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リーダー戦略考

作家 小関 智弘 氏

日本の産業を“下支え”する町工場の力

■日本の経済成長をこれまで支えてきた町工場の存在を、どのように捉えていらっしゃいますか。

私は町工場の意義を、雲海の上で輝く富士山の美しさに例えています。雲の切れ間からは雪を被ったきれいな頂上の部分だけが見えている。しかし、それを支えている広大なすそ野があってはじめて、その高さがあり、美しさがあるわけですよね。日本の産業も同様で、頂点に立つ一部の大企業に注目が集まりがちですが、そのすそ野に無数の町工場があってこそ成り立っているのです。

例えば1台の自動車を生産する場合、細かいものまで数えると、1万以上の部品が必要になります。しかし、その中でトップに立つ大きなメーカーさんが作っている部品の分量というのは、本当に知れたものです。これが宇宙衛星を組み立てるとなると、10万以上もの膨大な数になりますが、これらの細かい部品の生産のほとんどは、町工場といわれるような中小零細企業を最底辺とする、ピラミッド構造の下層部分が担っているのです。

■いわゆる「産業の二重構造」ですね。

確かに、そういう面もあります。しかし、それは一面的な捉え方に過ぎません。私が旋盤工として50年間働いて実感したのは、まさに日本の産業を実質的に“下支え”しているのが町工場だということです。言葉を変えれば、大企業にはない技術や技能が町工場に蓄積されていて、大きなメーカーはそれに頼らざるを得ないという現実もある。町工場が一方的に、仕事欲しさに大手メーカーにぶら下がっているだけというわけではないのです。

一例を挙げれば、大きい工場が設計図を起こして、小さい町工場は与えられた図面通りに作っているものだと、皆さん考えがちですよね。つまり、町工場は発注元のいわれたままに作るだけだ、と。ところが、それは全くのフィクションです。

町工場の設計図には、大別すると、承認図という判子が押された図面と、貸与図といわれる2種類があります。貸与図は、発注元である大手企業が設計した図面をその下請けに貸して「この通りに作りなさい」というものです。一方の承認図というのは「実はこういうものを作りたいんだけれども、お宅だったらどのように設計しますか? どのように作りますか?」と、逆に発注元が下請けに問い合わせて、それに基づいて下請けが図面を作るというものなのです。それで発注元がOKならば承認し、再び下請けに回されることから、承認図と呼ばれています。

実はこの両者の比率を調べた方がいらっしゃいまして、なんと2対1で承認図のほうが多いということがわかったんです。私は現場で働いていて、そのことを肌で実感していたのですが、こうやってちゃんと数字で表わされると、「やっぱりな」と納得した次第です。

考えてみればそれも当たり前で、その部品を作るためには、どんな段取りでどういう機械を使えば可能なのか、どういう道具を作る必要があるのか、また、材料にもいろいろな特性がありますから、そのクセを考慮しなければいけません。これらは現場でモノづくりをして、精通している人しかわからないことばかりなのですね。つまり、町工場がこれまで蓄積してきたノウハウなしには、何事も成立しないということなのです。

そういう意味では、まさに町工場が日本の産業を“下支え”しています。上からの目線で「町工場は虐げられた存在だ」と断じると、本質を見誤る危険性があるわけですね。経済的には確かに厳しい状況が続いていますが、それでも頑張ることができるのは、町工場に“モノづくりのプロ”としてのプライドがちゃんとあるからなのです。

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“万年不況”町工場の実情

■しかし、今回の金融恐慌でますます町工場は追い詰められているのではないでしょうか。

それは残念ながら否定できない事実ですね。原油高と材料高の波をもろにかぶっているといえるでしょう。しかし、その深刻さはいまに限ったことではありません。

いわゆる「平成不況」がはじまったのが1991年くらいからだといわれていますが、町工場が集中する東京都大田区の場合、区の統計によると当時の工場総数は約8,200だったんですね。それがほぼ10年後の2002年には6,000になり、去年の統計では4,800まで減少しました。これまでの統計を調べてみますと、不思議なことに、大田区にある町工場の数というのは、常に全国の町工場総数の1%と一致するんです。ですから、いまはだいたい全国の町工場の数は50万を切っているのではないでしょうか。この推移を考えても、いかに工場の廃業が続出しているか、経営環境が厳しくなっているかがわかると思います。4〜5年前には世にいう「ITバブル」もありましたが、町工場はその恩恵を全く受けていませんから、ずっと不況の波にさられているというのが、偽らざる実情ですね。

