えてきた“経済至上主義”は、ここまで地球を蝕んでしまっているのです。
どの国も貧しいときは、「もっと食べたい」「もっとモノを持ちたい」といった動機による、経済的な発展を国家政策の柱に据えます。現在、発展途上国といわれる国々もそれは一緒ですよね。その豊かさを測る指標として用いられているのが、GDP(Gross Domestic Product=「国内総生産」)です。日本でも「GDPが上がった」といえば喜び、「GDPの伸び率が鈍った」といえば、何らかの手を打とうとします。昨年からのアメリカの金融不安により未曾有の不況に陥ったとされる現在も、そのベースとなる数字としてGDPはよく用いられますよね。
しかし、ある程度の豊かさを手に入れた欧米や日本において、果たしてその数字が伸びたからといって、私たちは幸せになったといえるのでしょうか。答えは、冒頭でお話ししたように「ノー」です。
経済成長の目安として、日本では「GDP昨年比3%増」といった数字がよく象徴的に取り上げられてきましたが、もし本当に毎年3%ずつ成長し続けるとすると、24年後にはGDPはなんと2倍に膨らむ計算になります。現在の経済状況やエネルギー問題、環境問題を考えると、これはもはや絵空事ですよね。そんなことはわかりきっているのに、世界中でこのGDPという指標にすがる体質は変わっていません。
特に日本は、量的な成長を求める“GDP神話”が相変わらず声高に叫ばれている。私はこれを「豊かになっても、なお途上国メンタリティが続いている」と表現するのですが、ある時期から量的な成長より質的な成熟の道を選んだヨーロッパ諸国と比べて、その傾向は日本ではあまりにも顕著です。子どもの成長を測る目安として、体重の増加や身長の伸びが用いられますが、ある程度成長したら、その目安は人格や品格、知性というものにシフトされますよね。ところが、大人になっても、相変わらず体の大きさでしかその成長を測ろうとしないというのはおかしいですよね。GDPの伸び、つまり経済成長率をいつまでも重視している日本の姿勢はそれと同じことなのではないでしょうか。
そうですね。そもそもGDPは、その中身が何であってもお金が動けば増える指標です。人間の幸福に役立つ、役立たないに関わらず、あらゆるものの生産や流通を単に合計しただけのものなのですね。
たとえば、ほとんど利用されない道路の建設費や環境破壊後の修復費用、もっと細かくいえば、凶悪事件に投入される警官の超過勤務手当や、ばい煙が原因で喘息にかかった人の医療費などなど、さまざまなマイナス要因も、お金さえ動けばGDPに加算されているのです。その一方で、人の幸福にダイレクトにつながる家庭での労働や、ボランティア活動などの経費はGDPには含まれていません。そもそもGDPのひな型を作った張本人であり、後の世界銀行の副総裁まで務めたハーマン・デイリー氏でさえ、「人の進歩や発展はGDPでは測れない」といっているのですから、GDPはもともと幸せを測るには矛盾に満ちた指標であるといえるではないでしょうか。
「GPI」(Genuine Progress Indicator=「真の進歩指標」)と呼ばれるものが、アメリカで提唱、実証されています。これを推し進めているのが、「Redefining Progress」(通称「RP」)といわれる非営利研究機関で、まさにその名称の通り、「進歩(進捗)を再定義する」活動を長年行ってきました。
GPIは、GDPの個人消費データをベースに、家庭労働やボランティア活動など、現在のGDPには算入されていない“幸せを作り出す活動”の経済貢献額を算出して加えます。逆に犯罪や公害、資源枯渇、家庭崩壊など、幸せや進歩につながらない活動に伴って動いた金額や、健康や環境への被害額を算出して、それを差し引く形で計算されます。
現在、日本を含めた世界の十数ヶ国でGPIの数値を算出し、比較検討している段階です。おもしろいのは、GPIとGDPをひとつのグラフにすると、その数値は1970年くらいまでは同じように右肩上がりで上昇傾向を示しているのですが、その後GDPは伸びているのに、GPIは横ばい状態になってしまっていることです。特に日本は、1990年代の末からGPIの数値がマイナスに転じています。これは個人ベースで考えると、日本はそれだけ幸せを実感しにくい国になってしまったということではないでしょうか。
ただ、GDPに代わる指標として、GPIに問題がないとはいえません。家庭労働やボランティア活動などは、客観化や数値化が困難なケースも多いですからね。有効な国際比較データを得るには、基準の統一やその洗練がこれから欠かせないでしょう。しかし、真の豊かさ、真の進歩とは何かを問いつつ、具体的な手法を開発していく努力はとても貴重なものであると、私は思っています。