今回の不況に関しても、ある町工場の社長がテレビのインタビューで、「大きい企業はいまごろ焦っているのか。我々はもう半年も前から景気が悪くてどうしようもない」と答えていました。これは本当にそうでして、町工場には、“上げ潮”はチンタラと一番最後にしかやってこないんですが、“引き潮”は真っ先に襲ってくる。大手企業やマスコミが「いよいよ不況だ」なんて叫び始めた頃には、町工場ではとっくに仕事が手薄になっているのです。

■その打開策はあるのでしょうか。

政策的なことをいえば、銀行の貸し渋りを早急に解消するなど、いろいろな施策が必要だと思います。しかし、あまり悲観しても仕方ありません。こんな厳しい環境下でも、日本の町工場はまだまだ元気で、可能性があるということを知ってもらいたいですね。

例えば『機械要素技術展』という展示会が、東京と大阪で毎年2回開催されています。どのようなイベントかというと、「うちの工場は、ドリルを使って穴を空ける技術に関してこういうことができますよ」とか「スプリングを作らせたら、私の工場ではこんなタイプが作れます」などと、全国の小さな工場の方々が一同に集まって、自分たちの技術を展示しているわけです。

そこに毎回、関東だけでも千数百社の中小企業が参加しているんですね。非常に小さなブースではあるのですが、「わが社はこんなことができる。これを何かの製品作りに役立ててください」と技術を競っている。こうした“要素技術”というのは、モノづくりにおいて一番の基盤となる技術ですし、それを、誇りをもって皆さんがプレゼンしているわけです。この展示会の活況ぶりを見ると、日本の中小企業の底力というのはたいしたものだということがよくわかります。世界的に見ても、これほど中小企業が元気な国は他にないのではないでしょうか。ですから、日本の町工場には、まだまだ大きな宝が眠っていると私は確信しています。

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“アメーバ型ネットワーク”から生まれる新技術

■その宝が大きく花開いた一例を教えていただけないでしょうか。

たくさんの事例がありますが、そのひとつをご紹介しましょう。エルボといわれる製品があります。この名前は、英語の「肘」=「エルボー」からきているのですが、パイプを直角につなぐ継ぎ手部分の部品で、このエルボを使ってパイプを縦から横へ、または上から下につなぎ、パイプの中を通るガスや粉などの方向を変えるわけです。エルボは重機の油圧系でも使われていまして、フォークリフトやブルドーザーで重いものを持ち上げたりするための重要な部分も担っています。この場合はもちろんすごく強い圧力がかかりますので、かなり丈夫なものでなければいけません。

大田区にこのエルボを長年作っている『トキワ精機』という会社があります。ここはおじいさんから三代続く、従業員が50名ほどの典型的な町工場です。ここの社長の木村 洋一さんという方がある日、取引先の重機メーカーから呼ばれまして、「エルボの値段を3割下げてくれ。それができなければ今後、取り引きはできない」と宣告されたのです。

■かなり唐突なオーダーですね。

要するに、中国からそれだけ安くエルボが入る見通しが立ったというわけなのですね。というのも、国内の工場をたたんで人件費の安い中国に進出し、そこで生産する日本のメーカーが増えていましたから、致し方ない部分もありました。そのオーダーを受けた木村さんは「中国に工場を移転すべきだろうか」と思い悩んだそうです。しかし「じいさんの代からここで仕事をやっていて、従業員もみんなこの町の人たちだ。それはできない」ということで、木村さんの試行錯誤が始まるわけです。

油圧系で使われるエルボは外径が15〜16mmありまして、内径が5mmという、かなり肉厚のパイプなんです。それまでは、部品の両側からドリルで穴を空けてパイプの機能を持たせていたのですが、木村さんは発想を変えて、最初から穴の空いたパイプ状のものを折り曲げてエルボを作れないかと考えついたのです。そうすれば、後から穴を空けるという工程がひとつ減るので、経費が削減できるわけですね。ところが、水やガスを通す1mm厚くらいのパイプならば、曲げることは簡単にできます。しかし、これだけの肉厚だとそう簡単にはいきません。試行錯誤の末、どうにか曲げることはできたのですが、今度は曲げた部分に目に見えない亀裂が生じているという問題が発生しました。