現在、日本を除く先進12ヶ国でGDPとGPIの試算が行われており、その関係性について研究が進められている。本文でも述べたように、これらすべての国で1970年代を境にGDPの数字はそのまま伸びているものの、GPIは横ばい、もしくは低減傾向を示している。
日本の場合もGPIとは異なるが同種の調査によると、このグラフにあるように、1人あたりのGDPが2005年まで増加傾向にあるにも関わらず、「生活満足度」は1990年頃から低下の一途をたどり、その差は開く一方である。GDPをベースに算出されるGPIと「生活満足度」とは意味合いが異なるものの、日本においても、経済が発展したとしても個人レベルでは幸せを実感しにくい時代に入っていることが、このグラフでよくわかる。


第4回GNH国際会議の会場(ブータンの首都ティンブーにて)
写真提供:枝廣 淳子氏
確かにおっしゃりたいことはわかります。しかし、いままで述べてきたように地球全体としての危機、限界が目前に迫った現在、「人の幸せとはいったい何なのか」を問い直す、そのベースとなる考え方を世界で共有する取り組みはとても大事なことではないでしょうか。
その意味で全世界から注目されているのが、ブータンという小国で考え出された「GNH」(Gross National Happiness)という、「国民総生産(GNP)」ならぬ「国民総幸福度」という知恵です。国の発展を「生産」ではなく、「幸福」で測ろうというこの考え方は、1976年の第5回非同盟諸国首脳会議の折、ブータンの第4代ワンチュク国王が提唱したことに端を発しているといわれています。1960年代から1970年代初めにかけて、ブータンでは先進国の経験やモデルを分析した結果、「経済発展は貧困問題や環境破壊、文化の喪失などのマイナス面が多く、必ずしも国民の幸せにつながるとは限らない」という結論に達したのです。そこで、GNPやGDPより、人の幸せを追求し、増大させるGNHという考えを打ち出したというわけです。
その後ブータンでは、このGNHの概念のもと、「経済成長と開発」「文化遺産の保護と継承・振興」「豊かな自然環境の保全と持続可能な利用」「良き統治」という4つの柱を掲げ、開発を進めることになりました。この考え方はブータンの憲法にも記載され、国王も総理大臣も「GNHを国の政治の中央に据える」と宣言しています。
最近では、GNHを概念として捉えるだけでなく、「GDPのように指標として数値化できないか」という国際的な声も上がっていました。それを受けて、1999年には「ブータン研究センター」が設立され、具体的な研究が推し進められています。
現在はあくまでブータンで通用する指標を目指して、幸福という概念を9つの要素に分けて検討されています。
その内訳は、「基本的な生活」「文化の多様性」「感情の豊かさ」「健康」「教育」「時間の使い方」「自然保護」「コミュニティの活力」「良い統治」という9つです。「人の情緒がどれくらい豊かか」とか、「地域社会がどれくらい生き生きとしているか」なんていうのは、GDPにはほとんど影響を与えませんよね。逆にお金を稼ぐ以外に、地域社会のために時間を使ったり、ボランティアで環境を守る活動をするといったことは、GDPの足を引っ張る不経済な行動といえるかもしれません。これらを指標化することは、おそらくGPIのそれ以上に困難な試みでしょう。しかし、その成果は各国がこれから自国の国民の幸せを考えるうえで、非常に貴重な礎となるのではないでしょうか。
私は昨年、ブータンで開かれたGNHに関する国際会議に参加してきました。この会議には25ヶ国、90人以上もの人々が参加し、各国の取り組みを発表しました。その席でブータンの首相が「それぞれの地域や国で、自分たちのGNHを考えてください」と発言していましたが、まさにその通りで、今度はその宿題に私たちが答えを出さなければならないと思っています。
ブータン郊外の町・ワンディの市場の様子
写真提供:枝廣 淳子氏
もともとブータンは熱心な仏教国で、人を敬い、ともに暮らしていくというコミュニティの絆が強い国です。私も実際に訪ねてみてよくわかったのですが、ブータンにも仕事がなく、ホームレスのような生活を送る人も現実にはいます。しかし、社会から彼らが排除されることはありません。誰かが面倒を見ている。そんな互助精神が根付いているのです。また、恵まれた美しい自然環境もあり、そこから実りをいただくという、自然を敬う気持ちも強い国民だと思います。いうなれば、もともとGNHの考え方が生まれる下地のある国だったといえるでしょう。