困り果てた木村さんは、近くのプレス工場のおやじさんに相談したそうです。そうしたら、「ゆっくり曲げることができる油圧プレスを使ってみな。ウチにあるから自由に使っていいよ」とアドバイスを受け、再び新たな挑戦がはじまりました。他にもクリアしなければならない問題があったのですが、そのうち、このプレス屋さんに出入りしている金型屋さんをはじめ、いろいろな方からアイデアやヒントをもらって、やっと思い通りの製品が完成しました。結果、価格を3分の1も下げられて、しかも性能はいままでよりはるかに良いものができあがったので、発注元のメーカーも大喜びしてくれたそうです。

その技術が評判を呼びましてね。当初は月産25万個くらいだったのが、いまや90万個以上の注文があり、それまでの設備では間に合わなくなり、新しい工場も増設したということです。

■窮地に立たされ、“逆転の発想”が見事に実ったというわけですね。

これにはさらにオマケでおもしろい話があります。実はこの新しいエルボ作りで、『トキワ精機』は2004年に『中小企業庁長官賞』を受賞するのですが、そのために木村さんは開発の過程を文書で提出しなければいけないことになったそうです。ところが、町工場に研究所があろうはずもなく、専門で研究する従業員がいるというわけでもありませんから、そのレポートは、なかなかうまくまとまりません。そこで木村さんは仕方なく、協力してくれた町工場の方々の名前を列挙して、「この人からはこんなアイデアが」「この人からはこんなヒントをもらった」と、報告書ならぬ日記めいたものを提出したのです。すると、役所の人がそれを見て「いままでずいぶんいろいろな書類を見たけど、こういう書類は初めてだ」と、かなりびっくりされたそうですよ(笑)。

私は新しいエルボができたのは、木村さんのこのレポートにあるように、まさに町工場のコミュニティによるものだと思うんですよ。

小さい工場のネットワークのことを、“自転車ネットワーク”とか“路地裏ネットワーク”といいますが、つまり木村さんの場合は、おじいさんの代から大田区で工場をやっておられて、近所の工場の方々と長いつき合いがあったんですね。このつながりが近所の工場との間に密な連携を生んで、すばらしい製品を生み出したといえると思います。

技術的なことをいいますと、プレスを使っていろいろなものを折り曲げたり、絞ったり、切ったりというのは、プレス屋さんが長年ノウハウを蓄えていらっしゃるわけです。金型屋さんだって、いろいろな物を作る金型を工夫してこられているわけですが、木村さんが「太いパイプを折り曲げてエルボを作ってみたい」という発想をしたからこそ初めて、そのプレス屋さんもアイデアが出てくるし、金型屋さんもヒントを出せる。そういう町工場のコミュニティに蓄えられてきた技術が見事に生かされた典型だと思うんですね。

そしてこれこそが、日本に優秀な町工場が多い理由なんです。私はこれを“アメーバ型ネットワーク”と名付けています。つまり「○○研究会」などというような常設的なネットワークではなく、プロジェクトごとに必要な人々が必要なときに、コミュニティをベースにして集まる「知恵袋」みたいなものですね。小さい町工場が生き残るためには、この“アメーバ型ネットワーク”は欠かせないものだと、私は常々思っています。

エルボの断面図
エルボの断面図

右が従来のもの。『トキワ精機』が開発したエルボ(写真左)とその断面を比較すると、曲線がスムーズで管内の圧力低下を起こさない利点がある。

エルボが完成するまで
エルボが完成するまで

1本のパイプ(写真最右)を折り曲げ、加工していく。肉厚のあるパイプを 折り曲げることに苦労した、という。

町工場の知恵1 “成熟技術”を“成長技術”へ

大企業と違い、資産も人員も限られた町工場にとって、生き残るための得意技は、生産のプロセスを変えることだと小関さんは語る。例えば、町工場にはネジや釘を作っている工場がたくさんあるが、いってみれば、ビジネスとしてはこれ以上期待できない成熟した産業分野だ。しかし、東京都大田区にある『葵精螺製作所』というネジを専門に作る町工場は、ネジを作るヘッダーという機械に改良を加え、カメラのモーターに使う小さなシャフトを生産する技術を開発した。

このシャフトはそれまでは材料を削って作っていたものだが、削ると刃がすり減ってどうしてもできあがったシャフトの寸法にバラつきが出るという欠点があった。ところが、この町工場が開発した方法 は、金型を使って強い圧力をかけ一気に成型する製法なので、100分の1mmレベルという精度の高い製品をブレなく作ることができるようになったわけである。もちろん削るより材料にムダが出ないので、生産コストもかなり下がった。

町工場の成功例には、このように行き詰まっていた“成熟技術”を、今後大いに期待できる“成長技術”に転換させたものがたくさんあると、小関さんはいう。いろいろな制約がある中で、「従来の技術 を何とか新しく応用できないか」と考えた末のヒット商品。こんな町工場の知恵は、現在の厳しい経済情勢の中にあって、大企業も大いに学ぶべき点ではないだろうか。

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デジタル技術を支える“人の技”

■デジタル技術隆盛のこの世の中で、町工場に蓄えられた“人の技”は生き残ることができるのでしょうか。

確かにデジタル技術の進歩とともに、求められる精度が飛躍的に厳しくなっているのは事実です。例えば私が町工場に入った60年ほど前は、「100分の1mmの精度で鉄を削りなさい」なんていわれると、「うえー、100分の1」と尻込みするような感覚でした。しかし、いまや非常に精度の高い物というのは1,000分の1mmの世界が当たり前です。それからもっと極端な、例えば半導体製造装置の分野などになりますと、1万分の1mmという要求が出ているわけです。

「そんな精度の高い機械があるのなら、それで全部作ってしまえば解決するじゃないか」と思われがちですが、機械で機械を作ることは絶対にできません。一番の基礎となる部分は、やはり人間がひとつひとつ手作りしなければいけません。機械というのは、そうやって作った部品を組み立ててできあがるわけですから、必ず人の手を経ないとできない部分というのがあります。

先ほどの半導体製造装置の世界でいえば、小さなチップの中に1,000分の1mmという無数の線を正確に引くことが求められています。しかし、その線を正確に引くためには、チップを載せている台に凹凸があっては何の意味もありません。これは「ステージ」と呼ばれるのですが、この台の精度は1万分の2mmぐらいの誤差までという、途方もない“真っ平ら”しか許されていないのです。そこが少しでも波を打っていたら、もうステージの役割を果たさない。さあ、これを誰が作るかというと、やはり人間の手でしか作れないわけですね。

■そんな人間業とは思えないものを、いったいどうやって作るのですか。

この作業の基本になる技法は「キサゲ仕上げ」といわれています。「キサゲ」というのは、先の平らなノミのようなものに長い柄がついている道具で、それを職人が腰に当てて、表面を丹念に少しずつかき削っていく作業です。どうやって真っ平らにしていくかというと、簡単にいうと、ABCという3つの盤を削りまして、そのひとつの盤に口紅に似た「光明丹」といわれる塗料を塗るわけです。そして、まずAとBの盤を重ねて擦り合わせます。すると出っ張っている部分は擦れて光りますが、凹んだ部分には紅が残りますよね。それを目安に今度は出っ張った部分をキサゲで削り取ります。この作業を何度も何度も重ねるうちに、擦り合わせると全体が同じようにきれいな薄紅色になり、真っ平らになるというわけです。

しかし、それだけでは不充分で、AとBの盤の反りがうまい具合に偶然合って、表面が薄紅色になっている可能性もありますので、今度はAとCで同じ作業を繰り返します。それが終われば、BとCでも同様の作業を行い、精度を極限まで高めていくわけですね。そこで完成したものをマスターにします。あとはこれに合わせてどんどん作っていけばいい。

この「三枚合わせ」とも呼ばれる技法は、実は産業革命時代のイギリスで生まれたもので、なんと200年以上も前の産物なのです。このデジタル全盛時代でも、“人の技”は脈々と生きているわけです。

■大手メーカーの技術者では、それはできないものなのですか。

そこが、いわゆる“技能”と“技術”の違いになります。これは極論ですが、設計の技術者というのは10万分の1mmだろうが、1万分の1mmだろうが、図面を作ればそれでおしまい。「俺がこういうふうに設計するから、あとは数値通りに作ってくれれば完成」と考えている方が多い。でも実は、「キサゲ仕上げ」のような技能の裏づけがないと、どんな優れた機械を設計したって、モノにはならない。その最先端には必ず“人の技”が欠かせないということです。

最近は大手企業でも、このモノづくりの基本となる技能の見直しがはじまっていますので、その人材を育てようという気風が出てきました。しかし、町工場こそ、こんな技能が長年積み重ねられ、鍛えられてきた現場なのです。その価値を皆さんにはもっともっと認識してもらいたいものです。