ところが近代になり、異文化の流入が盛んになるにつれて、ブータンが本来持っているこのような豊かな文化が失われる可能性が危惧されたわけです。ここからは私の推測ですが、そのブータンの文化を喪失してしまわないように国民の注意を意識的に向けさせる、GNHはそのひとつの手立てだったのではないでしょうか。
振り返ってみれば、日本も仏教の教えを受け継いだ国のひとつとして、しばらく前まではブータンと同じように人々が助け合う互助精神や、自然を畏怖する気持ちがあったわけです。たとえば、地域住民が総出で田植えや稲刈りをしたり、道路などの共有の財産をみんなで維持・管理するといった奉仕活動は、「結(ゆい)」と呼ばれ、日本中のどこでも行われていた風習です。それが高度経済成長時代を経て、いつの間にか跡形もなく失われてしまった。ですから、GNHに共感する人々の中には、本来の日本の姿を取り戻すという感覚で捉えていらっしゃる方も多いですね。この“幸せの問い直し” には、そんな日本人特有のメンタリティも潜んでいるのです。
その通りです。「ファストフード」に対抗したイタリア発祥の「スローフード」の運動は、食べ物だけでなく生活全般におよぶ「スローライフ」として、日本で独自の発展を遂げました。これは日本が世界でもまれに見る“ファストな社会”だったことが、ひとつの原因だと私は思っています。
たとえば、電力会社のデータによると、日本での1年間の停電の長さは1世帯当たり、たったの2分です。それに対してアメリカは80分、イギリスは70分、フランスは45分だそうです。また、電車の遅れに関するデータでも、日本では1分30秒以上遅れると遅延とみなされるそうですが、同じ数値がニューヨークでは5分、ベルリンでも3分ということですから、日本の企業の優秀さはさることながら、日本人は時間に対してとてもシビアな世界に生きていることがわかります。そんな“息詰まり感”が、日本人が「スロームーブメント」に敏感に反応した理由ではないでしょうか。
そうだと思いますよ。この動きは個人に留まらず、その後、自治体にも広がっていきましたからね。現在、10を越える自治体が「スローシティ宣言」を出しています。たとえば、静岡県掛川市では「スローフード」をはじめ、「スローインダストリー」「スローエデュケーション」「スローエイジング」など、8つのスローを提唱し、生きやすく、住みやすい自治体を目指しています。
また、2001年には岩手県が増田 寛也知事のときに、『がんばらない宣言』を新聞広告に大きく載せ、注目を浴びました。これは、「いままでは中央からお金を引き出し、ハコモノをたくさん作ってきたが、岩手県はもうそんなことでは頑張らない。もっと地元の自然や環境を大事にしていく」という画期的な宣言でした。私はこれを機会あるごとに世界の人々に話したのですが、みんな「自治体の長がそんなことを宣言するなんて信じられない」と、かなり驚いていましたよ。もっともこの宣言、後に増田さんご自身に聞いた話では、県外の人々には大好評でしたが、地元の企業からは大ブーイングだったそうです(笑)。
私たちが2002年から行っている、「年2回、2時間だけでも電気を消して、ろうそくを灯して暮らしてみよう」という『100万人のキャンドルナイト』の取り組みも、スロームーブメントの一環だといえるでしょう。このような「幸せを再定義する」、その問い直しの動きがジャンルを問わず、日本のいろいろな所で盛んに起こっているのは紛れもない事実ですね。
枝廣さんをはじめ、辻 信一さん(明治学院大学教授)や藤田 和芳さん(大地を守る会会長)などが呼びかけ人代表を務める『100万人のキャンドルナイト』。これは毎年、夏至や冬至の頃の年2回、夜8時から10時までの2時間、電気を消し、ロウソクを灯して過ごしてみようというイベントである。
いつも時間に追われている現代の人々に、電気を消すことで一度立ち止まり、省エネや世界の平和など、いろいろなことに想いを馳せる時間を持ってもらおうという、“スロームーブメント”のひとつの試みだ。このイベントには数多くの企業も協力し、その日だけは早く帰宅して、家族や友人、恋人と過ごすことを推奨している。また、東京タワーが消灯するなど、関連する催しも日本全国で行われている。
枝廣さんは、「特にビジネスマンは、何かきっかけがないとゆとりのある時間を持つことができない。キャンドルナイトがそのひとつのきっかけになればうれしい」と語る。電気やテレビを消して過ごすと、キャンドルでかもし出される影の存在など、煌々と光る電気の下では気づかない、いろいろな発見があるという。次回開催は6月の夏至の頃。皆さんも参加して、たまにはスローな時間を過ごしてみてはいかがだろうか。