町工場の知恵2 職人の五感

小関さんの著書をめくると、“超人のワザ”ともいうべき、人間の五感を駆使した職人たちの姿がたくさん描かれている。いわく「金属を舐める達人」、「鉄の匂いを嗅ぐ達人」「鉄の鳴き声を聞く達人」などなど…。

例えば「金属を舐める達人」は、ある大学の研究者から「見た目だけでは判別できなくなった金属を分類してほしい」と依頼を受けた。達人は、まず色で識別し、それでもわからないものはひとつひとつ舐めて、その種類を判断したという逸話の持ち主だ。自信のもてなかった数点のみ、後日、研究所に材料分析を依頼。結果、全て的中していたというから、恐ろしい舌の持ち主である。

匂いに関してもエピソードは絶えない。10人に満たないある小さな町工場が、金属加工製品で大ヒットを飛ばして以降、工場に「トイレを借りに来る人」が急増したという。結局それは、その加工法のカギを握る潤滑油を匂いで判断しようと、同業者が“ 嗅ぎ”に来ていたのだ。スパイ行為に気づいたその会社は、工場の中にあったトイレを外に移動させ、訪ねてきた人に「どうぞ存分にお使いください」と勧めたという笑い話があるほどだ。

町工場に蓄積されたノウハウは、人間の五感にも及ぶ。それは町工場の実力を示して余りあるエピソードではないだろうか。

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“人間尊重のモノづくり”を目指して

■いままでたくさんの町工場を取材なさって、“人づくり”についてはどのような意見をお持ちでしょうか。

ひと言でいえば、これからは“人間尊重のモノづくり”をどれだけできるかということではないかと思っています。つまり、日本の産業というのはいままで大量生産・大量消費という波に乗って、機械によって合理化さえすれば、大量に早く、安くモノを作れるという考えだったと思います。しかし、それは言葉を変えれば、人間を「怠けやすい」「疲れやすい」「失敗をする」「不平をいう」というようなマイナス要因であると捉え、なるべくそれを機械に置き換えたほうがいいという発想だったのではないでしょうか。その元にあるのは、“人間不信”ですよね。もちろん機械化や合理化が戦後の経済成長を支えてきたのは事実ですから、歴史の中でそれを全否定するわけにはいかないでしょう。

しかし今世紀に入って、日本は大量生産・大量消費の波に乗ることはもう無理だということは誰の目にも明白で、そういう産業は海外に取って代わられ、数が少なくても、高品質・高品位なモノを作っていくべきだという方向へ転換していますよね。そういう時代になったのだから、少なくとももう“人間不信”をベースにした考え方はやめにした方がいい。「人間にはたくさんの欠点があるかもしれないけど、人間にしかできないこともいっぱいある」と、人間をプラス要因として積極的に評価していくことが必要ではないかと、私は思うわけです。

そういう意味では、当り前のことかもしれませんが、まずはお互いに信頼できる職場を作らなければいけません。これは大きな企業になればなるほど、口でいうほど簡単なことではないと思います。しかし企業トップは、人間は怠けることもあるし失敗もするけれども、それを不信につなげるのではなくて、信頼を前提としたうえでどう手を打つべきかということを、いつも頭に入れておかなければいけないと私は思います。

小関 智弘氏

■そういう部分というのは、職場の雰囲気ですぐわかるものですか。

私はいままで数多くの町工場を訪ねましたが、信頼関係がよく行き届いている職場は一歩入ればすぐわかります。まず、最初に返ってくるあいさつの声が違いますし、言葉づかいも表情も、働いている方がみんな生き生きとしていますね。何よりも従業員に全幅の信頼を置きながら育てている企業というのは、必ず良い仕事をしています。

一例を挙げれば、京都に『長島精工』という会社があります。ここは、先ほどお話した「キサゲ仕上げ」を駆使し、世界でもトップクラスに入る平面研削盤を作っている町工場です。20代の若い社員が多い会社なのですが、皆さん自分の仕事に誇りをもっていまして、その黙々と働く姿は見ているだけでも気持ちいいものです。

あるときこの工場を訪ねると、一人の知的障害者の方が床を掃いたり、忙しい社員の手伝いをしたりと、いわゆる下働きをこなしていました。勤め始めたばかりだったようで、動きにはまだぎこちないも のがありましたが、一生懸命でした。人手に余裕がない町工場では、重いものを運ぶときにちょっと手を貸すといった、この下働きという仕事はとても重要なのですね。

実はこの障害者の方を雇うに際して、会社の創業者である長島善之さんは、従業員を集めて「陰口は絶対たたかない」ことと、「自分の仕事と比較して、見下すような考えは絶対もたない」ことを、厳 しくいい渡しました。ところが、同じ時期に入った若者が「あいつとオレが同じ給料なんて、冗談じゃない」と、つい不満を口にしたそうです。長島さんは「じゃあ、代わりに君が彼の仕事をやってみなさい」と怒り、そのときは収めました。しかし、しばらくたってまた同じ不平をいい出したそうです。結局、長島さんは「1度は許すが、2度目は許せない」と、その若者を退職させました。

こういった機械を組み立てる会社は、個人の技術がいくら優れていても、決してそれだけで機械ができあがるわけではありません。経営者である長島さんはそれをよくわかっているからこそ、集団の和を乱し、会社の雰囲気を壊すその若者を泣く泣く切ったわけですね。「腕の良い子で、将来がとても楽しみだったんだけどね…」と、残念そうにおっしゃっていた姿が印象的でした。長島さんにとっても苦渋の決断だったのでしょう。

しかし、従業員というのは、そういうトップのブレない姿勢というものに共感し、信頼を寄せるものです。

■逆に、部下が信頼されているという実感も大切ですよね。

『長島精工』では、できあがった機械の組立責任者の名前をプレートにして、製品の裏側に貼り付けています。ささやかなことかもしれませんが、信頼感を形で現わす、こういったやり方も従業員のやる気を起こさせますよね。

私は70歳まで正味50年間、旋盤工として現場で働いてきたからよくわかることですけれども、信頼されていない人間に「知恵を出せ」だの、「工夫しろ」だのといったって、それは無理です。そんな職場では、知恵も工夫も決して出てきやしません。やはり経営者や上司が自分のことをきちっと信頼してくれていると思うからこそ、「それだったら、やってみようか」という気にもなるわけですよね。信頼されて初めて、人間というものは才能も知恵も発揮できる。ですから、“人間不信”の職場を作ってはいけない。町工場であれ、大企業であれ、これからはそれがとても大事なのではないでしょうか。

■最近、技能を誇る“職人の世界”が見直されつつあると思いますが、後継者の育成について、最後にお聞かせください。

私なんかが仕事を覚えた頃というのは、世の中のエンゲル係数の平均がなんと50%の時代なわけですよ(笑)。だから、いやがおうにも働かなければ、食えなかった。そして私の周りで“食べている人たち”というのは、みんなそれぞれの世界で腕一本で働いて、それで生活を成り立たせていたわけです。ですから、私たちは「あの人みたいに稼ぎたい」と思って一生懸命働きました。ところがいまやエンゲル係数は20%以下といいますから、働かなくても食えちゃうでしょう。そういう人たちに「腕さえ磨けば食っていけるよ」なんて教育したって、そもそも成り立たない。

では、そこで何が必要になるかといえば、拙著にも書いているのですが、日本の産業は“楽に作る”から、“楽しく作る”という方向に転換をするべきだと思っています。これまで日本の産業というのは、どちらかというと「こういうふうにすれば楽にできる」という便利さを追求してきましたよね。けれども、そうではなくて、「こういうふうにしたら楽しく作れる」ということを、モノづくりの現場にどんどん取り入れるべきなのです。

町工場の衰退は、日本の産業全体の衰弱につながることは間違いありません。そういう意味でも、特に若者たちに“楽しく作れる現場”をおおいにアピールすることは、とても意味のあることだと思いますね。

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光明丹(こうみょうたん)

古代ローマ時代から使用されている塗料の原料。鉛化合物で、「赤鉛」、「鉛丹(えんたん)」とも呼ばれる。一般的に、各種ペイントや絵の具などに使用されることが多いほか、蛍光灯やブラウン管などの放射線防止剤、陶磁器などの釉薬(うわぐすり)としても活用されている。また、防錆、防腐、焼き付き防止効果があるため、工業用としてすり合わせ・あたり面のテスト等にも用いられている。

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リーダーズ・チョイス
つづいて「リーダーズ・チョイス」では、小関氏が町工場時代に記した技術のメモを紹介します。
関連リンク集
「関連リンク集」では、『モノづくり』に関するサイトを紹介します。

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