「物資的な豊かさが幸福である」というメンタルモデルの転換が求められているいま、経済活動を担う企業のあり方も大きく変わらざるを得ないと私は思っています。そのひとつのモデルが、山梨県甲府市にある向山塗料株式会社(以下、向山塗料)です。この会社は主に塗料の販売を行っている会社ですが、現会長である向山 邦史さんを中心に、GNHに影響を受けた「GCH」(Gross Company Happiness=「社員全体の幸せ」)という理念のもと、新しい企業づくりに取り組んでいらっしゃいます。GCHとは、会社の成功を売上や利益ではなく、社員全体の幸福によって測ろうという試みです。
向山さんは以前からそのような考えをお持ちだったわけではありません。十数年前までは、「とにかく売上を上げろ!」と社員にハッパをかけ、上場を究極の目的とする、ごく普通の社長さんでした。ところが、会社を軌道には乗せたものの、社員は居つかず、その補充も大変で、当時社長だった向山さんは、「自分の目指す企業はこれでいいのだろうか?経営者の幸せっていったい何なのか?」と、深く落ち込むようになったといいます。そんなとき、いろいろな人から影響を受け、「自分が実現したいのはこんな殺伐とした世界ではなく、愛や平和、調和、助け合いの世界なのだ」という思いに至り、それ以降、向山塗料ではさまざまな変革を行ってきました。
そのひとつが、なんと“マイナス成長”を目指すということです。それは身の丈以上の売上を目指すと、社員は忙しく、笑顔もない職場になってしまい、それでは社員の幸せにつながらないと、向山さんは考えたのですね。
確かにいままでの企業のあり方からすれば、突飛な発想かもしれません。ただ、企業にとって、売上のアップだけが目的ではありませんよね。それは企業の理念を実現するためのひとつの手段に過ぎません。そういう意味では、売上を減らすことは、向山塗料の企業理念であるGCHを実現するための手段です。ある意味、企業としてはとても真っ当な試みであるといえるのではないでしょうか。もちろん、これは机上の空論だったわけではなく、当時、環境マネジメントシステムの国際規格であるISO14001の取り組みを進める社員の努力で、年間1,500万円もの経費が節約できるようになっていたという背景もありました。「この額は年間3億円ほどの売上を挙げた際の利益に匹敵する。それなら売上目標を下げてもいいんじゃないか」という、それなりの裏付けがあってのことなのですね。
そのため向山塗料では1995年から、たとえば「前年比92%」という “マイナス成長”の目標を立てることとなったのです。
それから数年後に、「マイナス成長は順調ですか?」と聞いたところ、向山さんは顔色を曇らせて、「それがうまくいっていないんです」と。質問も変ですが、答えも妙でしょう(笑)。向山さんによると、「ノルマをなくしたことで、社員が余裕をもって笑顔でお客さんに接するようになって、そうなればなるほど売上が減らない」というわけです。それが半年くらい前にお聞きしたところでは、「3割くらい売上を減らしたものの、利益は以前とほとんど変わっていない」ということでしたので、いまでは順調に“マイナス成長”を成し遂げているようです。
向山塗料の取り組みは、これだけではありません。「地域に密着した企業を目指す」という理念のもと、社内監査に市民オンブズマン制度を取り入れるなど、地元から愛される企業としての努力を怠りません。さらには、食糧の自給自足を目指して、会社近くに大きな農園を設けて、社員が仕事の合間に農作業をやるだけでなく、地元の福祉施設の子どもたちにも手伝いに来てもらうなど、地元密着度をより高めています。これもGCHの一環で、近い将来、食糧危機が避けられないことを見越して、社員の給料を上げるのではなく、食糧を供給することで社員や地域の人々の幸福を維持するという強い信念のもとに行われているのです。
このお話をすると、多くの方がそうおっしゃいます。しかし、私はそうは思いません。確かに、小さな会社で上場していなかったから、やりやすかったとはいえるでしょう。しかし、大きな会社でも時間はかかるかもしれませんが、ちゃんと計画を立ててその方向にシフトしていくことは可能なのではないかと、私は考えています。
ただ、上場している企業の場合、そこで大きなネックとなるのは株主との関係でしょうね。いままでのように「ウチの株を買えば儲かりますよ」という姿勢では、何も変わりません。そうではなくて、「私たちはウチで働く人々が幸福でいられる会社にしたい。それに賛同してくださる方だけ株主になってください」という姿勢を打ち出すことが必要です。つまり、企業が株主を選ぶということです。機関投資家など、企業が翻弄されるような短期的な利益を上げようとする株主は、こちらからお断りですね。
地域密着型の優良企業として、アメリカにジョンソン&ジョンソン株式会社という、良いお手本があります。同社は毎年利益からかなりの割合の配当を地元に還元しているのですが、ある年の株主総会で、株主から「地域還元の割合が多過ぎる。もっと株主に利益を回せ」という発言があったそうです。しかし、当時の副社長は「当社は地域への貢献が大事だと考えています。それが嫌だとおっしゃるのであれば、どうぞ他の会社に投資してください」といったそうです。投資家の機嫌をとって、株価の上下動に怯えて企業を運営するのか?それとも地域に愛される企業を目指すのか?いま後者の考えに賛同する人々が確実に増えているように感じています。企業にとって長期的な関係を持てる株主を大事にできるかどうかが、大きな分かれ目ではないでしょうか。
確かに向山塗料の取り組みは、極端な例かもしれません。しかし、向山さんは自社で働く社員の幸福とは何かを考え、企業のあり方や経営者としてのメンタルモデルを転換したわけです。そろそろ大企業のトップにも、次の時代を見据えた、こんな勇気のある人物が登場してもいいのではないでしょうか。
いま、働き方も会社のあり方も、大きく揺れ動いています。ただ、それを前向きに捉えると、価値観が多様化しているともいえるのではないでしょうか。少し前までは、会社に勤めるといえばそこに骨を埋めるというのが、日本のビジネスマンのメンタルモデルでした。それが徐々に壊れてはきていたのですが、今回の不況でそのメンタルモデルは崩れ去ったといっていいのではないでしょうか。派遣労働者に対する、企業の冷たい対応もそれに拍車をかけたかもしれませんね。
しかし、これは悪い面ばかりではありません。たとえばいま、若者の間で“半農半X”という生き方が注目されています。“X”とは、自分のやりたいこと。自分に課せられた使命といってもいいでしょう。つまり、半分は食べていくために農業をやり、後の半分は自分の使命であるやりたいことや、好きなことを仕事にするという、新しい生き方です。食料を自給自足で得ることができれば、あとは生きていくための最低限のお金しかいらない。それをやりたくもない仕事をこなしてでも得るか、それとも、自分のやりたいことで稼ぐかの違いです。たとえば歌手の加藤登紀子さんの娘さんであるYaeさんは、自分のことを“半農半歌手”と称していらっしゃいますし、他にも“半農半文筆家”を自称する方もいます。NGOはまず給料が高くありませんから、“半農半NGO”という生き方もあると思います。このように働き方の新しいメンタルモデルを実践している人々が徐々に増えているのです。
日本でも少しずつ増えてきていますが、「社会的企業」というものがあります。これは社会的課題の解決を目的として設立されたもので、その使命を企業という姿を借りて実現していこうというものです。これは会社組織にした方がNGOより運営しやすいので、会社の形態をとっているだけなんですね。私も環境問題に関する社会的企業を2つ経営しています。
また、イギリスでいま非常に盛んになっている「コミュニティ・ベースド・カンパニー」という、新しい会社の考え方もあります。これは地域の市民が主体となり、地域の資源を生かして課題を解決しようというもので、地域で同じ志をもった人々が集まって運営していく会社です。日本でいえば、生活協同組合に近い形かもしれません。
このように、いまやNGOと企業の境目がどんどんなくなっているのです。そういう意味でいうと、会社の形は「こうあらねばならない」というモデルがなくなるかもしれませんね。

いままでの長い習慣や慣習の中で培われたメンタルモデルを変えることは、個人でもそう容易(たやす)くできることではありません。そのためには、まず思考するプロセスを転換する必要があるのではないでしょうか。
これまでは、将来を予測する方法として「フォアキャスティング」という考え方が使われてきました。これは、現状に立脚して将来の目標を定めるというものです。日本では、政府も多くの企業もそうですが、「いまはこの制約があるから、3年後はこうなる」とか、「いまこれだけの売上があるから、3年後の目標はこうだ」という考え方が主流ですよね。しかし、この思考プロセスは、将来において経済・社会上の大きな構造変化が生じないという“平時”ならば有効な手段ですが、いままで述べてきたように、一大転換をしなければならない“緊急時”には全く用をなしません。なぜなら、過去の趨勢(すうせい)を将来に伸ばすような形で将来像を描くと、かえって破局を招く恐れさえあるからです。
そうではなくて、現状はとりあえず脇に置き、まず理想の将来像を描いて、その地点からあらためて現状を振り返り、それを実現するためには何をなすべきかを導き出す「バックキャスティング」(振り返り)の思考プロセスが今後は必要になります。このように大胆に考え方を変えないと、メンタルモデルの転換など夢のまた夢の話ではないでしょうか。
いままでのやり方と全く違ったやり方を求められるのですから、企業にとってこの作業はとても大変なものになるでしょう。しかし、少なくとも“将来のわが社の理想像”を構築する仕事を、企業のトップがやらずして、誰にやれというのでしょうか。「社会に対して何をつくり出したいのか?」「地域に対して、どんな存在になりたいのか?」――その理念、ビジョンを提示することは、企業のトップの仕事だと思います。
そういう意味でも、企業のトップは「社員にとっての真の幸せとはいったい何なのか?」と深く問い直さなければならないと、私は思っています。他社に先駆けて、新たなメンタルモデルを構築することが、企業の生き残りにもつながるはずです。
“経済至上主義”が限界を迎えたいま、働く人の意識も、企業を取り巻く環境も変わりつつあります。しかし、当の企業が売上や利益に囚われた、これまでの会社のあり方を変えられないとすれば、歴史のある大きな企業といえども、急激な環境変化に耐えられず絶滅した恐竜と同じ運命をたどることもあり得るわけですね。大きな企業ほど、どうすれば敏捷(びんしょう)に会社の体質を変えられるのかを真剣に考えなければならない時期に来ていると、私は思っています。
南アジアにある国家。正式名称はブータン王国。インドと中国にはさまれた、世界唯一のチベット仏教を国教とする王国。急速な欧米化の中にあって、近代化の速度をコントロールしつつ、独自の立場や伝統を守ろうとする政治に世界的な注目が集まっている。特に前国王(第4代ワンチュク国王)が提唱した「GNH(国民総幸福度)」という概念、さまざまな環境政策などが、近年のスロームーブメントと組み合わせて語られる場合も多い。なお、国連をはじめとする国際機関やインド、スイス、デンマークなど多くの国がブータンに開発援助を行う中で、日本も最大の開発パートナーのひとつに挙げられる。
非同盟諸国とは東西冷戦期に東西どちらの陣営にも属さず、第三の勢力として植民地の独立などを支援した、主に新興独立国からなる諸国。1961年、第1回会議が旧ユーゴスラビアのベオグラードで開催され、当時の新興独立国25ヶ国首脳が集い、非同盟路線をとることを表明するとともに、反帝国主義・反植民地主義闘争を支持する立場を打ち出した。以降、基本的に3年ごとに開催されている。なお、2007年現在で117ヶ国・地域が加盟しており、アジア諸国で加盟していないのは、日本を含む、中国、韓国など、ごくわずかの国だけとなっている。
文化人類学者、環境運動家、明治学院大学国際学部教授。『100万人のキャンドルナイト』呼びかけ人代表。1999年、環境問題や先住民問題に関心をもつ人々が中心になって立ち上げたNGO『ナマケモノ倶楽部』の世話人を務める。中南米の森に棲むナマケモノという動物の「低エネ、循環型、共生、非暴力の生き方にこそ持続可能な社会や暮らしのヒントがある」として、生態系保全、環境共生型ライフスタイルへの転換、環境や社会にいいことをする「スロー・ビジネス」の創造という3分野で活動を展開するなど、「スロー」や「GNH」というコンセプトを軸に環境文化運動を進める。
1947年岩手県の稲作農家の次男として生まれ、育つ。上智大学法学部卒後、出版社に勤務しながら休日を利用して無農薬有機野菜の引き売りを開始。1975年に「農薬の危険性を100万回叫ぶよりも、1本の無農薬の大根を作り、運び、食べることから始めよう」をコンセプトとするNGO『大地を守る会』の設立に参画。1977年には、『大地を守る会』の流通部門として、社会的企業のさきがけとなる、株式会社大地を設立。現在、『大地を守る会』会長、『株式会社大地を守る会』代表取締役、『100万人のキャンドルナイト』呼びかけ人代表、『アジア農民元気大学』理事長などを兼任。有機農業運動をはじめ、食糧、環境、エネルギー、教育等の諸問題に対しても活動を展開し、世界各国の農民との連携も深めている。